ほとんど毎日25分、オンラインで「英語を話す」勉強をしている。もうすぐ3か月がたとうとしているが、自分なりにわかってきたことがある。
先ず、毎日25分間だけでも、日本語が使えず、英語を使わざるを得ない環境に身をおく「習慣」を得ることがいかに大切かということがよくわかった。あたりまえのように、毎日、英語を使わざるを得ない環境に、ふつうのおばちゃんが身をおくことは、日本ではとても難しい。それを月6,000円足らずで可能にしてくれるこのシステムは、私にはとてもうれしい。(この出費を賄うために、某宅配レンタルに月1,000円出費していたのは、辞めた。笑)
ほとんど毎日なので、いつの間にか、授業以外でも、頭の中で無意識に、英語に置き換える癖がついてきたように思う。先日などは、夢の中でもたどたどしい英語を話していて、びっくりした。(^-^;)
さらにテキストを予習しておくと、25分であってもFree Talkの時間がたっぷり取れるので、その話題の仕込みもしておく。そのストックがだいぶ増えて、かなり使い回しができるようになってきた。(^-^) 英語で会話を進めるためにはこのストックが大事だとセレン先生が言っていたが、本当にそうだとようやくわかる。
と同時に、今までとは違って、フィリピンがずいぶん身近な国になった。言語、食事、習慣、台風の被害、復興、マニー・パッキャオのカムバックのことなど、また日本の習慣などをシェアし合うことができるようになったことは、私にとっては大きな進歩だと感じている。
今日も、日本では寒さがだんだんきびしくなってきたので、私の家の冬の暖房設備を説明した。
私の家では、灯油ストーブと電気ヒーター(ストーブ)が冬の暖房設備だ。エアコンと炬燵はあるけれど、ほとんど使用しない。
フィリピン人の先生方は、すでに2~3年ほど日本人への教育経験があるから、前の生徒さんから聞かれたのだろうが、どうも日本の冬の暖房はエアコンと炬燵だと思っている先生が多いようだ。エアコンと炬燵が暖房というのは、若い人だろう。実際、息子も娘もそうだから。
灯油ストーブを英語で何と言おうかと迷って、そんな言葉はないかもしれないが、'Oil stove'と説明した。'Oil heater'と説明しなかったのは、デロンギなどのオイルヒーターを思い浮かべたからだ。
先生は、'Oil stove'と聞いて、「それはどこに置いてあるのか?外だろう?」と、何だか話がかみ合わない。
先生が、「'Oil stove'とは、これか?」と送ってきたリンク先がコレ。↓
これは、灯篭に灯りが灯った写真。「No, これは、Lightだ。」と説明する。
そしたら、次に送ってきたのが、コレ。
「No,no。これも、Lightだ。」と答えて、代わりにこの画像を送った。
そしたら、ようやく分かったようで、「これは、部屋の中に置くものか?」と聞いてきた。
で、私の家のもう一つの暖房のElectric stove 電気ヒーター(ストーブ)はコレ、と画像を送った。今度は一発で理解してくれた。
こんな風に、チャットボックスにリンクを貼って、画像で説明するのが一番分かりやすい。
そしたら、今度は「日本の古い暖房設備にはどんなものがあるか?」と聞いてきたので、「火鉢」の画像を送ったら、「すばらしい!この上でお湯を沸かしたり、煮炊きできるようだね...」という返事が返ってきた。
こういうやり取りが、今の私にはとても楽しい。
とはいうものの、英語を話さなければならないストレスから、授業をキャンセルして逃げたい誘惑に、毎回駆られるのも事実。(^-^;)

これなら、どうだ、グループリーグの突破は間違いなし!
W杯出場国が出そろって、グループリーグの組み合わせ抽選会は12月6日とか・・・。
本ちゃんの目ざすW杯優勝への道のりは「グループリーグの組み合わせ抽選」での運に左右されることが良くわかった。
どうか、死の組なんかに紛れ込みませんように・・・。
*でろりんさん、2014 FIFA World Cup Group stage Draws Simulatorの紹介記事をありがとうございます。

なんだ、これは・・・?と、上の方を見て行くと、コレのランキングでした。(^-^)

何でもうれしい!あのネイマールの次なんて、格好いい。
先週の土曜日から始まった国際親善試合2つは、どちらも本ちゃんがゴールを決めてくれて最高だった。
本当に自分勝手なファンだけど、本ちゃんの試合ではいつも「本ちゃんがゴールを決めて、試合に勝ちますように・・・」と、神さまにお願いする。
時々、神さまは私の勝手なお願いをかなえてくださる。
ありがとう、神さま。ありがとう本田選手。
*神さま、怒らないでくださいね・・・。
昨日は、「旅する巨人 宮本常一展」の最終日。
朝、9時前に家を出て、大学に着いたのが9時半前。
付属図書館の地下1Fで、展示とDVD上映を観て、10時45分から共通講義棟A-314教室の『宮本常一の教養~天王寺師範と小学校教員時代』(講演:アレクサンドル・マンジャン先生)を聴いて、帰ってきた。
大学は、娘がよく言っていたように、山の上にあるので寒かった。その分、紅葉もきれいで、季節を先取りしたような気持ちになった。












息子と娘は3歳違いだから、息子が4回生の時、娘は1回生。2人は1年間だけ、大学生活を共有した。校内で、何度も出会っていたはず。
もしできるなら、2人のそんな一瞬を、物陰からこっそりと覗いてみることのできる10年ほど前にタイムマシンに乗ってもどりたい・・・と願いながら、校内を行きかう学生の姿を眺めていた。
就職活動もしないで、息子が大学生活のすべてをささげた水泳部の屋外プール、遊び呆けて就職活動もすっとばした娘のソフトボール同好会のグラウンドを目に焼き付けておきたかったが、午後からの仕事が気になって、早々に大学を後にした。
息子は今も、マスターズで泳いでいる。
娘も地元のソフトボールチームで試合に出ている。
最近の「DNAハイブリダイゼーション」という新しい技術を使って、「人類」と、人類に最も近縁なすべての種、すなわち、チンパンジー2種(コモンチンパンジーとピグミーチンパンジー)とゴリラ、オランウータン、テナガザル2種の「類人猿」と、さらに7種類の「旧世界ザル」のDNAを分析すれば、以下の通りになるという。

この結果は、従来の解剖学から推測される種間関係がすでに納得のいくものであり、DNAから得られた結論は解剖学者の結論を再認識するものだったが、解剖学が解決できなかったことをも、DNAは解決することができた、と彼は述べる。
それは、ヒト・ゴリラ・チンパンジーの間の関係で、チンパンジーとヒトとのDNAの違いはおよそ1.6%で、ゴリラはヒトとも、チンパンジーともDNAが2.3%異なるので、ヒトにとってはゴリラではなく、チンパンジーがもっとも近縁な動物と言えるが、このことは言い替えるとチンパンジーにもっとも近縁な動物はゴリラではなくて人類だということなのです。
チンパンジーを私たちヒトから隔てている遺伝的距離(DNAの相違1.6%)は、2種のチンパンジー(ピグミーチンパンジーとコモンチンパンジー)どうしの遺伝的距離(DNAの相違0.7%)のたかだか2倍でしかなく、2種のテナガザルどうしの遺伝的距離(DNAの相違2.2%)やアカメモズモドキとメジロモズモドキのような近縁な鳥どうしの間の遺伝的距離(DNAの相違2.9%)よりも近いのです。
私たちヒトのDNAのうち、98.4%は普通のチンパンジーのDNAそのものなわけですから、私たちヒトは3番目のチンパンジーとも言えるのだと、彼は言う。
さらに、「DNA時計」という最新の物差しを使えば、人類の進化の年代は次のように推測できると言う。
1. ゴリラが私たち3種のチンパンジー(ヒトとチンパンジー2種)の共通祖先と分かれたのは、今からおよそ900万年前。
2. ヒトと「ヒト以外のチンパンジー」の系統とは、今から600万年~800万年前に分かれた。
3. 2種のチンパンジーが分かれたのは、今からおよそ300万年前。
このことは何を意味するかと言えば、かつて古生物学者たちが推定していたのとは違って、人類が独自の種として他の類人猿から分かれてから、まだほんの浅い歴史しか持っていないことを意味する、と言う。
そこで、このような研究結果をもちいて、客観的に動物界における階層的な分類を試みるならば、ヒトは独自の科を形成しておらず、独自の属さえも形成していないのであって、チンパンジーと同じ属に入っている、とも言える、と。
これが、現代における創世記―3種のチンパンジーの物語―。


スイスワインは、スイス国内で消費され輸出されることが少ないので、次はいつ飲めるかな?
「Haiyan 」は、先ほどの加盟国が提案した140個の名前の44 番目にあり、命名した国は「中国 」で、意味は「うみつばめ」だそうだ。
上記の気象庁のページには、次のようにも書かれているので、もしかしたら、甚大な被害をもたらした「Haiyan 」の名前は今後は使用されないようになるかもしれない。
平成12年の台風第1号にカンボジアで「象」を意味する「ダムレイ」の名前が付けられ,以後,発生順にあらかじめ用意された140個の名前を順番に用いて,その後再び「ダムレイ」に戻ります。台風の年間発生数の平年値は25.6個ですので,おおむね5年間で台風の名前が一巡することになります。
なお,台風の名前は繰り返して使用されますが,大きな災害をもたらした台風などは,台風委員会加盟国からの要請を受けて,その名前を以後の台風に使用しないように変更することがあります。
ちなみに、日本が命名した名前は次の10個。首をひねるネーミングが多い。(^-^;)
命名した国と地域 呼名 片仮名読み 意味
5 日本 Tembin テンビン てんびん座
19 日本 Yagi ヤギ やぎ座
33 日本 Usagi ウサギ うさぎ座
47 日本 Kajiki カジキ かじき座
61 日本 Kammuri カンムリ かんむり座
75 日本 Kujira クジラ くじら座
89 日本 Koppu コップ コップ座
103 日本 Kompasu コンパス コンパス座
117 日本 Tokage トカゲ とかげ座
131 日本 Washi ワシ わし座
フィリピンでは、今回の台風は「Haiyan 」より「Yolanda」という名前がよくつかわれているようだ。これは従来の台風命名法による女性名か?
オンライン英会話はフィリピン人の先生だから、このところ、毎回、台風の話題からレッスンを始める。
講師によって、温度差がある。
今朝の講師の方は、知人が被災地に住んでいて、連絡が取れないと、涙を流していた。
地球温暖化の影響で、海水温が上昇して、以前にも増して、巨大な台風が数多く発生するようになり、日本もフィリピンもその襲来から逃れるすべがない、と嘆きあった。
被災地の人が回復する間もなく、また新たに太平洋に熱帯低気圧が発生したようだ。

冬型の気圧配置のおかげで、日本にはやって来ないが、またフィリピン直撃コースにならないかと、心配している。
彼がこの発言をしたときには、すでにこの本、『人間はどこまでチンパンジーか? 人類進化の栄光と翳り』(J・ダイヤモンド著 長谷川真理子・長谷川寿一訳 1993年 新曜社)は刊行されていたから、まさに無知も甚だしかったことになる。
以前から、「女性の寿命は、なぜ男性より永いのか?」は疑問だったが、「なぜ、男性は高齢になっても妊娠させることができるが、女性は高齢になると閉経(排卵が止まる)して妊娠できなくなるのか」については、そんなものなんだろう・・・と、あまり疑問を感じてこなかった。
この本は、その女性の閉経の獲得こそが、人類の繁殖率を上げる生活戦略の一つだったのだ、と述べていて、非常に興味深い。
以下、『人間はどこまでチンパンジーか? 人類進化の栄光と翳り』(J・ダイヤモンド著 長谷川真理子・長谷川寿一訳 1993年 新曜社)から引用p196-198
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閉経の進化的意義
年をとることに関する驚くべき事実の中で、進化的視点を持って初めて理解できる最後の例は、人間が繁殖年齢をすぎても生きること、とくに女性が閉経後も生き続けるという現象です。自分の遺伝子を次の世代に伝えることが、進化の原動力ですから、繁殖年齢を過ぎても生き続ける動物はほとんどありません。繁殖年齢が終われば、自分のからだを修理して保全しておく進化的価値がもはやないのですから、自然は、繁殖の終了と死とが同時に起こるようにプログラムを作ってきました。ヒトの女性が閉経後も何十年も生きたり、男性がほとんど子どもを作ることに興味を失ってからも生き続けることは、説明を要する例外なのです。
しかし、よく考えてみると、このことの説明は明らかです。ヒトにおいては、子の世話期間が異常に長くなり、ほとんど20年も続くことになりました。自分の子どもが成人に達したような年とった人も、自分の子どもだけでなく、部族全体の生存にとって非常に重要なのです。ことに文字が発明される前には、年寄りは決定的に重要な情報の担い手の役割を果たしてきました。自然は、女性の繁殖器官が壊れてしまったあとでも、からだは使いものになるように修理しておくように私たちを作ったのです。
しかし、逆に、なぜそもそも自然淘汰によって女性の閉経がもたらされたのかを考えなくてはいけません。これも、年をとることと同様、生物学的に不可避のことだと言って済まされることではありません。ヒトの男性も、チンパンジーやゴリラの両性も含めて、ほとんどの哺乳類では、繁殖能力が徐々に年齢とともに低下し、なくなっていくのであって、ヒトの女性のように、ある時点で急に終わりが来るというものではありません。どうしてヒトでは、このように奇妙な、一見不利な性質が進化したのでしょう? 自然淘汰では、最後の最後まで繁殖する女性が有利にはならなかったのでしょうか? ヒトの女性の閉経は、他の二つのヒトに特徴的な形質、出産が母親にとって非常に危険な仕事であることと、母親が死ぬと赤ん坊にとって非常に危なくなること、から出現したのでしょう。ヒトの赤ん坊が、出生時に母親との比較においてとてつもなく大きいということを思い出してください。ヒトでは、45キログラムの母親から3キログラムの赤ん坊が生まれますが、ゴリラでは90キログラムの母親からたった2キログラムの小さい赤ん坊が生まれるのです。その結果、出産は女性にとって非常に危険なものとなりました。とくに近代の産科の技術が発達する前には、出産時に死亡する母親がたくさんいましたが、ゴリラやチンパンジーの母親ではそんなことはほとんどありません。アカゲザルの401例の出産で、母親が死亡したのは1例しかありません。
さてつぎに、ヒトの子どもが親に、それも母親にひどく依存していることを考えてみて下さい。ヒトの子どもは非常にゆっくり成長し、離乳が終わっても自分で食べ物を取ることができないのですから(子どもの類人猿とは大きな違いです)、狩猟採集民の母親が死んでしまうことは、幼い子どもにとって、他のどんな霊長類におけるよりも致命的なことだったでしょう。すでに、何人かの子どもを持っている狩猟採集民の母親は、出産のたびに、この子どもたちの命を危険にさらす賭けをしているのです。前の子どもたちに対する彼女の投資は、この子どもたちが大きくなるほど増加し、彼女が出産で死ぬ危険も、彼女の年齢とともに増加しますから、彼女が年を取るにつれて、この賭けは分が悪くなります。もしも、まだ一人立ちしていない子どもが3人いるのなら、どうして4番目の子のために、この3人の命を危険にさらす必要があるでしょう?
賭け率がこのように徐々に悪くなっていくので、おそらくは自然淘汰にヨッテ、ヒトの女性の繁殖には突然終わりが来るようになり、母親のそれまでの子に対する投資を護るようになったのでしょう。しかし、出産の危険は父親には及びませんから、男性には閉経は進化しませんでした。年をとることと同様、閉経も進化的視点を持って初めて、私たちのライフサイクルが理解できることをよく表しています。閉経は、ここ4万年ほどの間に、クロマニョン人や他の解剖学的現生人類がしばしば60歳以上生きるようになって、やっと進化してきたのかもしれません。ネアンデルタール人やそれ以前の人類は、いずれにせよ40歳以前に死んでしまったので、閉経は、それが現在のヒトの女性に起こるのと同じ時期であれば、なんの利益ももたらさなかったでしょう。
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この本の訳者の長谷川真理子著 『ヒトはなぜ病気になるのか』(ウェッジ選書27 2007年)の第5章「妊娠、出産、成長、老化」 には最新の研究成果が収められていて、興味深い。