目で読む聖書と耳で聴く聖書。
どちらも原文は同じなのに、全く趣きが異なることを発見。
「耳で聴く聖書」があったら便利だと、自分でも録音したり、ネットで探したりして、従来から時々利用していた。
機械の合成音声や素人の棒読み朗読の音声は味気なくて、目で読むのとたいして変わりはなかった。
プロの声優さんか俳優さんの朗読ではないかしら?と思うのだが、目を閉じて朗読を聴いているとありありと情景が浮かんできて、難解だった聖書の中身理解を助けてくれる。
ドラマティックな朗読ではない。
深みのある声、言葉の微妙な抑揚、間の取り方・・・
節度ある朗読だが、聴く人の心の中に無限の世界を描き出すような感じがする。
おまけに、このチャンネルは新改訳聖書の朗読だから、うちの教会の聖書にぴったりなのだ。*\(^o^)/*
(追記:訂正、口語訳や新共同訳なども混在しているようだ。朗読が特にすばらしいのは新改訳を読んでいる人。)
目で読んでいた時には心にも留めなかったフレーズに、気がつかされることもある。
例えば、「伝道者の書」の有名なこの箇所に「抱擁するのに時があり、抱擁をやめるのに時がある。」というフレーズがあったことに今まで気がつかなかったような気がする。何回も目で読んでいたのに・・・。
それが今日、耳で聴いていて、ふと、その言葉が心に留まった。
機械的な音声や無表情な音声の朗読ではないから、何か、この部分に暖かい心を感じたからではないだろうか。
3:1 天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。
3:2 生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。
3:3 殺すのに時があり、いやすのに時がある。くずすのに時があり、建てるのに時がある。
3:4 泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。嘆くのに時があり、踊るのに時がある。
3:5 石を投げ捨てるのに時があり、石を集めるのに時がある。抱擁するのに時があり、抱擁をやめるのに時がある。
3:6 捜すのに時があり、失うのに時がある。保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。
3:7 引き裂くのに時があり、縫い合わせるのに時がある。黙っているのに時があり、話をするのに時がある。
3:8 愛するのに時があり、憎むのに時がある。戦うのに時があり、和睦するのに時がある。
3:9 働く者は労苦して何の益を得よう。
この動画をMP3に変換して、携帯プレーヤーやスマホに入れておくと、ネット接続できなくても、いつでもどこでも聖書の好きな章が耳で聴ける。
先週も老人ホームに入所しておられる高齢者の方が洗礼を受けられたが、歳をとると小さな文字でぎっしりと書かれた聖書を読むのはだんだん目がつらく感じられることだろう。
音声ファイルでCD化してあげたら、気軽に聖書に親しめるのではないかと思って、少しずつファイルを収集している。