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ステロイド剤と2人3脚の全身性エリテマトーデス(SLE)患者の " 猪突猛進、横道うろうろ "人生備忘録:落ちこぼれクリスチャンが心を入れ替えて(- -;)学ぶ日々の「御言葉」と、スペイン語の勉強、SLEの病状などの日々のささやかな記録・・・というのが当初の自己紹介でしたが、今は、単に「日々生きて、夢中になった事ごとの記録」(((^^;)


by dande550213
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小さな探検


ずっと気にかかっていたことがあった。

20年以上前に、義母の継母が亡くなった葬儀の際に一度だけ訪れた「義母の育った家」は今どうなったのか、ということ。

義母は複雑な環境に育った人で、その話は夫の家ではタブーになっていたのか、義母本人以外に誰も、私には義母の生い立ちや実家のことを語ってくれなかった。

だから、突然、義母の育った家に連れて行かれて、そうか、義母はこの地に生まれ育った人だったのか・・・と、義母の半生に親近感がわいてきた。

30年ほど前、30歳の時にSLEを発病して9年間ぐらいは今よりずっと病勢が激しくて、再燃を繰り返していて、寝たり起きたりの最低限の生活しかできなかった。だから、発病した時3歳と1歳だった息子と娘の保育所の送り迎えなどは全部近くに住んでいた義母がしてくれた。

今日、麻央さんがブログに「私は迎えにくるのが当たり前の母親に戻りたい。。。」と書いておられたが、私も当時何度そう思ったことかと、懐かしくなった。

勇を鼓してお迎えに行くと、病気が悪化して、また寝込む始末で、結局、子どもたちが保育所に通っている間は、まともにお迎えに行けたことは無かったが、お義母さんがその代わりをしてくれた。

そんな風に私はお義母さんに頼りっきりだったから、お義母さんと接する時間も多くなり、お義母さんは自分の生い立ちや愚痴なども私には少しずつ語ってくれるようになった。

だから、夫や義妹の知らないお義母さんの話をして、時々2人を驚かすことがある。

お義母さんが亡くなられた後で作った「私の知らないお義母さんのおもいで」写真。私はクリスチャンだけれど、家はお東さんだから、これを仏壇に飾っている。
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お義母さんは台所にひとりの夫人の写真を飾っておられて、欠かさずお供えをしておられた。この人が私の育ての母親だと言われた。とても優しいお母さん(養母)で私は大好きだったと。このお母さんの出身は奈良で、子どもの頃、このお母さんの里へ遊びに行ってかわいがってもらった楽しい思い出があると。

お義母さんは生みの親を知らないそうだ。養家の家を継ぐためにもらわれていったけれど、この優しいお母さん(養母)が亡くなって、お父さん(養父)が後添えをもらわれ、その人に男の子が生まれたので嫁に出されることになったそうだ。その男の子はお義母さんにとっては弟になるが、歳は自分の息子(私の夫)より少しだけ年上だから、関係がややこしい。

お母さんの異母弟は実母(お母さんの継母)が亡くなった後、出奔してしまって、今は行方知れず。

お義母さんが継母の葬儀の時に異母弟に「これからはもう実母の年金も無いのだから、あんたしっかり働いて暮していかなアカンよ」と、諭しておられた。

お義母さんが育った家は、お義母さんが結婚後、お父さん(養父)が寝たっきりになり、経済的に苦しくなり、継母さんが家を支えておられたそうだ。お義母さんも介護に通ったり、おかずを差し入れしたりして、手助けされていたと聞く。

悲しいことに跡を継ぐはずの異母弟が放蕩息子で、経済的にとても苦しくて、お義母さんは苦しい家計の中からいくばくかの援助もされていたようだ。

しかし、継母さんが亡くなられたことを契機にお義母さんはあの家とは縁を切られたのではないかと思う。

私たちには「異母弟がもしお金の無心に来たら、絶対追い返すように!」と、きつく言われた。

そのお義母さんが育った家を生きているうちに、もう一度見ておきたかった。
自分で20数年前の記憶だけをたよりに、探しあててみたかった。

ただそれだけのことなのだけれど、見つけ出すのに3日かかった。
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やはり荒れ果てていたけれど、撤去されていないところを見ると、持ち家だったのだろうか?「お風呂がなかったから、よく貰い湯に行っていたんやよ」というお義母さんの声を思い出す。表札にはお父さん(養父)さんの名前が書かれ、家の前には自転車も残されている。ここはまるで時が止まったかのよう・・・。


そのお義母さんが亡くなってから、今年で15年目を迎えようとしている。お義母さんが亡くなったのは、そんな昔のことではなかったような気がするぐらい懐かしい。

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ここは私にも楽しい思い出がいっぱい詰まっているので、時々、こっそりと訪れる。佇んでいるとお義母さんが戸を開けて出てきて「あら、久しぶり~」と声をかけてくださるような気がする。



by dande550213 | 2017-02-21 17:18 | 雑感 | Comments(0)