創造論と進化論の問題をどう理解するかは切実な問題ではないかと思うのだが、
どうなのだろう?そう感じてしまうのは、私がクリスチャンとして未熟だからなのだろうか?
私が所属する教会では、
この問題について気軽に話し合うことは何となくタブーのような気がしていた。
教会とはそういうものなのだろうか?と思いながら、
私は自分の疑問を封印して、10年前に洗礼を受けた。
最近、私は私にとってのパンドラの箱を開けてしまった。
それから、二転三転の苦しい日々が続いている。
10年間の間に、牧師先生と伝道師の先生に尋ねたことがあるが、
(私からみれば)あいまいなお返事で、はぐらかされたような気がして、
やはり私の信仰が足らないせいなのかと思い、また封印したのだった。
今でも、
クリスチャンとして、無駄な意味の無いことにとらわれているのではないかという不安がつきまとう。
思い切って、先日、また牧師先生に相談した。
牧師先生は、「この問題については良い本があります」と言われた。
それで私は、
今読んでいる大谷順彦(クリスチャン)著『進化をめぐる科学と信仰』を見せて、
「これですか?」と尋ねた。
先生が私に紹介したかった本は、私が見せた本とは違った。
あいにくそのときは、その本が教会図書の中に見つからなかったので、
別の本を貸してくださった。
それが昨日で、稲垣久和(クリスチャン)著『進化論を斬る―科学とキリスト教―』だった。
牧師先生はこの本は難しすぎるから、読んでいないとおっしゃっていた。
帰宅するなり、むさぼるように読んだ。
そして、今日、先生が一番お勧めの本を見つけ出してくださって、私に渡してくださった。
それが、堀越暢治(クリスチャン)著『人間の生まれた日 進化論と創造論』。
これも、帰るなり、すぐ読んだ。
同じクリスチャンでも様々な考え方があるのだとわかった。
ただ、牧師先生が一番勧めたかった本を読んで、少しショックを受けた。