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ステロイド剤と2人3脚の全身性エリテマトーデス(SLE)患者の " 猪突猛進、横道うろうろ "人生備忘録:落ちこぼれクリスチャンが心を入れ替えて(- -;)学ぶ日々の「御言葉」と、スペイン語の勉強、SLEの病状などの日々のささやかな記録・・・というのが当初の自己紹介でしたが、今は、単に「日々生きて、夢中になった事ごとの記録」(((^^;)


by dande550213
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田中麗奈さんのインタビュー(ビッグイシュー日本版294号掲載)


天王寺の主治医のクリニックに行くと、地下鉄天王寺駅出口周辺で「ビッグイシュー日本版」を買う。バックナンバーから選ばせてくれる販売員さんもいれば、手に持っている今月号をそのまま手渡してくれる販売員さんもいる。
初めて買ったときは200円か250円だったような気がするが、今は350円。

ビッグイシューは、ホームレスの人々に収入を得る機会を提供する事業として、1991年にイギリスのロンドンで始まり、日本版は(今月で?)発刊13周年を迎えるという。

元々がイギリスで始まった雑誌だから、バタくさい記事も載っている。スペシャルインタビューにはウィリアム王子も登場した。今月号はライアン・ゴズリングという俳優さん。(知らんなあ・・・。コレからチェックですわ~♪)

ビッグイシューで一番好きな記事は「リレーインタビュー・私の分岐点」というコーナー。第259回は女優の田中麗奈さんだった。
田中麗奈さんのインタビュー(ビッグイシュー日本版294号掲載)_f0096508_22504588.jpg

彼女の登場した映画やドラマ、見たような記憶はあるが、覚えていない。日本の映画やドラマにはあまり興味がないタイプ(日本映画やドラマを蔑視しているわけではなく、異文化に興味があるため)で、映画もドラマもほとんど見ないから・・・。(((^^;) だから、”目が個性的な可愛い女優さん”というぐらいのイメージしかなかった。

このインタビューでは、心に秘めてきた想いを丁寧に語っている。彼女は、日本だけの枠にとらわれずに、俳優としての自分の立ち位置を模索し、努力を重ねてきた女優さんだったのか・・・と認識を新たにした。彼女の語る内容は、渡辺謙さんにも通じるところがあるような気がして、インタビューをファイリングして置きたくなった。
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「アジアを目指した20代、人生最大の挫折。今また中国語を始めている」
                     女優 田中麗奈さん

 5歳の時、すでに女優になろうと決めていた私。当時は迷うということすら知りませんでした。夜寝る前に必ず、東京で生活している自分、お芝居している自分を想像して眠りについていたんですよ。「早く誰か私のことを見つけてくれないかな。そうしたら一生懸命働くんだけどな」って。だから15歳になった時、まだ地元にいる自分をもどかしく感じたことを覚えています。その後、幸運が重なって、私は女優になりました。強く思えば願いは叶うんだと思いましたね。
 そんな私のターニングポイントは、日台合作映画に主演したことを機にアジアで活躍したいと思い始めたことです。それは同時にこれまでの人生で最初にして最大の挫折でもありました。
 20代前半、日中合作ドラマに出演したことから中国語を学び始めた私は、撮影のために中国に滞在し、現地の俳優と交流するようになりました。中国の映画スターの多くは、演劇学校でアクションや踊りなど、演技の基本となることをしっかり学んでいます。だから着物のさばき方とか、扇子のあしらいとか、細かい所作まで、素晴らしくよくできるのです。
 一方、私はそれまで”自然体”を評価されることが多かった。でも彼らと芝居をするうちに、”自然体”の頼りなさみたいなものを感じるようになったんです。「私は日本人の女優としてこれができます」と堂々と主張できることが一つでもあるのか? そこで茶道や日舞を習い始め、着物や歌舞伎など日本文化に触れる機会を増やしていきました。
 同時に私はアジアを舞台に活躍する女優になりたいと強く思うようになったのです。ハリウッドでは日本人俳優はアジアの俳優としてエントリーすらされていない状況にある―それなら私は、まずアジアの女優としてエントリーされるようになりたいと考えました。
 それから5年ほど、熱心に中国語を学び、海外での映画出演の機会を狙っていました。しかし私の一途な思いとは裏腹に、一向にチャンスを掴むことはできませんでした。どんなに努力しても、どんなに強く思っても叶わないことがあるんだと知った―私にとってそれは大きな挫折でした。女優を辞めたいとすら思いましたから・・・・・。20代はエネルギーが溢れている分、ものすごくストイックで、自分をトコトンまで追い詰めて、パンクしてしまったんでしょうね。
 そして30歳になる前、中国語や他の習い事をすべて辞めました。一度リセットして、今、私がやれることに集中しようと気持ちが切り替わっていったんです。「田中麗奈がいたからいい作品ができた」と言われるようになりたい。とにかく、しっかり足固めをしようと思いました。
 そうして数年が経ち、私は36歳になりました。もうすっかり立ち直ったけれど、心の痛みはまだあって、中国語を聞くのも中国映画を観るのも嫌で、ずっと耳を塞いでいたんです。でも今年、ある番組の企画で台湾に行くことになりました。封印したい過去を取り出した時、どんな心境になるのか興味がありました。その結果、かつての撮影現場を訪れた私は、若かった自分の挑戦をニュートラルな気持ちで受け止めることができたのです。
 最近また中国語の勉強を少しずつ始めています。焦れば焦るほど空回りするけれど、ふと力を抜いた時、チャンスが訪れることもある―だからいつでも手を上げられるように、今度は楽しく進めていきたいと考えるようになりました。
 今年、結婚したことも大きいのかもしれません。これまでは仕事という一面しかなかったので、人生の一喜一憂がすべて女優業に反映されてしまうところがあって、その結果、追い詰められてしまうことがありました。でも今は家庭というものがある。ここにも私が存在できるから、仕事で何があっても大丈夫と思うようになった。そんな今だからこそ、恐れずに夢を追い続けることができるのかもしれないですね。(文責? 飯島裕子)
                「ビッグイシュー日本版294号」より
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私も彼女を応援したくなったよ~。(^o^)丿

先日のBBCのリストでも100選に入った日本映画は、たった1作だけだった。
日本映画や日本人俳優さん、もっともっと世界に羽ばたいてほしいと、願っている。

もちろん、ヒョンビンも。

光州ビエンナーレでは韓国のベスト俳優だと紹介されていたようだったが、ソン・ヘギョのように、先ずアジアを目指してほしい。




 






by dande550213 | 2016-09-03 00:02 | ファイリング | Comments(0)