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米原:どこの国でもユダヤ人の扱いはすごく難しいんです。民族国家をつくる上でうまく利用しようとする国もあるし、排除しなければやっていけない国もある。また同じ国でも時代によってそれが変わってしまいます。
たとえば、アウシュビッツで大量にユダヤ人が殺されましたが、それによってドイツ人は世界的に断罪され、常に反省しなくてはならない立場に置かれ続けています。しかし、地元のポーランド人の協力がなければあんなにたくさんのユダヤ人を捕まえられなかったし、殺せかかったはずなんです。ワルシャワ・ゲットーが蜂起したとき、ポーランド市民はそれが鎮圧されるのを黙認しています。ところが、ナチス・ドイツに協力したポーランド人・チェコ人・東欧の人たちはまじめにそれに向き合って反省していません。
池内:小さな町の人たちは特に協力せざるをえなかったでしょう。自分を守るためには、他人を捨てなければならなかった。
米原:もちろんそうですが、それだけではなく、常日頃からユダヤ人は邪魔だと思っていた人たちがたしかにいたんですよ。ナチスはユダヤ人を共通の敵をすることによって、侵略していった国々でも一定の支持を得られたんです。
今、欧州では、常日頃から移民やイスラム教徒は邪魔だと思っていた人たちの、抑え込んでいた感情に火がつけられ、流入する移民やイスラム教徒を古き良き偉大な欧州の共通の敵とすることによって、欧州を構成する国々で、流入する移民やイスラム教徒を排斥しようとする潮流が一定の支持を得つつある状況が加速しているような気がして、正直、怖い。
私たちは常に歴史を振り返り、歩んできた歴史に立ち返って考える必要があるのではないかと思わされる今日この頃。
伝道の書 1章9節
昔あったものは、これからもあり、昔起こったことは、これからも起こる。日の下には新しいものは一つもない。