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143:2 あなたの僕を裁きにかけないでください。御前に正しいと認められる者は/命あるものの中にはいません。
143:12 あなたの慈しみのゆえに、敵を絶やしてください。わたしの魂を苦しめる者を/ことごとく滅ぼしてください。わたしはあなたの僕なのですから。
神と人間との関係は、主人と僕(しもべ)・奴隷のような関係だとよく言われる。
この詩の作者も、自分をそう位置づけている。
僕・奴隷は、主人の命令には絶対服従で、口答えを許されない存在。(精神面)
僕・奴隷は、生活の糧を主人によって保障されている存在。(経済面)
現代で例えれば、
ペレステロイカ以前の社会主義国家の労働者のような存在かな・・・?
確かに、この方が楽かもしれない。
自我を放棄する代償に、自己責任も無くなるから、思い煩う必要がなくなる。
そのことが本当に幸せなことかどうか、私にはまだよく理解できないが、
神の摂理は知りたいと切望している。
しかし、神の摂理は、徹底的に神の僕・奴隷にならないと解き明かされないのだ
というところに、私の矛盾がある。