人気ブログランキング | 話題のタグを見る

一歩一歩!振り返れば、人生はらせん階段 ippoippo51.exblog.jp

好きなリンク先を入れてください

ステロイド剤と2人3脚の全身性エリテマトーデス(SLE)患者の " 猪突猛進、横道うろうろ "人生備忘録:落ちこぼれクリスチャンが心を入れ替えて(- -;)学ぶ日々の「御言葉」と、スペイン語の勉強、SLEの病状などの日々のささやかな記録・・・というのが当初の自己紹介でしたが、今は、単に「日々生きて、夢中になった事ごとの記録」(((^^;)


by dande550213
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

ハジナ再び:ドラマの企画意図と必然的混乱


前に、「キルミーヒールミー」を全話見終わって、「ハジナ」と「キルミーヒールミー」はDIDを扱っても、ドラマのコンセプトが違うことが理解できた、と書いた。

振り返れば、「ハジナ」放送前から、SBSのハジナのHP上ではドラマの企画意図が紹介されていたから、このドラマのコンセプトをただ私が知らなかっただけだったのか・・・と、最近、ようやく気がついた。

KNTVのドラマ紹介はSBSのHPを訳した紹介なので、こちらで紹介する。
(*このサイトはコピペができないので、画像で・・・)
ハジナ再び:ドラマの企画意図と必然的混乱_f0096508_1548193.png

つまり、このドラマは「IF もし・・・だとしたら」のファンタジーのドラマだったのだ。(((^^;)

だから、Wowowの宣伝もこうなる。
ハジナ再び:ドラマの企画意図と必然的混乱_f0096508_17593871.jpg

ロマンチックコメディとかラブロマンスとか銘打っているけれど、本質は、現実には起こり得ないような「IF もし・・・だとしたら」のファンタジーのラブロマンスで、ファンタジーの新趣向がDIDということだったのだ。

そうは言っても、主人公がDIDである限り、DIDについて触れないではおけないので触れている部分が前半で、本格的なファンタジーラブロマンス部分が後半。

なぜ触れずに済ませることができないかと言えば、DIDは視聴者にとってごく普通の、一般的な病気ではないから、説明なくしては視聴者はこのドラマを理解しえないから。

ただし、そのDID設定が、どちらかというとドラマに都合のよいように脚色されたDIDだから、やはり不自然で、その違和感が混乱の一因となる。

つまり、どこがファンタジー的要素で、どこが現実的要素なのかがよくわからずに、見る側は混乱するのだ。

例えばシークレットガーデンもファンタジーラブロマンスだが、ファンタジーの要素は男と女の身体の入れ替わりで、現実にはありえないことだとわかるから、視聴者はこの部分はすぐにファンタジーだと認識した上で、それを楽しむことができた。

今から思えば、舞台がワンダーランドという遊園地であったり、ビルの屋上からのダイビング救助やロープの綱渡り脱出などがドラマの初めに登場したが、それらはこのドラマがファンタジーであることを視聴者に印象付ける役割を担っていたのだと気がつく。(((^^;)

DIDの知識がなくて、さらにドラマの企画意図を読まずにこのドラマを見始めた私は、ファンタジーと現実の間で混乱して右往左往した。

もちろん人それぞれで、私のような視聴者はヒョンビンファンの中では珍しいのかもしれない。ヒョンビンの圧倒的ビジュアルと演技力が楽しめるラブロマンスでいいのかもしれない。

しかし、DIDに対する正しい知識と理解がなければ、このドラマの中で描かれているDIDのソジンとロビン、ハナの三角関係の展開はなかなか理解できないのではないだろうかと、私は思う。そして、このDIDをファンタジーとして描いたことがドラマをわかりにくくした一因ではないだろうかと思う。

現実のDIDは外観は同じだが、本質(中身)が異なる。ハジナのDIDはファンタジーだから、外観も本質も異なるように描かれている。


ハジナでは、ソジンのハナに対する感情の変化はDIDという病気を踏まえた上でも、よく描けているのではないかと思う。

しかし、ハナの心が描けていないようにと感じる。

なぜなら、ハナは現実ではありえないような環境、ファンタジー的環境で、恋をする設定になっているからだと思う。

ソジンとロビンは、一日を半分ずつ分け合う安定したDIDとして描かれていて、ハナは基本的に、ロビンを外観でロビンと認識できる環境でロビンに会う。が、現実ではこういうことはあまりない。だから、これがファンタジー的環境になるのではないかと思う。

ロビンは、自分はソジンの虚像ではなくて、別個の人格と主張する副人格だから、髪型から声から服装からすべて別人に見えるようにヒョンビンが完璧に演技する。だから、ハナは、基本的には、ロビンを外観も本質も別人と認識できるような設定でロビンに会うことになるが、このような設定はDIDでは現実的ではないから、なぜ簡単にハナが、同一人物であるはずのロビンとソジンを別人だと思えるのか、私は理解に苦しんだ。

もちろん、ヒョンビンが全く別人に見えるように演じているからだが、現実のDIDでは主人格と副人格の外観が全く別人に見えるように異なっていることはないから、先ず、この時点で違和感を感じてしまう。

ファンタジーだから、これでも良いのだともいえるが、逆に言えば、視聴者はDIDの本質が何なのかわからなくなる。一般の人がDIDをまるで「化け物」のように感じてしまうのは、外観が同じなのに中身が異なること。外観は同じ人物なのに、まるで2人の人間が住みついているように記憶が異なること。

ドラマの中でハナは、2人が髪型や服装や表情などを似せれば(外観を同じにすれば)、ソジンとロビンの区別がつかない。

ロビンとハナが初めて出会った時、ハナはロビンをソジンだと思った。それは外観が同じだったから。

2人が髪型や服装などを変える間もなく現れる場面、ロビンが気絶して突然ソジンになる場面があったが、その時もハナはロビンが気絶してソジンが目覚めた時、ソジンだとはわからなかった。外観が同じだったから。

本来のDIDでは気絶して突然別人格になる人格交代がほとんどのようで、周りの人は気絶して目覚めた人格が外観だけでは誰かわからないのが普通。気絶する前と後で外観が同じだから。

チャ・ドヒョンの場合もそう。彼が気絶して目覚めた時、オ・リジンは外観が同じだから「シン・セギなの?」とか「ヨナ?」とか尋ねる。つまり、彼を愛している恋人ですら、普通は外観だけではどちらか判別できないのが現実なのだ。だって、同一人物なのだから、それは当たり前のこと。

その当たり前のことが、当たり前として設定されていないソジンとロビンの何をよりどころにして、ハナが2人を別人だと判別しているかと言えば、ハジナでもハナはやはり外観に左右されていて、外観の変化なしでは、ハナは2人を判別できなかったような気がする。2人の本質で判断しているのではないような気がした。

ロビンが現れず、突然しかたなくソジンがロビンを演じた場面でも、ハナはロビンではないとわからなかった。この段階ではソジンが変化したことで2人の本質が似通ってきたから、わかりにくくなって当然だが、2人がDIDだとわかっても、愛しているのはロビンだけで、あなたも愛してるなんて、間違えないでほしいと、ソジンに冷たく言い放つ。自分は本当は外観が同じなら、見分けがつかないのに・・・(苦笑)。その辺のハナの心理が私にはよく理解できなかった。

DIDは外観が同じだから、おそらくハナはロビンを通して、本当はソジンを見ていたことにもなるのだと思うのだが、その辺のハナの心理があまり描かれていないため、最後にハナがソジンを受け入れる心理過程がよく理解できないままでドラマは終わってしまったような感が残る。

「全く違う2人の男と恋に落ちた女の甘くビビットな三角ロマンス」と銘打たれても、ハナが2人の男を同時に愛したという心理過程がわかりにくいような気がするのだ。ハナは別人の2人の男を愛したのではなく、同一人物だからこそ、2人の男を愛することになったのだろうと思うのだが・・・。

2人がDIDで同一人物だと知った後は、ソジンを拒否してロビンだけを愛しているという。ロビンを守るためになの? しかし、次第にソジンを守るように変わっていく。なぜ?その辺のハナの心理過程が描かれていないから(ハナが考え込んでいる場面だけ)、ラブロマンスとしても不完全燃焼の感が否めないと感じる。

ちなみに「キルミーヒールミー」のオ・リジンのDID主人公に対する愛の描き方は現実的でありながら感動的。何ら、違和感はない。それはDIDの描き方がファンタジーではなくて、現実的だからだと思う。

彼女も最初、「チャ・ドヒョン」の副人格「シン・セギ」を好きになり、チャ・ドヒョンがDIDであることを知って、すべての人格を愛し、受け入れていく。そしてその過程で、「シン・セギ」に対する感情は実はチャ・ドヒョンに対する感情でもあったことに気がついていく。なぜなら、2人は一人だから。

一方、ソジンは、ハナがロビンを好きだというのは、ロビンを通してソジンを見ていることになると思っているので、「君は、本当は僕を好きなのだ」と言ったら、ハナに怖い顔で睨まれるようになる。(大笑)


チャ・ドヒョンの副人格「シン・セギ」はロビンと同じような役割だが、彼はチャ・ドヒョンがトラウマを克服して自分が消えゆく前に、オ・リジンにこう言う。
「例え、チャ・ドヒョンの虚像でもいいから、君のそばにいたい・・・」と。

一方、ソジンはハナに対してこう思う。
「例え、DIDが治らなくてもいいから、君のそばにいたい・・・」と。


ヒョンビンが優れた演技力と圧倒的ビジュアルで、主人格と副人格を中身が異なるだけでなく、「外観も異なる2人の男性」として演じ分けるから、余計にハナも視聴者も混乱して、DIDにおいては、ロビンはソジンの虚像・症状に過ぎないことが実感として理解できなくなり、それがドラマにさらなる必然的混乱を巻き起こしてしまったとも感じている。



ハジナの放送が終わった後で、韓国でこんな意味の批評が出たことがあった。
このドラマは、ヒョンビンの演技力とビジュアルを無駄遣いした。

当時は、この批評の意味がよくわからなかったが、今は私もそう思える。

ヒョンビンの優れた演技力やビジュアルが圧倒的な存在感を持ち、活きた人物として輝き、私たちに感動を持って迫ってくるのは、ドラマが活きてこそだと。

なぜなら、彼が渾身をこめて演じた人物は、ドラマの中の人物だから。

ドラマが活きていなければ、彼の優れた演技力やビジュアルはただ単に「心ときめかす動くきれいな絵」になってしまうかもしれないから・・・。
by dande550213 | 2015-09-23 20:54 | ヒョンビン:ハジナ | Comments(0)