あれから5ヶ月たったが、私は一度も里子に手紙を書かなかった。
書きたいというより、書かなければならないという義務感の方が強くて、なかなか書けなかった。
いろいろ理由はある。
熟慮の上ではなく、母を亡くした思いと交差して、里親支援を突発的に決めてしまったこと。
何よりも「里親」という支援の在り方がよく理解できていなかったこと。
当初、私は、ユニセフのマンスリーサポートのように、飢餓や栄養不足で深刻な生命の危機にさらされている子どもたちの支援をイメージしていた。ユニセフと違うところは「深刻な生命の危機にさらされている一人の子どものサポートの継続」だと思っていた。
だから、送られていた私の里子になる子どもの写真とプロフィールを見たときに、少し違和感を感じた。
両親と死別したわけではない。代わりの保護者もいる。小学校にも通っている。しっかりした教育を受けていて、7歳にもかかわらず、しっかりした英語で自己紹介がかける子どもだった。

想像していたのとは違って、その地域では恵まれた子どもの範疇に入るような子どもに思われたからだ。
また、写真をみると、我が家に滞在したウガンダのワトトの子どもたちのようなアフリカンではなくて、白人との混血ではないかと思うような風貌だったことも、もしかしたら、恵まれた子どもの範疇に入るのではないかという思いを抱かせた一因かもしれない。
世界里親会が支援する里子の多くは、社会的、経済的貧困の中に育ち、両親と本人の希望にも関わらず、教育を続けて受けることのできない子どもたちで、このような子どもたちが教育を受けることで、本人のみならず、家族や地域全体が自立し、発展していく可能性を持っていることに着目した支援プログラムだということを理解した時、「深刻な生命の危機にさらされている子どもたち」の支援の方が切実な問題だから、ユニセフのマンスリーサポートを増額する方が、より私の願いにかなうのではないかと、少し迷いが生じた。
そんなやこんなで、同封する写真は早くに用意していたのに、なかなか手紙が書けなかった。
もうそろそろ書かないとクリスマスに間に合わない・・・と、火曜日に、辞書を引きながら、やっと書いた。
初めての手紙を書いたら、心の重しが取れて、ほっとしている。
里子と私を結ぶ手立ては手紙だけ。
もっと早くに書いてあげたら良かったと後悔している。
里子との交流は始まったばかり。彼女の先生になる夢が実現する日まで続くだろう。
遠く離れていても、彼女に寄り添って、私も一緒に歩む日々が、いつの間にか始まっていた。