父のように長年闘病生活を送り、最後は1年半ほど入院していたわけではなく、母は体調異常を訴えてから3ヶ月、病名(悪性リンパ腫)がわかり入院生活を始めて2ヶ月、それも最期の2週間前までほぼ普通に暮らしていて、最後は食事と治療をすべて拒否して、老衰のように穏やかに死んでいった「あまりに短い、母の人生の最初で最後の入院生活」が時々幻のように思えて、田舎に帰れば、また母が迎えてくれるような錯覚に陥るのだ。
しかしながら、その田舎の家も、変わらぬ私の実家ではあるが、母が死んでしまった今は、気軽に使うこともできなくなったことを思い知って、ついに最後の最後の大切なものまで無くしたような喪失感に襲われるのだ。
父が死んだ時、実家の山林や田畑、家などの不動産はすべて岐阜に住む弟が相続したが、母が生きて住んでいたので、母の顔を見に、気軽に実家へ行けたが、母の死後は当たり前のことなのだろうけれど、実家を管理する弟に連絡してからでないと実家を使えなくなったので、精神的にがっくり来ている。
嫁いだ娘は両親の死を契機に、皆こういうさみしい思いをするものとは知っていたが、いざ自分がその立場になると、やはり失ったものの大きさに愕然とする。
また、災害で家や家族を一瞬にして失われた方々の喪失感の一端がわずかながら理解できるような気がする。人々が語られる言葉を今まで別世界の人々の言葉のように感じていたが、こんな大きな悲しみと苦しみを背負っていらっしゃたのかと、改めて知った。
私の喪失感など「世のならい」だから、いずれ時がたてば癒されるが、地震、津波、洪水、殺人、事故などで愛する家族を一瞬にして亡くされた方々の喪失感は決して癒されることは無いのだろうと案じる。
しかし、それでも尚、残された人間は生きていかなければならないのだ。。。。