9時の第一礼拝に行ったら、今日はイースターで第一礼拝は8時半から大和川の河川敷であるのをすっかり忘れていた。第2礼拝に出席しようかな...とも思ったけれど、礼拝時はスマホの電源をOFFにしなければならないし、何となく落ち着けないような気がして、礼拝を欠席した。
家で掃除したり、久しぶりにブログを更新したり、買い物に出かけたりと普通の生活をしているが、心は落ち着かない。
昨日から、母は鎮静剤を使うほど、苦しさを訴えるようになっているからだ。
昨日、14時頃に急に母が苦しがって手を差し伸べてきたので、私はいよいよ母が死ぬのではないかと慌てた。弟が病院に到着するまでにまだ3時間ほどかかるし、近くに住む妹を呼んだ方が良いかと母に聞いたりした。
母の枕もとでイエス様に死を迎えようとしている母のための最期のお祈りもした。母も涙を浮かべていた。しかし、まだ最期ではなかった。
看護師さんにバイタルを調べてもらうが異常なし。これを間欠的に小1時間ほど繰り返した後で、看護師さんが鎮静剤を使うことを勧められた。
この薬は今回が初めてではなくて、1週間ほど前に妹が看ている夜間に1回使った薬だそうだ。これを使うと意識が少し朦朧として眠れるのだそうだ。
今回も母の同意を得て使っていただいたが、この薬はいったい何なのだろうか?
もしかしてモルヒネ?
この薬を使うと、母は安らかな眠りに落ちて、半日ほど平安な時を得ることができるようだ。
病院の裏手にある大阪聖ヨゼフ宣教修道女会の箕面修道院と祈りの家。
不思議と尿は出ていましたが、その頃からお腹に貼ったモルヒネの貼り薬を1枚から2枚に増やし、苦痛はさほどなさそうでした。
最後まで意識はしっかりありましたが、尿が全く出なくなって4日目ぐらいに宿便のような物が出た次の日亡くなりました。
生きる事も死ぬ事も出来ず、死ぬのがこんなに大変な事だったんだと思い知らされました。
最後の最後まで耳は聞こえていたようですので、お傍で励ましてさしあげて下さいね。
あの年代の人はそういう意識の人が多いのでしょうか?
色々考えさせられる看とりでしたが、潔い母の死に様は心を打ちました。
40代で義父母を、50代で実父母を看送ることになり、どちらの親も「子孝行」と言えるかもしれませんね。