毎年、この季節になると、娘が繰り返しくりかえしいう言葉がある。
「うちのお母さんって、私のセンター試験の日に、兄ちゃんの食事を私に作るように言いつけて、自分は旅行に出かけたんやで~。ひどい親やろ~。信じられへんやろ~。」
本当にこの私がそんな薄情なことをしたのだろうか?と思うが、当時の記憶が全くないのだ。
念のため、冷蔵庫に貼りだして予定を書き入れている家族のカレンダーの2006年1月のページを見てみると、娘のセンター試験の記載がないので、2006年度のセンター試験がいつだったかもわからない。
ネットで調べてみると、2006年度は1/21・22の土日だったらしい。
カレンダーのその日には、娘のセンター試験も私の旅行の予定も書いてなくて、夫の出かける予定だけ書いてあった。
このカレンダーは、各自が家族に自分の予定を知らせたい、知らせておく必要のある時に書きこむ決まりになっていたから、センター試験の記載が無いということは、娘はわざと(?)書き込まなかったのだろう。
その3年前の息子のセンター試験の日は雪が降ったような記憶があるが、不思議なことに、娘のセンター試験に関しては全く記憶がないから、もしかしたら、私は娘のセンター試験のことを当時忘れてしまっていたのかもしれないなあ・・・と思う。
まさかセンター試験受験の日にちを知っていて、その日に娘をおいて旅行に出かけることはないと思うから、もし出かけていたとしたら、きっと忘れてしまっていたのだろうと、思う。
そもそも、娘がカレンダーに書き込まなくても、受験生の親として、受験日などは当然把握しておくべき情報だったとは思うが、仮に知っていたとしても、私たち夫婦はいつもの日々と何ら変わることなく過ごしていただろうと思うのだが。
娘は他にもよく言う。
「お母さん、うちの親は外国から見たら、ネグレクトで訴えられるで!」
ネグレクトとは聞き捨てならない!栄養を考えた食事も作り、服も手作りしていたではないかと反論すると、親が子どもの習い事の送迎などをしないで、小さい頃から一人で通わせたことを言っているのだと言う。
外国では、行き帰りに子どもがさらわれたりする危険があるから、学校の往復でさえ親が子どもに付き添って送って行くのが当たり前になっていると言う。だから、もしお母さんが外国に住んでいたなら、ネグレクトで訴えられるよ、という意味だそうだ。(^-^;)
娘が小さかった頃の私は今のように元気ではなくて、家で寝たり起きたりぐらいの生活しかできなかった。だから、しかたなく、一人で通わせていたのだが、娘はやはり当時寂しかったのだろう、不安だったのだろう。
私たち夫婦は、どちらかと言えば、子どもに多大な思い入れはない。もしかしたら、強い家族意識もないかもしれない。かなり突き放して育ててきた。いわゆる過保護とか過干渉とかは全く無縁。かと言って、放任でもなかったと思う。
「子どもの成長と可能性を信じて、静かに見守る」ことに徹してきたつもりだ。
口出ししたいこと、手助けしてやりたいことはいっぱいあったが、我慢した。もっと親が教育熱心にならないと子どもが可哀想だと、責められたこともあった。親が子どもに無関心だと、非難されたこともある。
今でも悔いはないが、時々、娘の言葉に、胸が痛むのも事実。