彼女の本を手にとったのには、2つの動機があった。
一つは、ロンドン旅行に備えてロンドン生活の情報を得るため。もう一つは、私もいつか橘雅子さんと同じ理由「観光旅行ではなく、短期間でも生活がしてみたい」という理由で、スペインへ短期の語学留学をしてみたいな...と思っているから、同世代の女性の体験に興味があったこと。
彼女のことはそれまで全然知らなくて、ふつうのおばさんがロンドン留学されたのだと思って読み進めたら、何と彼女の本業は推理小説の翻訳家だった。おまけに若いころ、アメリカ短期留学を2度、30代には子連れでオスロ生活を半年もされていて、ロンドンも2度目というから、現地での会話にはほとんど不自由しない語学力の持ち主だとわかった。
その彼女が今更どうしてロンドン留学か、というのがこの本のミソなのだが、ご主人と離婚した経緯や彼との思い出、人となりが本に描かれていて、興味をそそった。ご主人の名前は伏せられているが、どうも有名人のようだったので、ネットで調べてみたら、何と彼女の元夫はノンフィクション作家の立花隆氏だった。
離婚後、彼女は働きながら一人息子を育て上げ、彼が就職したのを機に、新たな人生の再出発のきっかけにしようとロンドンへやってきた。
この本には、彼女の51歳から53歳まで、1996年から1998年にかけてのロンドンで出会った交遊録が記されていて、翌1999年7月に出版されている。
1999年6月の日付で、この本のあとがきに彼女は次のように書いている。
”Better late than never"遅くてもしないよりまし。人生の再出発に遅いということはない。精いっぱい心を尽くしてきたことを糧に、50代の再出発。健康でいさえすれば、これからだって多くの可能性がある。わたしはそれを信じて、エレルギー全開で、これからも生きていこうと思う。
しかし、彼女は翌2000年に『飛鳥への伝言―がん宣告の母から息子への50通の手紙―』という本を残して、亡くなっているのだ。
前の本のあとがきが書かれた1ヵ月前に、彼女は突然「肺がん(腺がん)の4期で、すでに脳や骨にも転移していて5年生存率6%」と宣告される。まさに青天の霹靂で、再出発を記したばかりの彼女にとって、それはあまりにも残酷で不条理としか言いようのない宣告だっただろうと、悲しい。
闘うことをやめたら、わたしは死ぬしかない。まだ死にたくない。どう立ち向かうか、傷だらけの心を抱いて、自分なりの闘いをするしかない。まだ絶望するには早すぎる。だって、これから新たな人生をはじめるつもりだったのに。
人は一人で生まれ、一人で死んでいく。家族や友人に取り囲まれ、仕事に精を出し、子育てに夢中になっているあいだは、自分はいずれ死ぬ、そのときは一人なのだということを、ほとんど忘れて生活している。
人は、生を受けた瞬間から「死」という宿命を負って生きなければならない。その日がいつ来るかは誰も知らない。だからこそ、生かされている毎日毎日が真剣勝負の日々なのだと、改めて思わされた彼女が残した2冊の本。