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1988年8月『 私の闘病記―発病して3年―前編 10/10 』
(全国膠原病友の会 関西ブロック 『明日への道 ブロック版 №55』)
<退院にこぎつけるまで>
やがて、腎臓の再検査の結果がわかり、当初の予想とは異なって、ループス腎炎でも難治性のタイプと知らされました。そして、このまま尿蛋白が改善されなければ、免疫抑制剤かパルス療法をすると予告されましたが、12錠を7週間飲んだ後、突然、とにかく減量して様子を見てみようということになりました。
10錠になると、プレドニンは朝と夜だけの服用なので、夜は4時間ぐらいは眠れるようになりましたが、筋力が低下したのか、リンゴの皮がむけません。トイレで立ち上がるにも力が入らず、歩くときもフワフワした感じで転びそうになりました。視神経がブレるのか、ベッドに寝ていると病室が左右に揺れて見え、地震だといって看護婦さんを驚かせたこともあります。また、一時期、たいしておかしくもないのに妙に笑い転げて「大野さんて、ゲラだったのね」と不思議がられたこともありました。
プレドニンが減量になったのはうれしいのですが、12錠でも尿蛋白が改善されなかったのに薬を減らしても大丈夫なのかしらと疑問を感じていました。入院して2ヶ月が過ぎたのを機に、この際、今までの疑問点を主治医にぶちまけてみようと思いつき、その旨を話しました。
そこで初めて、SLEの症状としては光線過敏症とループス腎炎WHO5型、現在までの治療により免疫学的には改善されているので、薬を減量しても今以上に腎臓の病変が進むとは考えられないこと、腎臓が修復するのを根気よく待つ必要のあること、万が一悪化すれば、その時点で免疫抑制剤を併用すればよいし、免疫抑制剤は外来通院でも使えることなどを知りました。30分にも満たない会見でしたが、この話し合いでどれほど気が楽になったことでしょう。長い間の胸のつかえがおりたようで、しばらくは放心状態でした。
以後、プレドニンは10日に1錠ずつ減量されていきました。11月の下旬には、今までの経過をグラフにして見せてくださいました。その時に、どのような検査の値が治療の目安になっているかを教えていただきました。
12月25日に待望の4錠になり、12月31日から1月5日までの試験外泊を経て、1月15日に4ヶ月半の入院生活にピリオドを打ちました。
(後編に続く)
私の父母の場合も、子どもは大阪、岐阜、神奈川と遠く離れて住んでいるので、日常的に介護を手伝うことができません。子どもの誰かが近くに暮らしていて母を助けてやれば、父はまだまだ在宅で過ごすことができるのですが・・・。
誰もが通る道です。父母の問題だけでなく、私たち夫婦の老後の問題でもあることを感じます。