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1988年8月『 私の闘病記―発病して3年―前編 9/10 』
(全国膠原病友の会 関西ブロック 『明日への道 ブロック版 №55』)
<闘病意欲が湧いてくる>
病気の性質やステロイドの副作用について詳しく知らされないままに治療を受けていることに不安を感じていた私は、一読して、「私が知りたかったことはこれだ!」と思いました。頂戴するのは申し訳ないので、コピーを取らせていただき、何回も読み返しました。読むうちに、私の予後の良し悪しの少なくとも半分は私の生活態度如何にかかっている。それならば、その部分は自分自身の力でしっかりコントロールできるようにがんばろう、と初めて闘病意欲がわいてきました。そうして、病気の再発と薬の副作用の予防という観点から患者が主体的にできることを知り、それを実行することがひいては治療の一助になると考えました。
幸いにも、地下に書籍部があったので、腎臓病や高血圧、食品成分表などの本を買い込んで勉強を始めました。(なぜか、膠原病の本はありませんでした。)
病院の食事だけではカルシウムやビタミンが不足していると思い、毎週のように、煮干や果物を届けてもらいました。骨に負担をかけないようにと、以前から太り気味だった体重を標準体重にまで減量しました。運動もしないで、しかも食事も残さないで、2ヶ月で5㎏も減量したので、主治医やベテラン患者さんから「プレドニンを12錠も飲んでいて体重が減るなんて、大野さん、癌と違うか?」と冗談交じりに言われたこともありました。
また、食事に時間をかけ、一口くちに入れるたびに30回ほど噛んで食べました。一回の食事で満腹感を味わいたかったのと、できるだけ食後すぐにステロイドを飲みたかったのです。私の病室はナースステーションから一番遠くにあるので、朝の看護婦さんの忙しい時間など、普通に食べ終わると食後1時間半から2時間ほどしてやっとステロイドが配られることが多かったのです。これでは、“食後服用”ではなくて“食間服用”だと、食事時間の引き伸ばしを図ったのでした。
今から思えば、私のしたことは滑稽でストレスがたまり、かえって体のために良くなかったのではないかと思いますが、当時の私は家で待つ子どもや主人のために一日でも早く良くなりたい、良くなるためならどんな辛いことでも我慢すると必死だったのです。
(続く)