即刻、死刑の宣告を受けるのは、送られてきた90%ぐらいで、残りの10%ほどの人々は、死と隣り合わせになりながら、工事現場などで奴隷のごとく働かせられるのだということを知らなかった。
工事現場等で重労働をさせられるわけだから、ガス室送りから免れる者は壮年の男子で、使い捨ての労働力として、利用される。労働力にならない女性や子どもや高齢者は収容所に着くなり、すぐガス室に送られたという。
フランクルが収容所に送られた年齢は、20代後半だと思われる。だからこそ、彼はすぐに死刑宣告は受けず、収容所暮らしをさせられることになった。
彼には妻と二人の子どもがいて、妻子と自分の両親はガス室で殺され、或いは餓死した。そのことを彼が知ったのは、収容所から解放されてからだったという。
彼は、当時、少壮気鋭の精神医学者として将来を嘱目され、ウィーンで研究生活を送っていた。
「心理学者、強制収容所を体験する」。副題ともいうべき、この言葉。
過酷・熾烈な収容所暮らしをさせられている人々や自分の、生き延びるための過酷で熾烈な戦いと心理状態、心の反応を、心理学者の目を通して分析し、体験記として語っている。
(続く)
自分の記憶の確かさを証明するために?でもdandeさんの解説が早々にあり注文する必要なかったかな?解説(続く)期待します。
フランクルはその後、1977年に改訂版を出しました。それを翻訳したのが、今回私が読んだ新版です。
旧版と新版の大きな違いは、旧版には「ユダヤ」という言葉が一度も使われていないことだ、と、新版の解説に書いてあります。
この件、旧版読後にぜひ教えくださいね。