今回の講師は、天台宗の僧侶からキリスト教巡回伝道牧師と変えられた松岡広和牧師。
午前の特別伝道礼拝と午後の講演の内容は、一冊の本にまとめられている。↓
午前は、お寺に生まれ、仏教系の大学の大学院にまで進み、さらに仏教を極めようと韓国の仏教大学でも学ばれた天台宗僧侶であった師の証し。
午後は、釈迦から始まった仏教が釈迦の死後の歴史の流れと伝播の中でどのように変化したかを詳しく解説してくださった。
頭で信仰を考えようとする傾向の強い私には、理性的にも霊的にも納得できる非常に恵まれたひとときだった。
師の上記の著書の「おわりに」から、示唆に富む次のことばを、転載させていただきたいと思う。↓
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福音宣教は、その国の文化をまったく無視しては成り立たないと思います。もし、文化を無視した宣教をするなら、せいぜい、その国の中にごく小規模な異質の文化圏を形づくるにとどまり、それ以上、広く人々に浸透することは不可能でしょう。
仏教が日本に伝わって、約1500年という気の遠くなるような歳月が流れています。日本の文化は、仏教を抜きにしては考えられないものとなっています。
仏教を理解するのも、日本の福音宣教にとって必要なことと信じます。その理解も、深くは必要ないでしょうけれど、正しい理解が大切です。いたずらに批判したり、または、キリスト教に都合の良いように曲げて解釈したりしてはいけません。もちろん、妥協も許されないことです。
『伝道の書』3章11節に、「神は、人の心に永遠を与えられた」という御言葉があります。どの国の人々であっても、どんな宗教の人であっても、みな神様によって造られた人々です。ですから、本能的に、造り主である神様を求める思いがあるはずです。
伝道も、他の宗教に対してただ対決の姿勢をとるのではなく、相手をまず理解し、その人の心の中にある「造り主である神様を求める思い」に訴えていく方法をとるべきでしょう。人の心が本当の神様に出会うとき、それまでどんなものを大切にしていたとしても、おのずから本当でないものから離れるでしょう。本当の救いは、イエス・キリストにしかないからです。
「この方(イエス・キリスト)以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです」(使徒の働き 4章12節)
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