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ステロイド剤と2人3脚の全身性エリテマトーデス(SLE)患者の " 猪突猛進、横道うろうろ "人生備忘録:落ちこぼれクリスチャンが心を入れ替えて(- -;)学ぶ日々の「御言葉」と、スペイン語の勉強、SLEの病状などの日々のささやかな記録・・・というのが当初の自己紹介でしたが、今は、単に「日々生きて、夢中になった事ごとの記録」(((^^;)


by dande550213
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プラハのスペイン・シナゴーグで買ってきた本の続き。

頓挫しかかっていたのを、また気を取り直して・・・。(((^^;)

*フス戦争のあと、1526年、チェコはハンガリー南部のモハーチの戦いでのオスマン・トルコ軍に敗れ、その時に王のルドヴィークが命を落として、ヤゲウォ朝が断絶した。そこでチェコ王選挙が行われて、最終的にチェコの貴族や市民が自分たちの国王に選んだのがオーストリアを治めるハプスブルク家のフェルディナンドだった。ここから、ハプスブルク家の支配が始まる。

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プラハのユダヤ人の歴史(3)
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フェルディナンドⅠ世(1526-1564)の治世はチェコ人とユダヤ人に大きな不幸をもたらした。1567年に皇帝マクシミリアンⅡ世がユダヤ人の特権を確認した。
そして、ルードルフⅡ世の治世の間に、経済的・文化的な大発展がユダヤ人コミュニティに起こった。ルードルフⅡ世は1576年にユダヤ人の特権を確認し、ユダヤ人を再び強制退去させないことを保証し、1585年にはユダヤ人に対しては宮廷の裁判所の司法権を認め、1599年にはプラハの町でのユダヤ人に対する関税や通行税を免除した。
それによって、ユダヤ人コミュニティはより強力な独立を得て、交易や金融、手工業が大きく発展し、ゲットーには自由と活気があふれ、人口も増大した。
ルネサンス期のユダヤ人街のリーダーがモルデシャイ・マイセル(1528-1601)だった。彼は宮廷ユダヤ人としてルードルフⅡ世の財務を担当し、閣僚にもなり、彼の名を冠したシナゴーグを建設したり、ユダヤ人墓地を拡張したりした。
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by dande550213 | 2016-07-06 09:23 | 旅行 | Comments(0)

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中世社会におけるユダヤ人の境遇は十字軍と教会の勅令、宗教的な非寛容さの影響で、次第に悪化していった。

それゆえ、チェコ王のプレミスル家のオタカル2世は1255年と1262年に、ユダヤ人と彼らの財産に対するいかなる暴力をも禁止し、彼らの居住区とシナゴーグを保護し、彼らの祭りの不可侵を保障する法令を発布した。

ユダヤ人は彼らの宗教を学ぶ自由を保証され、彼ら自身の行政と司法機関を設立することを許可された。ユダヤ人街の入り口は王の勅命によって、ユダヤ人を保護するために6つの門によって、閉ざされた。

後の支配者もユダヤ人に関する法律を確認したにも関わらず、反ユダヤ人妨害が時あるごとに起こった。

1389年のイースターには、宗教的不寛容さの高まりによって、プラハの暴徒がゲットーを攻撃して、ユダヤ人住民を多数虐殺した。

ユダヤ人コミュニティは、1420年から1437年のフス派の宗教戦争の影響をも受けた。フス派はカトリック教会によってユダヤ教の一派だと烙印を押され、聖書のイスラエルと同一視された。

ユダヤ人はフス派に同調して、カトリック教会、特にドイツからの十字軍に対してフス派とともに戦い、財政的な支援を与えた。

フス戦争の結果、教会と王の力が弱まり、代わりに貴族と自治都市の力が強くなった。王の宮廷では、プラハ旧市街の都市法廷がユダヤ人に対する裁判権と税の徴収権を獲得して、影響力を拡大した。

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by dande550213 | 2016-05-19 11:15 | 旅行 | Comments(0)

プラハに着いた翌日(5/5)に、ユダヤ人地区(Josefov)へ行き、一番最初のスペイン・シナゴークのミュージアム・ショップでこの本を買った。
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帰国後、辞書を引きながら、少しずつ読み進めている。



プラハは中央ヨーロッパの歴史ある優れたユダヤ人センターの一つで、その地理的位置はボヘミアの真ん中にあり、ボヘミアの他のユダヤ人コミュニティの核をなし、チェコ王国のユダヤ人の歴史の大部分を占めている。

頻繁に起こた自然災害やポグラム(集団的な殺戮・略奪・破壊・差別などの行為)、追放令などにも関わらず、プラハのユダヤ人コミュニティは千年にわたる歴史を持っていて、近隣国から逃れてくるユダヤ人の避難所となり、結果として、ヨーロッパで最大のユダヤ人コミュニティの一つになった。

プラハは中世の初期から今も尚、ユダヤ文化の優れたセンターであり続けている。16世紀と17世紀のルドウィッヒ2世の治世時代に、プラハのユダヤ人街は黄金期を迎えた。偉大なラビや学者、哲学者が活躍し、彼らの中から天文学や数学、歴史の研究をした人々も現れた。19世紀から20世紀への転換期には芸術家や作家が活躍して、近代チェコやドイツ、ヘブライ文学や文化が豊かに花開いた。


チェコの国にユダヤ人が来たのは、大モラヴィア王国の時代で、9世紀の初めだ。プラハの市場にユダヤ人商人が現れたのは記録では965-966年で、アラブ系ユダヤ人商人のイブラヒム・イブン・ヤコブだといわれている。当時のユダヤ人コロニーはプラハ城下のプリンセス市場の近くにあった。

1091年までには2つ目のコミュニティがヴィシヘラド城下にでき、1142年にはプラハ城下のユダヤ人定住はもっと増えていった。12世紀の中ごろにはヴォルタバ川の右岸の市場近くにもう一つのユダヤ人コロニーができ、これが後のユダヤ人地区になる。

この時代、ユダヤ人はプラハに住むドイツ人やローマ人?の商人と同じ権利と恩恵を受けていた。彼らは定住、貿易の自由を有して、彼らのコミュニティで生産したいろいろな産物を販売する許可も得ていた。中世の初期までに、プラハのユダヤ人コミュニティはユダヤ文化の一大拠点になっていた。

旧市街は13世紀初めに建設された。その城壁はHavelskéと旧市街広場の周りの主要な市場だけでなく、その北西のかどにあるユダヤ人コロニーをもまた囲んでいた。最も古いユダヤ人の定住エリアはOld Shul(後にスペイン・シナゴーグが建てられたスポット)の近くまで拡張された。中世ゲットーのメイン道路に沿った他の定住地は今はSiroká通りになっている。初期のころから19世紀の終わりまで、この通りの中心部の長方形の一角はゲットーの商業と公共の重要なポイントだった。13世紀の中ごろになると、コミュニティは旧新シナゴークの地区にまで広がった。
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by dande550213 | 2016-05-18 09:11 | 旅行 | Comments(0)

アシュケナジ(アシュケナジム)とは、ディアスポラ(離散)のユダヤ人の内、主にドイツ語圏や東欧諸国などに定住した人々とその子孫を指す。アシュケナジはアシュケナジムの単数形。

語源は、創世記10章3節と歴代誌上1章6節に書かれている「ゴメルの子孫アシュケナズ」。

<創世記10章3節>
10:1 これはノアの息子、セム、ハム、ヤペテの歴史である。大洪水の後に、彼らに子どもが生まれた。

10:2 ヤペテの子孫はゴメル、マゴグ、マダイ、ヤワン、トバル、メシェク、ティラス。

10:3 ゴメルの子孫はアシュケナズ、リファテ、トガルマ。

10:4 ヤワンの子孫はエリシャ、タルシシュ、キティム人、ドダニム人。

10:5 これらから海沿いの国々が分かれ出て、その地方により、氏族ごとに、それぞれ国々の国語があった。


<歴代誌上1章6節>
1:1 アダム、セツ、エノシュ、

1:2 ケナン、マハラルエル、エレデ、

1:3 エノク、メトシェラ、レメク、

1:4 ノア、セム、ハム、それにヤペテ。

1:5 ヤペテの子孫は、ゴメル、マゴグ、マダイ、ヤワン、トバル、メシェク、ティラス。

1:6 ゴメルの子孫は、アシュケナズ、ディファテ、トガルマ。


もう一つの系統は「セファルディ」と言われ、主にスペイン・ポルトガル方面や地中海沿岸地域に定住した人々を指す。セファルディはセファルディムの単数形。これも、聖書由来の語。

<オバデヤ書20節>
1:20 イスラエルの子らで、この塁の捕囚の民はカナン人の国をツァレファテまで、セファラデにいるエルサレムの捕囚の民は南の町々を占領する。


セファルディの言語は、ラディーノ語(別名:ユダヤ・スペイン語、ジュデズモ語)であり、アシュケナジが話すイディッシュ語とは異なる。

様々なルートからヨーロッパに入って定住したユダヤ人は西欧では迫害を受けるようになり、1290年にはイングランドから、1394年にはフランスから、1492年にはスペインから、1497年にはポルトガルから追放される。

追放された彼らの多くはオランダや東欧(オーストリア、ボヘミヤ、モラビア、ポーランドなど)へ逃れていった。
Expulsions of Jews in Europe from 1100 to 1600.
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*By Expulsión_judíos.svg: Ecelanderivative work: ecelan (talk) - Expulsión_judíos.svg, CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=10844808



The Jews in Central Europe (1881)
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*By Richard Andree - Zur Volkskunde der Juden, Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=5950028


アウシュビッツ強制収容所がポーランドにあることは知っていたが、なぜポーランドにあれだけユダヤ人強制収容所が多かったのかについては考えたこともなかった。ポーランドは追放されたユダヤ人のヨーロッパでの最後の安住の地だったのだ。

ポーランド王国は1264年に「カリシュの法令」を出して、ユダヤ人の社会的権利を保護したと言われる。また、第二次世界戦でドイツに占領されるまで、ポーランドにはユダヤ人自治区「シュテットル」こそあれ、「ゲットー」というものがまったく存在していなかったという。13世紀の「カリシュの法令」以来、ヨーロッパのほかの国とは異なり、民族的に寛容な政策を国家・社会の根幹をなす伝統としていて、ユダヤ人はごく一部の大都市の旧市街を除いて、基本的にどこでも自由に住むことができ、その旧市街でさえも、ユダヤ人居住制限が近世にどんどん緩和されていった国だったと知って、恥ずかしい話だが驚いた。

5月上旬に訪れたプラハも基本的にはポーランドによく似ていたように感じた。

時の君主によって、保護されたり、追放されたりの変遷はあるが、西欧のような大規模の虐殺や激しい迫害は少なかったようだ。

いずれにせよ、彼らは後にアシュケナージと呼ばれ、同じディアスポラのユダヤ人でありながら、セファルディとは文化も言語も異なった。
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by dande550213 | 2016-05-17 14:05 | ユダヤ | Comments(0)

市長の間の丸天井横の絵。
残り4つ。

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by dande550213 | 2016-05-10 15:37 | 旅行 | Comments(0)

「市長の間」の丸天井横の8つの絵。
4つずつ。

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by dande550213 | 2016-05-10 15:26 | 旅行 | Comments(0)

スメタナ・ホールのある「市民会館のガイドツアー」をWebから予約しておいた。

ここは60歳以上は割引料金になる。(^_-)-☆
フルプライスが290CZKのところ、60歳以上は240CZK。日本円にして1100円ぐらい。

5/8(日)11:00~。所要時間は、だいたい1時間ぐらい。日本語の紙の説明書のような物があるよう。
The tours are in English and Czech language; printed versions of the commentary are available in German, French, Italian, Spanish, Japanese and Russian.


ツアールートTour route:
Smetana Hall – Confectionery – Moravian Slovak Parlour – Božena Němcová Parlour – Oriental Parlour – Grégr Hall – Palacký Hall – Mayor’s Hall – Riegr Hall – Sladkovský Hall – American Bar


E-tikcetをプリントアウトすればOK。パスポート提示で年齢確認をするのだろう。
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by dande550213 | 2016-04-30 16:53 | 旅行 | Comments(0)

2012/05/23 に公開されたスペインシナゴークでのチェコ・コレギウム「ガーシュインのThe Man I Love」のトレイラー。

Cech Collegium live at the Spanish Synagogue
Concert in Prague
G.Gershwin:The Man I Love



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ザ・ベスト・オブ・ガーシュウィン
2016年 05月 09日, 19:00
スペイン・シナゴーグ, プラハ - Main Hall

チェコ・コレギウム(Czech Collegium)とトランペット奏者のVladislav Kozderkaの演奏でガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」、「パリのアメリカ人」、「サマータイム」などの作品をプラハでお楽しみください。
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これを予約したいなぁ!(^^ゞ
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by dande550213 | 2016-04-22 17:42 | 音楽・美術 | Comments(0)

今年は仕事の日程の関係で、夏休みには海外旅行に出られそうにない。

が、その代り、久しぶりにGWが丸々休めそうなので、5月にチェコのプラハへ行く飛行機のチケットを3か月前に取っていた。(((^^;)

GWでも、5/3以降の出発だとそんなに高くはないのだ。

エミレーツで安いチケットを押さえておいて、後はドイツから無事帰れたら考えようと思っていた。

で、無事帰ってきたから、ドイツの整理をしながら、プラハの宿を調べてみたら、何とほとんど空きがない状態。おまけに値段も信じられないほど高くなっている。もう手が出せないくらい。(-_-メ)

もしかして、5月のプラハは、ハイシーズンだったのか?


泊まるところがなければ行きようがないので、「朝食付きで一泊1万円以下」という鉄則を破って、取りあえず、数か所予約しておいた。

まだ時差ボケも治らず、頭の中も整理されていない状態で、自分でもこりゃ欲ボケかも・・・と思うけれど、一人旅ができる残された時間の短さを思うと、気が焦るのだ。

だから、またギリギリまで体調を診ながら、チャンスがあれば出かけるつもり。


ドーハから関空へ帰ってくる飛行機の中で私と同じ旅の遺伝子を持っている女性と一期一会の楽しいひと時を過ごした。

彼女は私より5歳から10歳ぐらい年下だろうと思う。

この話は長くなるのでまた今度・・・。(((^^;)


今日は初めての役員会でもうクタクタ。( ..)φメモメモ
GWに旅行に出るとなると、片付けておかなければならない作業が山ほどあることがわかったから、役員会から帰ってきてすぐに、1つ処理した。
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by dande550213 | 2016-04-03 22:35 | 旅行 | Comments(0)