一歩一歩!振り返れば、人生はらせん階段 ippoippo51.exblog.jp

好きなリンク先を入れてください

ステロイド剤と2人3脚の全身性エリテマトーデス(SLE)患者の " 猪突猛進、横道うろうろ "人生備忘録:落ちこぼれクリスチャンが心を入れ替えて(- -;)学ぶ日々の「御言葉」と、スペイン語の勉強、SLEの病状などの日々のささやかな記録・・・というのが当初の自己紹介でしたが、今は、単に「日々生きて、夢中になった事ごとの記録」(((^^;)


by dande550213
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

主聖句 119:35 あなたの戒めに従う道にお導きください。わたしはその道を愛しています。

======================================================
私の心に残ったのは、次のみ言葉。

119:37 むなしいものを見ようとすることから/わたしのまなざしを移してください。

詩篇119編はあまりにも長く、おまけに同じようなタイプの詩が延々と続くので、途中で飽きてくる。

そして、この学びもあまり一生懸命を続けると、疲れてイヤになりそう・・・。


今、ヘブル会の発表にむけて、パスカルの「パンセ」を読んでいるが、これがまたすばらしい!
まるで、私の迷いを明快に解き明かすような記述があって、この本、もっと早くに読んでいたら、
私の気持ちもずいぶん楽になっていたのに・・・と、少し残念。

でも、これも真剣になって読まないと理解できない本なので、やっぱり疲れる。

そんなわけで、今日は一日中、家事しながら、
GYAOで、中国ドラマ「ラストエンペラー」を見ていた。

宣統帝溥儀の物語。
幼児期・少年期が終って、青年期の溥儀を、あの陳道明が演じていてビックリした。
彼は「康熙王朝」では康熙帝を演じていた。
娘の話だと「ヒーロー」にも出ていたというが、私はまだこの映画は観たことがない。

陳道明は独特の気品がある俳優だ。
ちょっと見にはふつうの顔なのだが、知性を感じさせる目の表情と気品ある物腰がすばらしい。
[PR]
# by dande550213 | 2006-04-19 21:48 | 御言葉 | Comments(0)

主聖句 119:28 わたしの魂は悲しんで涙を流しています。御言葉のとおり、わたしを立ち直らせてください。
=======================================================

ダレトで始まる章節。

詩篇のどの詩を読んでいても、
こんなに開けっぴろげに、
神様の前に自分の悩み・苦しみをさらけ出せたらいいなあ・・・と、
思わされる。

人間関係の中で自分の感情を押し殺すことに慣れてしまうと、
神様の前に出ても、言いたいことが見つからなくなる。

時々、神様の前でも
心がよろいをまとっているような気がすることがある。

どうしたら、解凍できるのかな?私の心。
[PR]
# by dande550213 | 2006-04-18 21:20 | 御言葉 | Comments(0)

主聖句119:18 わたしの目の覆いを払ってください/あなたの律法の驚くべき力に/わたしは目を注ぎます。
=======================================================

私は自分の力で、「わたしの目の覆いを払うこと」はできない。

神の霊感(聖霊)が私に臨んでくださって、
わたしの目の覆いを払ってくださり、
真理を解き明かしてくださらない限り、
私の信仰は「人間的なもの」にとどまり、
「魂の救い」のためには何の役にもたたない。

私がここ1ヵ月半ほどしていること、
「自分の頭で考え、推測し、整理している」ことは、
私の魂の救いのためには、無益な作業だと、頭ではわかっている。

私に出来ることは、せめてこの作業でもしながら、祈りながら、ただ待つことだけなのだ。

神が、わたしの目の覆いを払ってくださる「とき」を・・・。

信仰は、神からの賜物だから。
[PR]
# by dande550213 | 2006-04-17 10:16 | 御言葉 | Comments(0)

主聖句 20:27 それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」
20:28 トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。
20:29 イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」
=======================================================

今日はイースター。主の復活を記念する日だ。
名前だけのなまぐさクリスチャンの私が、1年で一番混乱する日だった。

なぜ、毎年混乱していたのかといえば、
「主の復活」に対する私なりのいろんな疑問を放りだしたままで10年を過ごしてきたので、
この日を迎えると、いつも振り出しに戻って、疑問がまたぶり返すからだった。

「だった」と過去形なのは、今日、少しわからせていただいたと思えるから・・・(笑)

10年前のイースターは4月7日だった。この日に、私は受洗した。
申し訳ないことに、受洗は見切り発車・先行投資だということは、自分でもわかっていた。

私のような人間は、「わかってから」とか「信じてから」なんて言っていたら、
きっと生涯、洗礼を受けることはないだろうと思ったからだ。

牧師先生にも言われた。

「森に入る前に、入り口の枝ぶりばかりに気を取られていては、いつまでたっても森の中には入れませんよ。」・・・と。私の性格をよく知っておられたのだ。

だから、私は、当時、本当にイエス様を信じたわけではないけれど、
でも何とか信じる者となりたいと思って、受洗したのだった。

洗礼式の時は、もう一人の私が、偽って受洗しようとしている私を冷ややかに見下ろしているような違和感を感じていた。でも、なぜか私は、式の間中、泣いていた。

そんなことを懐かしく思い出しながら、今日はイースターの礼拝後、10年分の埋め合わせをすべく(笑)、ちょっとがんばって聖書を開いて、今までの疑問点の自分なりの整理を試みた。

おかげで、私の混乱は全部私の不勉強が原因だったことがよくわかって、感謝、感謝のイースターとなった。

おまけに、今日の御言葉は、私にとっては特別な意味をもっている。

「私はヤコブです。」というように、自分の信仰上の性格(?)を聖書中の人物に例えられる方がいて、そんなとき、私はいつも「自分はトマスだ」と思っていたからだ。

トマスは、復活の主について、次のように言った。

ヨハネ 20:25 そこで、ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」

私もきっと、その場に居たら、そう言うだろうと思った。
そして、こうも思ったものだった。

トマスさん、あなたは疑ったけど、イエス様に会えて良かったね。実際に自分の目で見れば、信じられるものね。私なんか、イエス様はもう昇天してしまわれたから、自分の目では見られへんのやで。そやから、なかなか信じられへんのや・・・。イエス様を一度でも見たら、きっと私もすぐにでも信じるのに・・・。

でも、今日、御言葉を通して教えられたことがあった。

トマスは「見て触れないと信じない」と言っていたのに、イエス様が「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」と言われた言葉に、やっと気がついたんだと思う。

「信じる」ということは、見るとか触れるとか、確かめるとか、現実の実体や自己認識に左右されるような行為ではないんだ、そもそも「見ないで信じる」ものだったのだ、と!

だから、イエス様はこう言われた。
「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」

「見ないのに」ということは、「心で直感的に」ということ。

聖書のどこかにも書いてあった。
確か、「あなた方は、見ても聞いても信じない」という内容が・・・。

また、聖書以外でも
「人は見えていること全部を見るのではない、見たいことだけを見るのだ。同じように聞きたいことだけを聞くのだ。」という言葉をよく聞く。

つまり、同じように見ていても、信じる人は信じるし、信じないひとは信じない、ということ。

「現実に見えようが見えまいが、そんなことが問題だったのではないんだ!」とトマスは気がついたからこそ、イエス様には触れなかったのだと、今日、初めて思わされた。

イエス様が昇天されてから後の時代に生きる人々は、使徒たちの時代と違って、イエス様の言われる「見ないのに信じる人」たちの時代なのだ!だからこそ、イエス様は助け手として、聖霊を遣わしてくださるのだ。

そうは言っても、この聖霊もまた見えない。

どこまでも厳しい!

でも、私は10年前に乗った列車をまだ降りていない。途中何度も止まりながら、私の列車は、まだ動いている。
先行投資もまだ引き上げていない。利益が出ていないように思えるけれど、あきらめていない。
きっと将来、大儲けして、私は大きな喜びに満たされる日を夢見ているのだ(笑)。

私のらせん階段を下りないで、最後まで登り続けられるように、イエス様、どうか助け導いてくださいね。
[PR]
# by dande550213 | 2006-04-16 21:50 | 御言葉 | Comments(0)

主聖句 23:46 イエスは大声で叫ばれた。「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」こう言って息を引き取られた。
========================================================

十字架上でのイエス様の最後の言葉。
人間世界の言葉でいうなら、臨終のことば。

イエス様の「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」というお言葉は、この地上での人としての任務が終った後のこと、つまり「人が死んだ後」のことにも触れておられるお言葉だと私は思う。

亡くなられると、やがてイエス様の肉体は朽ち果てる。
しかし、霊は残るから、それを「父なる神の御手にゆだねます。」と言われたのだ。

このお言葉は、私たちにとってはとても重要だと思う。

それは、「人は死んだら肉体は滅びるが、霊は滅びない」ということを、イエス様自らが身を持って、宣言されたお言葉だと思うからだ。

もちろん、イエス様は御国や審判のことを述べ伝えられていたから、「人は死んでも霊が残る」ということはそれとなく推測できる。

しかし、「人としてのイエス様」が「人としての命を終えるとき」に、「わたしの霊を御手にゆだねます」と叫ばれたということは、よりはっきりと私たちに、「人は死んだら肉体は滅びるが、霊は滅びないのだ」ということを宣言されたことになるのではないかと、私は思うのだ。

そういう意味でも、私はイエス様のこのお言葉がうれしい!

私は、東京オリンピックの年に祖父を亡くした。確かそのとき、私は中学生だった。
それが、物心ついて一番最初に接した肉親の死だった。

棺おけの中に横たわっている祖父を見ているうちに、
ふと、死んでしまった祖父の心はどうなるのだろうと、
言いようのない不安に襲われたのだ。

そして、どう考えても、
「人は死んでしまえば、身体と同じように心(霊)も無くなるのだ」と思い至ったときに、
「死に対する恐怖」が芽生えた。

そのとき以来、時々気が狂いそうな恐怖に襲われ、
できるだけそのことは考えないようにして暮らしてきた。

だから永遠の命よりも何よりも、先ず第一に「霊は滅びない」ということを、
はっきりとイエス様のお言葉を通して教えていただいたことがうれしいのだ。
[PR]
# by dande550213 | 2006-04-15 09:45 | 御言葉 | Comments(0)