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ステロイド剤と2人3脚の全身性エリテマトーデス(SLE)患者の " 猪突猛進、横道うろうろ "人生備忘録:落ちこぼれクリスチャンが心を入れ替えて(- -;)学ぶ日々の「御言葉」と、スペイン語の勉強、SLEの病状などの日々のささやかな記録・・・というのが当初の自己紹介でしたが、今は、単に「日々生きて、夢中になった事ごとの記録」(((^^;)


by dande550213
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33:9 マナセはユダとエルサレムの住民を惑わし、主がイスラエルの人々の前で滅ぼされた諸国の民よりも更に悪い事を行わせた。
33:10 主はマナセとその民に語られたが、彼らはそれに耳を貸さなかった。
33:11 そこで主は、アッシリアの王の将軍たちに彼らを攻めさせられた。彼らはマナセを鉤で捕らえ、一対の青銅の足枷につないでバビロンに引いて行った。
33:12 彼は苦悩の中で自分の神、主に願い、先祖の神の前に深くへりくだり、
33:13 祈り求めた。神はその祈りを聞き入れ、願いをかなえられて、再び彼をエルサレムの自分の王国に戻された。こうしてマナセは主が神であることを知った。

33:23 だがアモンは、父マナセがへりくだったようには、主の御前にへりくだることなく、罪悪を積み重ねた。
33:24 彼の家臣たちは謀反を起こし、彼を宮殿で殺害した。
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ヒゼキヤの後を継いだマナセは、12歳で即位して、55年間王であったという。

彼は、イスラエルの神を捨てて、
アハズのようにカナンの神々のアシュラやバアルにより頼み、
自分の子をいけにえにして占いやまじないをしたり、
自分で作った偶像を神の宮に安置したりして、主の前に悪を重ねたと言う。

しかし、アッシリアに捕虜として捕らえられた時に悔い改めてからは、
主に立ち戻ったという。

その子、アモンは22歳で王となったが、
改心する前のマナセのように主の前に悪を行い、
家来の謀反にあって2年で殺されたという。

親から子へ信仰がしっかりと継承されないで、
一代でコロコロ変わるということは、
それだけカナンの神々がイスラエルの人々には魅力的に思えたということを意味すると思う。

なぜ、父祖伝来のユダヤの神ヤーヴェではなくて、カナンの神々に惹かれるのか・・・。

一番大きな原因は、ユダヤの神ヤーヴェは唯一の絶対神(孤高の神)で、
なお且つ、目に見える形をとること(像を刻むこと)が禁じられていることから、
人間にとって非常にわかりにくい、理解することが難しい神であることにありはしないだろうか?

それに比べて、カナンの神は多神教で、神々が人間と同じような家族の形態をとっているので、
人間にとってとてもわかりやすく、身近な存在に感じられること。
また、像を刻むことが許されているので、
常に「神の存在らしきもの」を目で確かることができると言う意味の安心感が得られること。

まあ・・・俗な言葉で言えば、
カナンの神々は人間受けする神であったということではないだろうか?

でも、これは人と宗教を考える意味で、とても重要な問題ではないかと思う。

私はカトリックを非難する意味でいうのではないが、
カトリックに見られるキリストの母のマリア信仰や列福された聖人信仰、
またそれらの像を刻んで、礼拝堂などに飾っていることなどを考え合わせると、
「目に見えない唯一の絶対神」は人間の理解や想像を超える存在で
人間にとってなかなか受け入れ難い難しい神になるのだろうと思う。
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# by dande550213 | 2006-07-20 18:54 | 御言葉 | Comments(0)

32:7 「強く雄々しくあれ。アッシリアの王とその全軍団を見ても、恐れてはならない。おじけてはならない。我々と共においでになる方は、敵と共にいる者より力強い。
32:8 敵には人の力しかないが、我々には我々の神、主がいて助けとなり、我々のために戦ってくださる。」民はユダの王ヒゼキヤの言葉に力づけられた。

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アッシリアの王セナケリブが攻めてきた時に、ヒゼキヤが戦士たちに与えた励ましの言葉。


今も世界の各地で戦争が相次いでいる。

戦場に向う兵士たちは、どんな言葉で送り出されているのだろうか。

イスラム原理主義の兵隊なら、ヒゼキヤのような言葉で送り出されるのかもしれない。

キリスト教徒やユダヤ教徒の兵士たちはどうなのだろうか?

誰しも、進んで人を殺したいと思うものはいないだろう。
しかし、殺さなければ自分が殺される、自分の家族たちが殺されると言う状況におかれたとき、
人はどう感じるのだろうか・・・否、感じることをやめるのだろうか・・・

私は、戦争を知らない幸いな世代だった。
このような極限状態に置かれたことはなかった。

しかし、今世界は確実に滅びに向って歩んでいるような気がする。
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# by dande550213 | 2006-07-19 21:53 | 御言葉 | Comments(0)

昨日のよくわからない「piensa」 ↓
Piensa que tal vez mañana yo estaré muy lejos,muy lejos de aqúi.

もしかしたら、この「piensa」は現在形3人称単数形の「piensa」ではなくて、
命令形の2人称単数形の「piensa」ではないかと思い始めた。

相手(恋人)に向って、

明日になれば、たぶん私は遠くに、ここからもっと遠くに行って居ないだろう、と思いなさい。(変な訳だが)

と言っているのではないだろうか・・・。

スペイン語は、動詞の活用形が主語の人称に応じて変化する。
だから、逆に言えば、動詞の活用形で主語の人称がわかるので、主語は省略されることが多い。

また、主語がある場合もその位置はかなり自由なので、
主語なのか、目的語なのか、判別に苦しむことがある。

問題の例文は、主語が省略されているとみることができるので、「piensa」は
(1)pesarの直説法現在形3人称単数形
(2)pensarの命令法2人称単数形
の、いづれかになると、今さっき、ようやく気がついた。≪(^-^;)
(語形がまったく同じだから、ややこしいのだ!!)

これは恋人の愛の歌で、相手を想って歌っている歌だから、
登場人物は1人称単数形の「私」と親しい相手の2人称単数形しか考えられないと思う。

だから、この「piensa」は、pensarの命令法2人称単数形と考える方が良いと思うのだが、
これで正解だろうか・・・?

私のスペイン語は、だいたいいつもこんな感じの暗号解読作業になってしまう。(笑)
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# by dande550213 | 2006-07-19 17:23 | スペイン語学習 | Comments(2)

Besame Mucho


スペイン語の接続法がよくわからないと言ったら、先生からこの歌を紹介された。

Trio Los Panchosの歌で、日本でも1959年~60年頃に大ブレイクした歌だという。

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Bésame, béame mucho
キスして、もっとキスして
Como si fuera esta noche la última vez
まるで、今夜が最後の夜のように
Bésame,bésame mucho
キスして、もっとキスして
Que tengo miedo perderte, perderte después.
後で、きみを失う、失うことを恐れるから

Quiero tenerte muy cerca
私はきみをもっと近くで抱きしめたい
Mirarme en tus ojos
きみの目の中に私を見てほしい→私を見つめてほしい(?)
Eatar junto a ti.
きみのそばに一緒にいたい

Piensa que tal vez mañana yo estaré
たぶん、朝になれば私は
Muy lejos
もっと遠くに
Muy lejos de aqúi.
ここからもっと遠くに居るだろうと彼女(?)は思う

Bésame, béame mucho
Como si fuera esta noche la última vez
Bésame,bésame mucho
Que tengo miedo perderte, perderte después.
=====================================================

訳してみると、情熱的な恋の歌でビックリしたが、
男の歌なのか、女の歌なのか、よくわからない。
相手を2人称で呼んでいるので、Piensaの主語は何なのか?

で、接続法はserの接続法過去ra形のfueraが使われているのだが、
悲しいかな、なぜ、過去形なのか、私にはマダよく理解できていない。(汗)

接続法は、微妙な心のひだの表現法と聞くが、
ここでスペイン語が一段と難しくなったような感じて、頭の中がもうグチャグチャ・・・。
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# by dande550213 | 2006-07-19 00:19 | スペイン語学習 | Comments(2)

31:20 ヒゼキヤはユダの全土にこのように行い、自分の神、主の御前に良い事、正しい事、真実な事を行った。
31:21 彼は神殿における奉仕について、また律法と戒めについて、神を求めて始めたすべての事業を、心を尽くして進め、成し遂げた。
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稀有の聖人君主が改革を行い、民は一時的には信仰を回復する。

しかし、熱しやすく醒めやすく、すぐにまた離れる。

これは今も昔も変わらない人の世の習い。これが人間の真の姿か・・・。

主は、忍耐に忍耐を重ねて、そんな人間をも愛して、見守り続けていてくださる。
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# by dande550213 | 2006-07-18 16:07 | 御言葉 | Comments(0)