Amazon プライムビデオで「最後の騎士マクシミリアン 権力と愛の物語」シーズン1を観た。
原題は「Maximilian and Marie de Bourgogne」だから、正確には「マクシミリアンとブルゴーニュのマリー」だが、日本公開に際して「最後の騎士」と冠せられているのは、日本ではこの皇帝に「中世最後の騎士」という俗称が冠せられることが多いからだと思う。
シーズン1を観終わったあと、マクシミリアン1世の評伝として有名な江村洋氏の「中世最後の騎士 皇帝マクシミリアン一世伝」で、最愛の妻ブルゴーニュのマリーを落馬事故で亡くしたところまでを辿った。
「マクシミリアン1世」の名が強く心に刻まれたのは、
2016/03/27 にドイツのゲルマン国立博物館でデューラーのPortrait of MaximilianⅠ(1519)を観た時だったと思う。
当時は、マクシミリアン1世がハプスブルク家の王で神聖ローマ帝国の皇帝であるとはつゆ知らなかったが、身に着けている衣装と手に持っているざくろ、威厳のある顔つき、鷲鼻が妙に印象に残ったので写真に撮って、ブログに残したのだった。
帰国後、デューラーがマクシミリアン1世の肖像画を描いたいきさつを調べ、ウィーンの美術史美術館に展示されている肖像画の方がデューラーのマクシミリアン1世の肖像画としてより有名だと知った。前述の江村氏の本のカバーもこちらのマクシミリアンの肖像画が使われている。
ウィーンの美術史美術館には1998年5月に訪れているから、この肖像画を観たはずだけれど、悲しいかな、全く記憶に残っていない。(-_-;)
当時はまだデジカメも所持していなかったので、美術史美術館の絵画の痕跡も手元には無い。(-_-;) 美術史美術館ではクリムトに圧倒されて、彼の絵葉書をたくさん買い込んできて、そのほとんどを知人への便りに使った。
マクシミリアンを「最後の騎士」と冠するのは、彼がルネッサンスへの移行期に生きた人間であるにも関わらず、中世の騎士が備えていたあらゆる特性を身につけていたからと、江村氏は述べられている。