一歩一歩!振り返れば、人生はらせん階段 ippoippo51.exblog.jp

好きなリンク先を入れてください

ステロイド剤と2人3脚の全身性エリテマトーデス(SLE)患者の " 猪突猛進、横道うろうろ "人生備忘録:落ちこぼれクリスチャンが心を入れ替えて(- -;)学ぶ日々の「御言葉」と、スペイン語の勉強、SLEの病状などの日々のささやかな記録・・・というのが当初の自己紹介でしたが、今は、単に「日々生きて、夢中になった事ごとの記録」(((^^;)


by dande550213

主聖句  131:2 わたしは魂を沈黙させます。わたしの魂を、幼子のように/母の胸にいる幼子のようにします。
======================================================

短いけれど、とても印象的な詩。

131:1 【都に上る歌。ダビデの詩。】主よ、わたしの心は驕っていません。わたしの目は高くを見ていません。大き過ぎることを/わたしの及ばぬ驚くべきことを、追い求めません。

131:2 わたしは魂を沈黙させます。わたしの魂を、幼子のように/母の胸にいる幼子のようにします。

131:3 イスラエルよ、主を待ち望め。今も、そしてとこしえに。

これだけで全文。

神と人間の絶対的な差異、それを認識しないとこのように謙虚にはなれない。
[PR]
# by dande550213 | 2006-05-18 23:13 | 御言葉 | Comments(0)

カーネーション


私は天邪鬼だから、「皆で一斉に当たり前のように同じことをする」のがキライだ。

だから、大人になってからは母の日も父の日もプレゼントはしたことがない。
自分の両親にも、義父母にも。
それを彼らがどう思っているのかについては、あまり考えないようにしてきた。

彼らを敬愛していないのではない。

まるで、流行に乗り遅れるとかっこ悪いみたいに、猫も杓子も・・・というのが
恥ずかしくて、照れくさくて・・・という気持ちから、私はその日にはしなかっただけ。

だから、別の日に花を贈ったり、プレゼントしたりしてきた。

そんな私だし、もちろん私のイヤな性格もあって、
子どもたちが大きくなってからは、
私も自分の子どもたちから、母の日のカーネーションをもらったことがなかった。

正直、ちょっぴり淋しいな・・・と思ったこともあった。

そんな私が、今年はついにもらって、泣いた!

今年自立して家を出た息子から、宅急便でカーネーションの鉢植えを送ってきたのだ。

日比谷花壇の鉢植え!

近鉄デパートの地下入り口にある日比谷花壇の花は、私の憧れの的だった。
誰かが私に贈ってくれないかなあ・・・と思って眺めたものだった。
自分で自分に贈ろうと思ったこともあったほど(笑)。

あそこの花は高いのに、
節約のため自炊生活している息子が
生まれて初めて私にプレゼントしてくれたカーネーションの鉢植え・・・。

彼の気持ちがうれしくて、涙があふれて止まらなかった。
泣きながら、「ありがとう!ありがとう!」と言っていた。

すぐに、息子の携帯に
「カーネーション、今届いた、ありがとう!一生の思い出になるわ~♪今週もお仕事がんばってね。母」と連絡したら、しばらくして、「はいよ!」という返事が返ってきた。
[PR]
# by dande550213 | 2006-05-17 15:40 | 雑感 | Comments(0)

Eエスパニョール閉校!


お気に入りだったインターネットのスペイン語学校「Eエスパニョール」が
ついに閉校になって、授業料の残りが返金された。

スペイン人の先生が1ヵ月たってもまだ良くならないのだという。

その先生が、日本人の奥さまと2人でやっていらっしゃった学校だから、
先生の体調が悪くて授業ができなくなれば、もうどうしようもないのだけれど、
この春から先生も日本語学校に通う聞いていただけに、
病気で一時休校→閉校は、まるで青天の霹靂で夢を見ているよう・・・。

今はとにかく先生の具合が心配!

何とか先生に連絡がつくようにしてほしい。(迷惑かな・・・?)
[PR]
# by dande550213 | 2006-05-17 14:59 | スペイン語学習 | Comments(0)

主聖句 130:3 主よ、あなたが罪をすべて心に留められるなら/主よ、誰が耐ええましょう。
====================================================

「神と永遠の命」について疑念が起きてから、毎日の御言葉を開くのがつらくなった。

今日の御言葉、
神が私の罪のすべてに心を留められて、その罪の応じて罰すると言われれば、
私は、そして人間は、その罰の重さに耐え切れないほどの罪深い者であることはわかる。

わからないのは、なぜ、神はその罪を許そうとしてくださるのか?ということ。

私たちを愛するが故・・・と聞いてきた。

無条件に許してくださるというのは何故?

でも、本当は無条件じゃないと思う。
「イエス様を信じますと告白した者だけ」じゃないのかな?
「イエス様を救い主として告白しなければダメ」なのは何故?
イエス様が十字架にかかって、人類の罪の贖いの捧げ物になってくださったから?
もしそうなら、もう私たちの罪はこの段階で許されたってことじゃないの?
何故、告白しない人は罪が許されないのか?

旧約では、動物を、罪の許しの贖いのための捧げ物としていた。
でもそれでは完全ではないから、
新約では、神の子なるイエス様自らが捧げ物となってくださって、
私たちを贖ってくださったというの?

何故旧約の主人公であるユダヤ人は、新約聖書を聖典と認めないの?
ユダヤ教では旧約聖書のみなの?
何故、イスラム教では旧約聖書は聖典として認めているのに、
新約聖書は聖典と認めないの?
何故カトリックでは外典も聖典と認められているの?

旧約(古き約束)と新約(新しい約束)がキリスト教の聖典だけど、
何だか、聖書は二つは異質のものを無理につなぎ合わせているような気がする・・・
という以前の疑念がまた噴出して、
最近は収拾のつかないぐらい頭の中がグチャグチャになっている。
[PR]
# by dande550213 | 2006-05-17 14:41 | 御言葉 | Comments(0)

主聖句  128:1 【都に上る歌。】いかに幸いなことか/主を畏れ、主の道に歩む人よ。
128:2 あなたの手が労して得たものはすべて/あなたの食べ物となる。
あなたはいかに幸いなことか/いかに恵まれていることか。
======================================================

何よりも私は、「主を畏れ」て、生活しているだろうか?

小さい頃、私は父を畏れていたような気がする。

私たちの年代では、「地震・雷・火事・親父」が恐い物の代名詞だったが、
父はただ単に「恐い」だけではなく、賢くて、体力も運動能力も人一倍あって
私にとっては「スーパーマン」のような存在だったから、
心の底では、畏敬の念でいっぱいだったような気がする。

その父も年老いて、今も変わらず尊敬はしているが、「畏敬の対象」ではなくなった。

残念ながら、わが夫は
偉大だった父に比べると小さな存在のように思えて、畏敬の対象ではない。
  (何を隠そう、実は私はファザコンなのです。)

私の人生に「畏敬の対象」がなくなって、私は家庭内でますます我が儘にのし歩くようになった。

本来なら、神が畏敬の対象になるはずだと思うのだが、
私にとって、神はまだ「神秘な存在」に留まっているような気がするのだ。

なぜ、私は神を畏れないのだろうか・・・。
[PR]
# by dande550213 | 2006-05-15 17:59 | 御言葉 | Comments(1)