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ステロイド剤と2人3脚の全身性エリテマトーデス(SLE)患者の " 猪突猛進、横道うろうろ "人生備忘録:落ちこぼれクリスチャンが心を入れ替えて(- -;)学ぶ日々の「御言葉」と、スペイン語の勉強、SLEの病状などの日々のささやかな記録・・・というのが当初の自己紹介でしたが、今は、単に「日々生きて、夢中になった事ごとの記録」(((^^;)


by dande550213

月に2回、日本人の先生にスペイン語を習いに行っている。

今日がその日だと勘違いして、暑い中をリュック背負って先生の家まで早足で歩いて15分。

おかしい、いつもと感じが違う!
玄関の門も鍵がかかって開かない、呼び鈴押しても誰も出てこない・・・。


で、ようやく思い出した!忘れてた!明日に変更になってたんだった!って・・・。≪(^_^;)

スゴスゴと帰ってきて、仕事までまだ少し時間があるので、暇つぶしに、これを書いている。

今日のレッスン箇所は「受動態・分詞構文」だったので、
午前中下調べして、疑問点を見つけ出していた。

高校時代、英語をドロップアウトしているから、
スペイン語の文法を勉強する時は同じ箇所の英文法も復習したらいいんじゃないかなと思って、
娘が捨てるという受験用の英文法の解説書をもらって、時々、あわせて見るようにしている。

で、今日の疑問は、スペイン語の<ser+他動詞の過分+por>受動態の時制。

そもそも、スペイン語では、この形式の受動態を、どの程度普通に使うのかがよくわからない。

よくわからないけれど、「日本語でこういう場合、英語では、スペイン語では」という順に、
自分なりに、対比的に文型をまとめることから、始めてみた。

そうすると、次の場合のスペイン語の文型がわからなくなった。
日本語で「~されて(しまって)いるだろう」と言う場合のスペイン語の文型。

例えば、日本語で
①「それらの書類は、正午前に署名されるでしょう」
②「それらの書類は、正午前には署名されて(しまって)いるだろう。」
とは、意味が多少異なると思う。

①は、受動態で未来形? 英語なら、「will+be+過分」?
                 スペイン語なら、「haberの未来形+sido+過分」????
②は、受動態で未来完了形? 英語なら、「will+have+been+過分」?
                    スペイン語なら??????


テキストには、こんな例文が載っていた。

Los documentos habrán sido firmados antes del mediodía.
それらの書類は正午前に署名されているでしょう。

これは①なのか、②なのか、どっちなのだろう?
スペイン語ではどっちでもいいのだろうか?区別しないのだろうか?

そもそも、こんな勉強方って、良くないのだろうか?

またまた疑問が渦巻いて、目まいがしそう。(大笑)

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2006/06/28 この問題は解決しました!\(^_^)/

①受動態で未来→serの未来形+過分
②受動態で未来完了→haberの未来形+sido+過分
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# by dande550213 | 2006-06-27 15:27 | スペイン語学習 | Comments(2)

先日来の、頭を悩ませている創造論と進化論の問題。

進化論については高校生物程度の知識しかないので、
この際、少し勉強しておきたいと思い、
河田雅圭著『はじめての進化論』のWebサイトPDF版をプリントアウトして、今シコシコと読んでいるが、折りしも、進化論を唱えたダーウィンがガラパゴス諸島から持ち帰ったというゾウガメが
6/24に175歳で死亡した
というニュースをテレビで報じていたのを見て、ビックリした。

ダーウィン縁のゾウガメがつい先日まで生きていたなんて、何てロマン!

このゾウガメさんに聞いてみたかったなあ~。

アメリカでの一連の創造論と進化論を巡る裁判沙汰、どう思ってた?・・・って。
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# by dande550213 | 2006-06-26 13:53 | 雑感 | Comments(0)

今日はいよいよシェバの女王の登場!

子どもの頃、平凡社の『家庭美術館』所収のピエロ・デラ・フランチェスカの絵(↓)を見て、
初めて「シバの女王」という名前を知った。
f0096508_1029994.jpg

※画像は「サルヴァスタイル美術館」から、使わせていただきました。

私が本で見たのは、左側の《聖木を礼拝するシバの女王》の部分であったことを今日知った。

子供心にも、青いマントを着てひざまずいているのがシバの女王だというのはわかったが、
周りの人たちの服装から、当時は、シバの女王は中世ヨーロッパ人だとばかり思っていた(笑)。

この絵の右側が《ソロモン王とシバの女王の会見》を描いている。

ソロモン王は帽子と髭の感じがユダヤ人風だが、
それ以外の人物は、やはり中世ヨーロッパ人風に描かれているように見える。

シェバの女王は、ソロモンと知恵比べしようとやってきた。

他人もうらやむ知恵は、ソロモンを幸せにしただろうか?

彼が書いたとも言われている「伝道の書」では、次のように書かれている。

2:15 私は心の中で言った。「私も愚かな者と同じ結末に行き着くのなら、それでは私の知恵は私に何の益になろうか。」私は心の中で語った。「これもまたむなしい。」と。(新改訳)


昨日の続きで、今日、わかったことのメモ。

申命記に、「他国人と縁組みしてはいけない」と書いてあった。

7:3 彼らと縁組みをし、あなたの娘をその息子に嫁がせたり、娘をあなたの息子の嫁に迎えたりしてはならない。

7:4 あなたの息子を引き離してわたしに背かせ、彼らはついに他の神々に仕えるようになり、主の怒りがあなたたちに対して燃え、主はあなたを速やかに滅ぼされるからである。
彼ら(七つの民、ヘト人、ギルガシ人、アモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人)
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# by dande550213 | 2006-06-26 10:57 | 御言葉 | Comments(0)

この章には、神殿建築と王宮建設以外のソロモンの業績が書かれている。

知恵を求めたソロモンは、賢いが故の(知恵におぼれた?)間違いを犯した。

一つは、寄留の他国人を苦役に徴用したこと。

8:7 イスラエル人ではない者、ヘト人、アモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の生き残りの民のすべて、
8:8 彼らの後、この地に生き残った子孫で、イスラエル人によって滅ぼされなかった者を、ソロモンは労役に服させ、今日に至っている。

これは、律法違反(出エジプト)に当たるそうだ。

23:9 あなたは寄留者を虐げてはならない。あなたたちは寄留者の気持を知っている。あなたたちは、エジプトの国で寄留者であったからである。


もう一つは、異教徒である外国人の妻を娶ったこと。

これは律法違反になるのかどうか、私にはわからないが、
異教徒を娶ると言うことは彼女を通して、異教の神が日常生活の中に入り込むということなので
避けなければならないことだったろう。

8:11 ソロモンはファラオの娘をダビデの町から、彼女のために建てた宮殿に移した。「わたしの妻はイスラエルの王ダビデの宮殿に住んではならない。そこは主の箱を迎え入れた聖なる所だ」と考えたからである。

ソロモンは、異教徒の妻を神殿に近づけないことで大丈夫だと考えたのだろうが、
建前と本音をうまく使い分けているように思う。

今日の礼拝説教題は「結婚愛の絆」だったので、
ふと結婚生活における「一夫一婦制」を思い出した。

この「一夫一婦制」は、西欧キリスト教社会の制度と聞いたような気がするが、
それは私の思い違いだったろうか?
もし、思い違いでないとしたら、聖書のどこかに、
「結婚生活は、一夫一婦であるべき」とか何とか、書かれているところがあるのだろうか?

旧約では、「英雄色を好む」というだけでなく、
どうも一夫多妻が通常の結婚形態だったように思われるので、ふとそう思った。

今日は、礼拝受付だった。

一緒に座った大阪お笑い系の貴公子のような彼が、
「聖書日課は口語訳で書かれているけれど、僕は新共同訳で聖書を読んでいる」といったので、
「イヤー、私と同じような人がいる!!」と、びっくりした。
うっかり、「なぜ、そんな風にしているのか」聞き忘れたので、
今度会ったときにでも聞いてみよう。(笑)
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# by dande550213 | 2006-06-25 23:18 | 御言葉 | Comments(0)

クリスチャンにとって、
創造論と進化論の問題をどう理解するかは切実な問題ではないかと思うのだが、
どうなのだろう?そう感じてしまうのは、私がクリスチャンとして未熟だからなのだろうか?

私が所属する教会では、
この問題について気軽に話し合うことは何となくタブーのような気がしていた。
教会とはそういうものなのだろうか?と思いながら、
私は自分の疑問を封印して、10年前に洗礼を受けた。

最近、私は私にとってのパンドラの箱を開けてしまった。
それから、二転三転の苦しい日々が続いている。

10年間の間に、牧師先生と伝道師の先生に尋ねたことがあるが、
(私からみれば)あいまいなお返事で、はぐらかされたような気がして、
やはり私の信仰が足らないせいなのかと思い、また封印したのだった。

今でも、
クリスチャンとして、無駄な意味の無いことにとらわれているのではないかという不安がつきまとう。

思い切って、先日、また牧師先生に相談した。

牧師先生は、「この問題については良い本があります」と言われた。

それで私は、
今読んでいる大谷順彦(クリスチャン)著『進化をめぐる科学と信仰』を見せて、
「これですか?」と尋ねた。

先生が私に紹介したかった本は、私が見せた本とは違った。

あいにくそのときは、その本が教会図書の中に見つからなかったので、
別の本を貸してくださった。

それが昨日で、稲垣久和(クリスチャン)著『進化論を斬る―科学とキリスト教―』だった。
牧師先生はこの本は難しすぎるから、読んでいないとおっしゃっていた。
帰宅するなり、むさぼるように読んだ。

そして、今日、先生が一番お勧めの本を見つけ出してくださって、私に渡してくださった。
それが、堀越暢治(クリスチャン)著『人間の生まれた日 進化論と創造論』。
これも、帰るなり、すぐ読んだ。

同じクリスチャンでも様々な考え方があるのだとわかった。

ただ、牧師先生が一番勧めたかった本を読んで、少しショックを受けた。
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# by dande550213 | 2006-06-25 18:18 | 教会生活 | Comments(0)