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ステロイド剤と2人3脚の全身性エリテマトーデス(SLE)患者の " 猪突猛進、横道うろうろ "人生備忘録:落ちこぼれクリスチャンが心を入れ替えて(- -;)学ぶ日々の「御言葉」と、スペイン語の勉強、SLEの病状などの日々のささやかな記録・・・というのが当初の自己紹介でしたが、今は、単に「日々生きて、夢中になった事ごとの記録」(((^^;)


by dande550213
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昨年の台風18号で、流されたままになっていた田舎の橋、母のお通夜の日は半分ぐらいかかっていた。
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昨日行ってみたら、全部かかっていて、対岸の田んぼへ行き来できるようになっていた。
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うれしい!今からなら、早稲は無理でも晩稲の田植えには間に合うに違いない。

母が生きていたら、さっそくウォーキングに出かけただろうに・・・ね。

母の畑の雑草を引き、鍬を入れて少しきれいにし、山蕗を収穫して帰ってきた。
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by dande550213 | 2014-04-30 09:25 | 雑感 | Comments(0)

母の夜伽の時、母の姉や義姉が私に頼んだことをすっかり忘れていて、今日急きょ日帰りでそれをしに帰ることになった。

それとは...

母が入院時に着ていたパジャマとタオルを洗って、三逮夜まで物干しに干して置くこと。
パジャマは心臓が北向きになるように干して置くこと。

何でも、死んだ人は三逮夜が一番しんどいので、そこで一旦休み、汗をふくので、三逮夜までタオルを干して置かなければならないそうだ。(^-^;)

母を寝かせた布団や母が死亡時に着ていたパジャマや入院時の物などは、母の出棺の後、すぐに家から出して処分しなければならないと妹が言うので、もう無い。(^-^;)

適当な物で、母の姉や義姉が言うようにしておくことしかできない。

田舎はいろいろややこしいが、最後だから、母の身内の気の済むようにしてあげることが大事だと思っている。
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by dande550213 | 2014-04-29 10:44 | 両親介護 | Comments(0)

2014/04/22 : 母、永眠


04/22(火)
朝5時過ぎに母、息を引き取る。生前、「私は朝に死ぬと思う」と母は言っていたが、その通りになった。前日夕方、私は一旦家に帰るつもりだったが、病院発最終バスが出る直前になって、虫が知らせたというか、急きょ予定を変更して病院に泊まり込んだその翌日の朝に母は静かに息を引き取った。
9時半頃、母の遺体を載せた車に同乗して、母と一緒に田舎の家に帰る。
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母の姉や義姉などの母の親せき筋の女衆のおばさんたちとともに、夜伽をする。

04/23(水)
朝、畑から母の最後の人参を収穫する。田舎に生まれたのに、この歳になって初めての人参堀りとは恥ずかしい限り。母が言っていたヤマブキはまだ少し茎が細いので、GWに収穫しようと思う。
15:30に家を出て、通夜会場に向かう。母の希望通り、家族、親戚と株内の人たちだけ。私は前夜に夜伽をしたので、夜は夫と息子家族とともに家に帰り、初孫を交えて過ごす。

04/24(木)
朝6時半から村中を鐘をついて回る音とともに、株の本家ご夫婦がいらっしゃって、家で香典受付の帳場をたてられる。告別式場へ向われる株内と親せき筋の方々のバスのお見送りを済ませて、私たちも会場へ向かう。
10時半に告別式が始まる。家の宗旨は真言宗高野山派。
式が終わり、斎場へ向かう前に、突然、私は旧姓で名前を読み上げられて、母の遺影写真を持つ役目を仰せつかってビックリした。本来ならば、この役は喪主である弟のお嫁さんのはずなのに、どうして私が...と訳がわからず、戸惑うばかり。
後で弟に間違いではないかと尋ねたが、弟は「間違いではない。それで良いのだ」と言うので、詳しくは尋ねないようにした。
骨上げを済ませ、初七日も一緒に済ませて、夜帰阪した。

私が旧姓で呼ばれたのは、たぶん実家の葬儀で、嫁いだ娘である私を遺影写真を持つ役に加えるためではないかと思う。それが弟の意志なのか、あるいは母の遺言だったのかはわからないが、母の遺影写真を持つことができて、嬉しかった。
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by dande550213 | 2014-04-25 14:50 | 両親介護 | Comments(3)

緩和ケアの鎮静剤とは?


週末から弟が母を看てくれているので、今日は久しぶりに一日中在宅。

9時の第一礼拝に行ったら、今日はイースターで第一礼拝は8時半から大和川の河川敷であるのをすっかり忘れていた。第2礼拝に出席しようかな...とも思ったけれど、礼拝時はスマホの電源をOFFにしなければならないし、何となく落ち着けないような気がして、礼拝を欠席した。

家で掃除したり、久しぶりにブログを更新したり、買い物に出かけたりと普通の生活をしているが、心は落ち着かない。

昨日から、母は鎮静剤を使うほど、苦しさを訴えるようになっているからだ。

昨日、14時頃に急に母が苦しがって手を差し伸べてきたので、私はいよいよ母が死ぬのではないかと慌てた。弟が病院に到着するまでにまだ3時間ほどかかるし、近くに住む妹を呼んだ方が良いかと母に聞いたりした。

母の枕もとでイエス様に死を迎えようとしている母のための最期のお祈りもした。母も涙を浮かべていた。しかし、まだ最期ではなかった。

看護師さんにバイタルを調べてもらうが異常なし。これを間欠的に小1時間ほど繰り返した後で、看護師さんが鎮静剤を使うことを勧められた。

この薬は今回が初めてではなくて、1週間ほど前に妹が看ている夜間に1回使った薬だそうだ。これを使うと意識が少し朦朧として眠れるのだそうだ。

今回も母の同意を得て使っていただいたが、この薬はいったい何なのだろうか?
もしかしてモルヒネ?

この薬を使うと、母は安らかな眠りに落ちて、半日ほど平安な時を得ることができるようだ。

病院の裏手にある大阪聖ヨゼフ宣教修道女会の箕面修道院と祈りの家
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by dande550213 | 2014-04-20 18:29 | 両親介護 | Comments(2)

母は早く死のうとして、4月10日から食と水と薬(ステロイドと鎮痛剤)を絶った。
私たちの懇願にも耳を貸さず、頑固に自分の意思を押し通し続けた。

その結果、どうなったか!!!!

11日目の今日もまだ、母は死ねずにいる。

人間の「生き死に」は、人間が自由勝手に決めることはできない。
人間の「生き死に」は、神さまの御手の中にあることを思い知らされている。

一昨日の母。何も食べない、飲まないのに不思議なことに便も尿もまだ出る。
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おまけに、前の病院で抗がん剤治療1クールしてもどうしても縮小できなかった左鼠径部リンパ腫の拳大の癌のコブが消失してしまって、驚いている。食べないので、癌細胞が兵糧攻めにあって死滅してしまったのだろうか?訳がわからない不思議を次々に見せつけられて、私たち兄弟も右往左往する毎日。弟は宴会や会議や、いろんな予定をキャンセルして、毎週のように田舎に帰って、葬儀に備えて家の片づけなどをし、株の本家や株内の人に母の葬儀が近いことを伝えていたが...(^-^;)

食べないので、母の飢餓遺伝子のスイッチがONになって、身体が省エネモードで維持できるように変わってしまったのだろうと推測している。

今は身体の中に蓄えた脂肪を燃焼させてエネルギーに変え、身体中の全細胞から水分を絞り出して尿にして生命を維持しているのだろう。だから、母は日に日に痩せて、干からびていくように見えるが、まだ意識もあり、うなずきや手ぶりで自分の意思を伝えることができる。

性別と体重と基礎代謝量などから、専門家には残りの命の日数のおおまかな計算ができるのだろう。

先週、「今週はありません」とおっしゃった時は、まさか?と信じられなかったが、本当にそのとおりになってしまった。

付き添いが泊まり込める病室に替わり、毎日24時間を交代で母に付き添っている。桜の季節もいつしか終わり、新緑がまぶしい季節に移り変わろうとしている。
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by dande550213 | 2014-04-20 11:24 | 両親介護 | Comments(0)

よもぎ大福


バスから見た病院。
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昼食前に、よもぎ大福を半分っこして、一緒に食べる。

こういうものは食欲が無くなっても別腹のよう。('-')

身体中をもんであげると、少しは楽になったのか、眠ってばかり。
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by dande550213 | 2014-04-09 13:09 | 両親介護 | Comments(0)

母、酸素吸入始まる


ホスピスへ転院して10日目、夢を見ているような平安な日々(元気な母)が終わり、一気に現実に引き戻された。
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今日病院へ行ってみたら、母はメニエール氏病が再発したのか、めまいと吐き気に苦しんでいた。"息苦しくて、ダルくて、眠い"今日の体調は、入院待ちのビジネスホテルに居た時と同じだという。酸素濃度も90を切り、午後から酸素吸入が始まった。
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昨日、息子夫婦がお見舞いに行った時は母は元気だったというが、母なりに一生懸命がんばっていたのだろう。一夜明けて、その頑張りの糸が切れてしまったかのような母の弱りように、いったい私は母の何を見ていたのかと反省させられる。

ホスピス病棟廊下の本棚。私が家から持ってきた本も並んでいる。
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by dande550213 | 2014-04-07 15:28 | 両親介護 | Comments(0)

2004年に購入したルーターがいよいよ寿命なのか、一昨日からスマホの無線Wifi が時々圏外になり、今日はPCの有線LANも時々接続が切れる。

繋がらなくなるたびに、ルーターをリセットして今は何とか繋がっているが、全く繋がらなくなったら二進も三進もいかなくなるので、しかたなく、増税で値上がりしたルーター(^-^;)を注文した。

今日明日は、ジェノヴァのスタディオ・ルイジ・フェッラーリスで本ちゃん応援する予定だった「ミランVSジェノア」戦。

何とかホンちゃんの初ゴールを見たいものだ。

ネット観戦がルーター不調でブチ切れになりませんように....。
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by dande550213 | 2014-04-06 16:30 | PC・IT | Comments(0)

母の冷凍保存食


母は2/16に田舎を出て、1週間ほど亀岡のビジネスホテルで暮らし、以後ずっと病院生活を送っている。

私が最後に田舎に帰ったのは2/8-12。その時、いつものように、夫や娘の大好きな母の冷凍保存食をいくつかもらって帰った。トウガラシの葉を炊いたもの、ピーマンの炊いたもの、シソの実を炊いたもの。

「トウガラシの葉の炊いたもの」は、2/12に家に帰ってきてすぐ解凍し、その日の夕食で食べてしまった。

「ピーマンの炊いたもの」と「シソの実の炊いたもの」は、母が癌で治療しなければ余命半月という宣告を聞いた後で食べたから、食べる前に記念の写真を撮っておいた。
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母は料理が得意で、「今度生まれ変わったら、どんな職業につきたい?」と尋ねた私に、しばらく考えて、「料理研究家」と答えた。(^-^)

この写真を撮った時は、もう母の手料理は食べられないのか....と悲しくて胸が張り裂けそうだったが、今は私も落ち着いている。
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by dande550213 | 2014-04-04 13:04 | 両親介護 | Comments(2)

車中からの桜並木


千里中央駅から送迎バスに乗って母のいる病院へ向かう途中に見事な桜並木。
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4月3日は娘の30歳のお誕生日。毎年、この日は春休みの海外旅行に出かけていることが多くて、よく娘の誕生日を忘れてしまう。今春は母の病気で、計画していた海外旅行をキャンセルしたので、娘の誕生日を忘れずに済んだ。

彼女へのお祝いメールにこう書き添えた。

"ちなみに、お母さんがSLEを発病したのは30歳のときでした。"


SLEになった時、娘は1歳4ヶ月だった。あのときは、とても娘の成人式まで私は生きながらえられないと覚悟したが、今日、嬉しくも娘の30歳をともに祝うことができて、本当に夢のようだ。

夫が3/31で退職して、嘱託で週4日働くことになった。半年間だけ、週1回、大学で教えることも決まった。私も細々と仕事は続けることになった。

夫が退職したら、田舎に週1日ぐらい帰って、母に野菜作りなどを教えてもらって畑仕事のまね事などしようと計画していたけれど、母がいなくなれば田舎に帰る意味がなくなる。今でも母の突然の病気は夢を見ているよう。

母は、抗がん剤1クールしかしていないが、不思議なことにその後体調が守られて、ホスピス生活を存分に楽しんでいる。

発熱も寝汗も浮腫も痛みもなく、普通食を食べ、1ヶ月ぶりで湯船につかる入浴をして、明日は花見に連れてくれる予定だという。母を見ていると、癌で余命半月とは思えない。癌と言う宣告は夢だったのではないかと思うほど、神様は母と私たちにとって、すばらしい日々を与えてくださっている。

母のもとに行けない日は、携帯で毎日母と話をする。この声がもうすぐ聞けなくなるなんて、今でも信じられないが、残された日々をできるだけ母のそばで過ごしたい。
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by dande550213 | 2014-04-03 23:59 | 両親介護 | Comments(0)