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ステロイド剤と2人3脚の全身性エリテマトーデス(SLE)患者の " 猪突猛進、横道うろうろ "人生備忘録:落ちこぼれクリスチャンが心を入れ替えて(- -;)学ぶ日々の「御言葉」と、スペイン語の勉強、SLEの病状などの日々のささやかな記録・・・というのが当初の自己紹介でしたが、今は、単に「日々生きて、夢中になった事ごとの記録」(((^^;)


by dande550213

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今日の午後4時に、結核接触者検診結果を聞くことができた。

12/7と1/16の2回にわたる肺のレントゲン撮影は、どちらもきれいで、「発病していない」。

1/16のQFT検査は、値が0.001で「陰性で結核菌に感染していない」という結果だった!

今後、私と同じ飛行機に乗った他の接触者の検診結果が悪ければ、再度追跡調査するかもしれないが、取り敢えずは「無罪放免」とのことで、うれしい!!

私の小賢しい推理は、見事に外れた。

素人が何でも知っているかのように先走らないことを、教えられる。『(^-^;)
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by dande550213 | 2013-01-30 17:02 | SLE・健康 | Comments(0)

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by dande550213 | 2013-01-29 09:53 | 雑感 | Comments(0)

生と死と待つことと


昨年末に父が死んでから2ヵ月、この23日は、息子のお嫁さんの出産予定日だった。

が、まだ産まれない。

どうも30年前の私と同じように、微弱陣痛らしい。

私も息子を出産したときは、予定日を10日も遅れて陣痛が始まったが、2日たってもその陣痛が強くならず、実家で待機中に破水してしまい、産院で陣痛促進剤を打ちながら、排便するときのように「いきんで」息子を押し下げて、何とか頭が見えたところで、吸盤のようなもので息子の頭を吸い付けて引っ張りだしてもらった...という思い出すのもイヤなほどの難産だった。

娘のときも予定日を1週間ほど遅れて、やはり微弱陣痛だったが、初産とはちがって道ができていたので、「いきめば」スルリと出てくれたが、微弱陣痛が2日間も続くというのは本当に腰が抜けるほどしんどくて痛くて体力を消耗して辛いものだ。

こういう体質は遺伝なのか、母も難産タイプだったそうで、弟は産まれたときは仮死状態だったという。産婆さんが弟をパシパシ叩いて、ようやく産声をあげたという。

お嫁さんは私とは血のつながりがないのに、今、当時の私と同じ状況におかれていて、不思議な因縁を感じる。メールで励ましながら、ひたすお嫁さんが安全で初孫が無事に産まれるのを待っている。



16日した結核感染のQFT検査の結果は、まだ届かない。仮に感染していても、発病していなくて排菌していなければ他の人にうつす危険性はないから、もし初孫が産まれても見に行けるとは思うが、はっきり確定しないままで、抵抗力のない初孫に合うのは無責任なような気がして落ち着かない。

さきほど、保健所に電話で尋ねたら、たぶん大丈夫だとは思うが、30日に肺X線撮影の2読結果がでるから、30日の午後4時以降に電話して結果を聞いてください、と言われた。微妙なタイミング...(^-^;)



3年ほど前に購入した夫のPCのHDが死んで2ヵ月。

古いPCでしのいでいた彼が昨日ようやく、自力でHDを交換して、OSを再インストールしてPCを生き返らせた。新しいHDの容量は1テラで、動作も軽くなったが、パーティッションの切り方がよくわからずに、200ギガほど行方不明になってしまった、と言う(^-^;)。


5年ほど前に購入した私のPCのCドライブの空き容量がほぼ限界に近づいてきた。

このPCは購入時、Cドライブは60ギガ、Dドライブが160ギガ、リカバリEドライブが10ギガぐらいにパーティッションが切られていた。Cドライブは空き容量が20ギガをきらないようにいろんな方法をやってみたが、もうこれ以上は無理なので、この際、思いきって、Dドライブを縮小して、その分をCドライブに継ぎ足せるようにパーティッションを切り直した。

生まれ変わったPCは、Cドライブが111ギガ(中途半端な数字)でDドライブは110ギガ。2テラの外付けHDもつけて、そこにCドライブ丸ごとイメージリカバリして起動ディスクも作成しておいたから、私のPCも生まれ変わったような感じ。



本ちゃん移籍、あるのかないのか、毎日情報収集していたが、こちらはどうやら、待ち続けることになりそうだ。
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by dande550213 | 2013-01-28 16:53 | 雑感 | Comments(0)

2010/12/02に「Everybody Loves You.」というタイトルで、私の一番好きな本ちゃん動画を表示していた。

ところが、しばらくたって、この動画は著作権法違反だとかで、ブログでは動画を再生することができなくなっていた。

You Tubeで、元動画を探したけれど見つからなかったので、この動画はもう削除されてYou Tubeにはないのだと思っていた。

ところがこぶたママさんが、その動画はここにありますよ~と教えてくださって、URLをたどって行ってみたら、チャンとあった!

著作権のことはよくわからないが、前の記事の埋め込みコードを新しいのに変更したら、私のブログでもまだこの大好きな動画が見れるようになった!

もちろん元動画はDLしてあるので、私のPCでは何度でも再生できたが、こうしてまたブログでも簡単クリックで再生できるようになってうれしい。

こぶたママさん、ありがとうございました。(^-^)
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by dande550213 | 2013-01-25 18:35 | 本田圭佑 | Comments(0)

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いわゆる「奇跡」の話が福音書にはたくさんあります。
キリストと出会った人の中で神の恵み、力、救いが実現して、その人が解放されていく。
そういうことが奇跡物語で語られています。

人間が病んでいる

実際に一番注目されるのは治癒奇跡というものです。
当時は非常な格差社会で、一握りの支配者層が富を集中させていました。一方で生活に困窮する人がざらにいたわけで、生活条件が悪いため病や障害がいっぱい出てくるんです。そうした場合もう一つ、宗教的差別が起こる。病の人がそのまま汚れた人になってしまうんです。その汚れには正しい人は触れてはいけないと。イエスはそういう宗教的に完全に罪人の部類に入る人たちと関わったわけです。その中で、癒しが一つの要素になるんですね。

「ひとりのらい病人が、イエスのところに願いにきて、ひざまずいて言った、『みこころでしたら、きよめていただけるのですが』。イエスは深くあわれみ、手を伸ばして彼にさわり、『そうしてあげよう、きよくなれ』と言われた。」(マルコ1章40~41節)


ここには一連のイエスの心の動きと行動があります。
まず「深くあわれみ」。この言葉は「スプランクニゾマイ」という「スプランクナー(内臓)」の動詞形です。言ってみれば、胸が締めつけられる、かわいそうでかわいそうでじっとしてられなくなるというような、訳しようがない言葉なんです。
そういう思いが自分の中から起こってきて、それで「手を伸ばして彼にさわり」。
この段階でイエスもある意味で罪を犯しているわけです。
汚れた者に触れると自分が汚れる。しちゃいけないことを自分の方からやっているんです。

そして「きよくなれ」と言っています。

「その人はきよくなった。」(42節)

ここでは「癒された」とは書いてないんです。もっと広いコンテキストです。

現代では病気とか患部ということだけを問題にして、その奥にある人間が病んでいるということをあまり見ようとしません。聖書はその患部の問題として扱っていない。その人間が汚れている、病んでいる、悪い状態である。そういう者が癒される。この人は完全に社会の枠組みから放り出された何の希望もない人間だった。その人が清くなった。

当時の社会的差別は宗教的差別とダブルパンチになって、こういう罪人たちは悪霊の支配下にあるという考え方があったんです。悪霊が人間に働いて金縛りにしたり病気にしたり不自由にしたり悪しきことを行わせたりすると。二千年前はごくごく自然にそういうふうにみんな思っていたんです。今でこそ迷信だと思うかもしれないですけど、実際はあんまり変わりません。今の社会の風潮も、悪しき力に金縛りになっているとしか思えないような状態なんです。



そこでもう一歩進んで言うと、イエスが与えた癒しは、神の支配の現れだということなんです。
つまりサタンの支配から神の支配に移っていくということが、神の国の到来として示されているんです。

「わたしが神の霊によって悪霊を追い出しているのなら、神の国はすでにあなたがたのところにきたのである。」(マタイ12章28節)


イエスがその当時そこで働いたことは神の国を来らすことであって、そこで人が癒され救われることが実現しているというのは神の国の到来のしるしであると言われています。それは不思議なことや人を説得するようなことというよりも、神の命や恵み、力の働きがそこに現れ出るようなものという意味です。
神の命が人に及ぶ。
それを通して人が神に、病気だけでなくて、存在として癒される。
それが主に癒しの奇跡で言われていることです。


信仰が問われている

癒しにおいて信仰ということが必ず問題にされています。
多くの癒しの奇跡の結びの言葉は「あなたの信仰があなたを救った」です。

マルコ9章では癲癇の子どもを持った父親が言います。

「『できますれば、わたしどもをあわれんでお助けください』。イエスは彼に言われた、『もしできれば、と言うのか。信ずる者には、どんな事でもできる』。」(22、23節)


10章では弟子たちが「だれが救われることができるのだろう」(26節)と言うと、イエスは言うわけです。

「人にはできないが、神にはできる。神はなんでもできるからである」(27節)


9章で言われている「信じる者には何でもできる」というのは、この「神はなんでもできる」というのとまったく同じなんです。

神の力が今働こうとしている
あなたが本気でそれを受けとめようとしないならば、何の影響力もない。
それを受けとめたら、そこに神の力が働く。

信じる者には何でもできるというのは自分がスーパーマンになるという意味じゃなくて、神の全能の力が働くから、あなたのところに何でも実現するということです。だから信仰ということが必ずテーマになってくる。

あなたの信仰があなたを救った」というのは、「あなたが自分で救った」とも聞こえるわけです。
しかしそれは「神の力が働くことをあなたは可能にしたから」ということなんですね。
信仰による救いとはそういうことです。


もう一つ聖書の中で「自然奇跡」と呼ばれる、嵐を鎮めたとか湖の上を歩いたとか、自然の法則をひっくり返すような事柄が描かれています。
この自然奇跡の中でも信仰ということが必ず問題になってきます。
何か本当にキリストとそれを信じる者との間に起こってくる大きな恵みの力
そしてそれは、周りの環境をも変えてしまうということだと思うんです。

例えばパンを五千人の人に食べさせたという話がマルコ6章にあります。

「イエスは舟から上がって大ぜいの群衆をごらんになり、飼う者のない羊のようなその有様を深くあわれんで、いろいろと教えはじめられた。ところが、はや時もおそくなったので、弟子たちはイエスのもとにきて言った、『…めいめいで何か食べる物を買いに、まわりの部落や村々へ行かせてください』。イエスは答えて言われた、『あなたがたの手で食物をやりなさい』。」(34~37節)


実際にこの後でパンがどんどん増えていきます。それはイエスがもたらしたあり余る恵みでしょう。
しかしそれは「あなたがたの手でやりなさい」と、他の人の手を通してさらにその恵みが広がっていく様が描かれています。
実際そこにいた群衆はなぜそうなったか知らない。
イエスとその弟子たちとの間で起こっているんです。

「弟子たちは言った、『わたしたちが二百デナリものパンを買ってきて、みんなに食べさせるのですか』。するとイエスは言われた。『パンは幾つあるか。見てきなさい』。彼らは確かめてきて、『五つあります。それに魚が二ひき』と言った。…イエスは五つのパンと二ひきの魚とを手に取り、天を仰いでそれを祝福し、パンをさき、弟子たちにわたして配らせ…みんなの者は食べて満腹した。」(37~42節)


私はこれは「イエスがガリラヤでなされたことはこういうことである」と、その総括のようなものだと思うんです。

ガリラヤ湖を中心とした山に囲まれた閉鎖的な空間の中で、神の力が働いた。その時にそこで起こっていることは、彼らが実際に体験したこと。そしてそれは信仰のうちに神の力が働き、癒しが起こり、自分たちが恵まれた。そうしたものを一つの絵にすれば、こういうふうに誰もが皆「食べて満腹した」ということだと思うんです。
だからここでも弟子たちは信仰を問われているわけです。
二百デナリあったってこの人数じゃ大したものにならないというようなことから発想を変えるようにと言っているわけですね。



今、何が神の国のしるしとなるか


たとえばマザー・テレサは奇跡をやったわけじゃない。
この人はもともと修道院に入っていて、インドの良いところのお嬢さんの学校の先生をやっていた人です。だけどある時、自分はこれでいいんだろうかと思った。それで終生請願を立てていたにも関わらず飛び出して、もう死ぬ人の世話をやり始めた。これが、この人の自由ということなんです。

イエスの時代にあった「人間が悪霊に縛られている」という考えは、今の言い方をすれば、一種のこの世を支配している運命論なんです。それは個人のレベルでも社会のレベルでもあります。
「どうせしょうがない」とか「自分はこんなもんだから」と言って、自分から「よし、こうしよう」というのがない。そのかわり責任も取ろうとしない。
「だってしょうがないもん」と。それはある種の金縛りにあっているんです。
神の力で生きないと、人っていうのはどうしても運命論に陥るんです。

マザー・テレサは修道者として立派に生きようとしたけれど、これが自分のやるべきことか?と思ったんでしょうね。それだけの自由さということが起こった時、この人はやっぱり愛の奇跡だということになる。そこにやっぱり奇跡的なものを感じるんです。それは何かというと、その人を通して神の力が働いているということです。

だからもし我々の時代に、特に喜びが少ない、人に分け与えることが少ない、この世のもの以外は何も信頼するものがない、あんまり気力も湧かないというような者に、もし信仰があれば、そして神の恵みがそれによって受けとめられるならば、そこで我々一人一人が癒される。あるいは我が身に奇跡が起こると言っていいんじゃないかと思うんです。(文責・月刊誌編集部)
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by dande550213 | 2013-01-24 08:12 | ファイリング | Comments(0)

昨年夏の人間ドックで、肺のレントゲンで引っかかった夫は、9月に胸部専門の病院でレントゲン検査してサルコイドーシスの疑いと言われていたが、このほど、同じ病院でCT検査を受けたら、サルコイドーシスではなくて、胸部大動脈にポリープができているだけだとわかった。そのポリープは良性なので、放っておいても良いし、もっと大きくならないと取れないから、半年後にもう一度検診する程度で十分だと言われた。

大動脈の中側ではなくて、外側で良かった。

夫は体質なのか、あちこちにポリープが出来ているようだ。確か、腸にもあって、経過観察だったと思う。胆石も小さいのが多数あって、これも経過観察。

健康面では運のいい人だから、恐らく経過観察のままで一生を終えるような気がする。



一方、私は昨日人間ドックを受診した。今回、初めてオプションで脳の検査もしてもらった。脳のMRI検査とMRA検査、頸部超音波検査と平衡機能検査がついていた。

今まで脳は一度も検査をしたことがなかったが、夫はすでに人間ドックで脳の検査もしていたので、多額の費用にも関わらず、私にも気持ちよく受診を進めてくれた。万が一、私が脳梗塞や痴呆症にでもなったら、介護が大変だから・・・と、自分の心配をしたのかもしれないが。(^-^;)

実際、私のような全身性の病気では、脳にも病変が生じている可能性があるわけで、知人は自覚症状が無いにも関わらず、検査で、脳に多数の小さな脳梗塞の跡が見つかったと言う。小さな脳梗塞の跡は昨年末に亡くなった父にもあって、確かラクナ梗塞と言っていた。これが原因で、父はパーキンソン症候群を発症し、次第に動きが不自由になっていったのだった。

また、私より4歳歳上の、まるで”美魔女”のように若々しくて健康で美しい女性が2人とも近年、頭部に動脈瘤や血管の梗塞が見つかって、難儀しておられる状況を見聞きしているので、最近、頭部検査の必要性を痛切に感じていた。

昨日は、体調が最悪で、極度の疲労感と原因不明の筋肉痛に睡眠薬の影響か、ふらふら感がひどくて、人間ドックのメニューをこなすのも青息吐息で、看護師さんが何度も"大丈夫ですか?"と声をかけてくださるほど。心電図の負荷をかける階段の昇り降りや平衡感覚の検査では身体がゆらりゆらり揺れて、倒れそうになった。

検査終了後、脳外科で脳の検査結果だけを聞き、帰宅後、夕食準備前にベッドで休んでいたらいつの間にか眠ってしまい、気がついたら夜の7時。1時間ほど眠ったようだ。夕食後、お風呂にも入らず、9時からまた眠って、ドアを「トン、トン」とノックする音で目が覚めた。時計を見ると、朝の6時だった。

目が覚めたけれど、返事はしなかった。このまま、気が付かなかったふりをして、悪いけど今朝は夫の朝食もお弁当作りもパスして、もっと眠ろうと思ったのだ。しかし、前に寝過ごしたフリして一度ズルしてるし、今回はいくらなんでもズルは悪いかな...と思って起きてLDKに行くと、まだ電気もストーブもついていない。

あれ、夫はまだかな?と思いながら、朝食の準備をしていると夫が入って来たので、"さっき私の部屋をノックした?"と聞くと、ノックしていないという。

そうだよなあ...私が朝起きて来なくても、彼は今まで一度も部屋をノックすることなんかなくて、黙って一人で朝食食べて出勤していたから、ノックする音を聞いた時、一瞬アレ?と思ったのを覚えている。

この家には夫と私の2人しか住んでいないから、夫がノックしたのでなければ、あの音はいったい誰が???



私は昨年のマドリッドの時といい、最近何だかおかしいような気がする。幻覚や幻影をみるようになったのだろうか?

まあ、この不思議な出来事をあんまり突き詰めて考えても収穫はないような気がするので、こういう摩訶不思議なことがあったということだけをここに残しておきたいと思って書き留めておく。(^-^;)


ちなみに、脳検査の結果は、動脈硬化の傾向もなく、よく梗塞が起こる箇所もキレイに通っていて、萎縮も梗塞の跡も無くて、今のところは全く心配はありませんよ、と言うことだった。感謝!
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by dande550213 | 2013-01-23 16:11 | SLE・健康 | Comments(0)

今日はセンター試験の第1日目と、ニュースで報じている。

毎年、この季節になると、娘が繰り返しくりかえしいう言葉がある。

「うちのお母さんって、私のセンター試験の日に、兄ちゃんの食事を私に作るように言いつけて、自分は旅行に出かけたんやで~。ひどい親やろ~。信じられへんやろ~。」

本当にこの私がそんな薄情なことをしたのだろうか?と思うが、当時の記憶が全くないのだ。

念のため、冷蔵庫に貼りだして予定を書き入れている家族のカレンダーの2006年1月のページを見てみると、娘のセンター試験の記載がないので、2006年度のセンター試験がいつだったかもわからない。

ネットで調べてみると、2006年度は1/21・22の土日だったらしい。

カレンダーのその日には、娘のセンター試験も私の旅行の予定も書いてなくて、夫の出かける予定だけ書いてあった。

このカレンダーは、各自が家族に自分の予定を知らせたい、知らせておく必要のある時に書きこむ決まりになっていたから、センター試験の記載が無いということは、娘はわざと(?)書き込まなかったのだろう。

その3年前の息子のセンター試験の日は雪が降ったような記憶があるが、不思議なことに、娘のセンター試験に関しては全く記憶がないから、もしかしたら、私は娘のセンター試験のことを当時忘れてしまっていたのかもしれないなあ・・・と思う。

まさかセンター試験受験の日にちを知っていて、その日に娘をおいて旅行に出かけることはないと思うから、もし出かけていたとしたら、きっと忘れてしまっていたのだろうと、思う。

そもそも、娘がカレンダーに書き込まなくても、受験生の親として、受験日などは当然把握しておくべき情報だったとは思うが、仮に知っていたとしても、私たち夫婦はいつもの日々と何ら変わることなく過ごしていただろうと思うのだが。


娘は他にもよく言う。

「お母さん、うちの親は外国から見たら、ネグレクトで訴えられるで!」

ネグレクトとは聞き捨てならない!栄養を考えた食事も作り、服も手作りしていたではないかと反論すると、親が子どもの習い事の送迎などをしないで、小さい頃から一人で通わせたことを言っているのだと言う。

外国では、行き帰りに子どもがさらわれたりする危険があるから、学校の往復でさえ親が子どもに付き添って送って行くのが当たり前になっていると言う。だから、もしお母さんが外国に住んでいたなら、ネグレクトで訴えられるよ、という意味だそうだ。(^-^;)

娘が小さかった頃の私は今のように元気ではなくて、家で寝たり起きたりぐらいの生活しかできなかった。だから、しかたなく、一人で通わせていたのだが、娘はやはり当時寂しかったのだろう、不安だったのだろう。


私たち夫婦は、どちらかと言えば、子どもに多大な思い入れはない。もしかしたら、強い家族意識もないかもしれない。かなり突き放して育ててきた。いわゆる過保護とか過干渉とかは全く無縁。かと言って、放任でもなかったと思う。

「子どもの成長と可能性を信じて、静かに見守る」ことに徹してきたつもりだ。

口出ししたいこと、手助けしてやりたいことはいっぱいあったが、我慢した。もっと親が教育熱心にならないと子どもが可哀想だと、責められたこともあった。親が子どもに無関心だと、非難されたこともある。

今でも悔いはないが、時々、娘の言葉に、胸が痛むのも事実。
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by dande550213 | 2013-01-19 11:58 | 雑感 | Comments(0)

私の苗字は「大(おお)」の字を含んでいる。

初めてパスポートを作った1993年頃は、「大(おお)」のローマ字表記は「O」か「OO」しか認められていなかった。そこで、「大(おお)」の表記に「O」を選んだ。同時に作ったカードのローマ字表記も「大(おお)」の部分は「O」にした。夫も表記は「O」だった。

しかし、パスポートを更新した2001年の時点では、「大(おお)」のローマ字表記に「OH」も選択できるようになっていたので、私は「OH」に変更した。その時に、係員から「家族のローマ字表記も統一すること。カードのローマ字表記がパスポートの表記と異なると海外旅行した時に問題が起こるかもしれない。」という注意を受けた。

家に帰って夫にパスポートのローマ字表記を「O」から「OH」に変更した旨を話すと、すでに前年にパスポートを更新していた夫は「OH」が選択できたにも関わらず、「O」で更新を済ませていた。

共に10年パスポートだったので、以後、発音上は異なる苗字で夫婦として海外旅行していたが、別段支障はなかった。カードとパスポートの表記も異なっていたが、それもたいして問題にはならなかった。ツアー旅行がほとんどだったから、身元保証はパスポートだけで十分だったのだろう。

次のパスポート更新時には夫も「OH」表記を選択して、これで晴れて夫婦の苗字が同じ表記になったが、私個人に関していえば、パスポートとカードの苗字の表記が異なる状態が続いていた。

海外旅行も今後は個人旅行が多くなるかもしれないので、この際、カードのローマ字表記も「OH」に変更して、新たにもう1枚 International card を作った。カード1枚では、海外で何かあった時に金銭的に対処できないのはペルーへ旅行に行って、現地で私が病気になった際に経験済み。

夫は「あの時、カードが1枚だけだったら、2人ともすぐには帰国できなかっただろう。リマ→ロス→関空間の飛行機の2名分のビジネス料金は、カード2枚を合わせてようやく購入できるぐらいの金額だった。」と言った。

海外旅行に出かける際には万が一に備えて保険に入るのは当然だが、緊急時に先立つものは「お金」になるから、その手配がスムーズに進むように準備だけはしておきたいと思う。

ところで、夫もカードの表記を「OH」に変更したかどうかは、知らない・・・。
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by dande550213 | 2013-01-18 10:33 | 旅行 | Comments(2)

結核患者との接触(2012/10/23-24)から2ヶ月半が過ぎ、今日2回目の接触者検診を保健所で受けた。

今回は、胸部X線検査の他に、QFT検査(血液検査)も受けた。

テレビで「今日、あいりん地区で結核検診を実施した。血液検査をして感染患者はゼロだった。」というニュースを見たことがあったので、血液検査をすればすぐに感染の有無がわかるのかと思っていたら、QFT検査(血液検査)は結果が出るまでに2週間ほどかかると言われ、がっくり。まだ保留の状態が続く。

前回(2012/12/07)の胸部X線検査の結果は、「異常なし」だった。

今のところ、乾いたせき、微熱、痰、体重減少、胸が痛い、からだがだるいなどの諸症状は出ていないが、万が一、昨年秋に感染していれば、ステロイド服用で免疫力の落ちている私は発病のハイリスク群に入るので、気が抜けなくなる。

保健所には、結核関連のパンフレットやチラシがたくさんあったので、ありがたく持ち帰った。

それによれば、結核は、過去の病気ではなく、世界的にみても増加の一途を続ける感染症で、世界の人口の約3分の1が感染しているそうだ。年間約890万人の人が新たに結核を発病し、アジア・アフリカ・中南米地域での増加が目立ち、日本などの先進国でも結核の減少が鈍化しているので、WHO(世界保健機関)は1993年に「結核の非常事態宣言」をしたそうだ。日本でも厚生省が1999年に「結核緊急事態宣言」を発表して、結核対策の強化を呼びかけているという。

結核がこんな事態になっているなんて、知らなかった...
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by dande550213 | 2013-01-16 17:43 | SLE・健康 | Comments(0)

2013/01/16 :大雪?
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by dande550213 | 2013-01-16 07:37 | PC・IT | Comments(0)