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ステロイド剤と2人3脚の全身性エリテマトーデス(SLE)患者の " 猪突猛進、横道うろうろ "人生備忘録:落ちこぼれクリスチャンが心を入れ替えて(- -;)学ぶ日々の「御言葉」と、スペイン語の勉強、SLEの病状などの日々のささやかな記録・・・というのが当初の自己紹介でしたが、今は、単に「日々生きて、夢中になった事ごとの記録」(((^^;)


by dande550213
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教会の、ご高齢のA兄が、突然、私たちの目の前から、姿を消された。

88歳でいらっしゃったが、昨年末まで、礼拝やヘブル会、カナン朝祷会、マリア会へと
週に何度も他市から自転車で教会へ通われ、お元気だった。地域集会にも参加されていた。

それが、転倒されたことから、ここ1ヶ月ほどすっかり気が弱くなられ、
退院された後も、外出されなくなり・・・。

ほんのついこの間までお元気だったから、弱られたお姿の記憶がない。

だから、今日未明に召天されたと聞かされても、実感がわいてこない。

「エノクのように、突然、姿が見えなくなった。」

そう思わさせるほどに、神に愛され、神に忠実に歩まれた信仰生涯だった。


ヘブル11:5 信仰によって、エノクは死を見ることのないように移されました。
        神に移されて、見えなくなりました。
        移される前に、彼は神に喜ばれていることが、あかしされていました。

創世記5:22 エノクはメトシェラを生んで後、三百年、神とともに歩んだ。
        そして、息子、娘たちを生んだ。
     5:23 エノクの一生は三百六十五年であった。
     5:24 エノクは神とともに歩んだ。神が彼を取られたので、彼はいなくなった。
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by dande550213 | 2009-01-30 16:41 | 教会生活 | Comments(4)

静脈血管炎発症


昨年、ステロイド剤が6mg/dayにまで減量されて後、
初発時にはなかった症状が出始めてきたように感じる。

それは、関節の痛みと静脈血管炎。

SLE発症23年目にして初めて、昨年関節の痛みに悩まされるようになったが、
今年は下肢静脈の血管炎にも悩まされるようになった。

幸い、まだ軽症なので、患部の写真撮影だけして経過観察になった。
主治医は、春になれば自然に治るだろうと言われる。

「春になれば治るだろう」ということは、寒さが一因なっているのだろうか。

SLEは、抗リン脂質抗体症候群を発症することが多いと聞く。

抗リン脂質抗体症候群になると、血管に炎症が起き、血栓ができやすいようだが、
今回の私の症状は、これに起因するのだろうか。

左下肢だけだったが、最近は右下肢もジリジリと痛い。

痛い部分をストーブで暖めているとジリジリ感が薄れるが、
ストーブから離れると、またジリジリと痺れるような不快な痛みが襲ってくる。


SLE初発時、腎臓がやられていたので、即入院でステロイド剤60mg/dayから治療が始められ、それから23年かかって、ようやく6mg/dayにまでこぎ着けたが、ステロイド減量の限界に差し掛かっているのかもしれない。

SLEの症状とステロイド剤の副作用とを天秤にかけながらの綱渡り人生が、これからも続く。
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by dande550213 | 2009-01-26 13:07 | SLE・健康 | Comments(4)

我を忘れないように


誰のことばだったかな?

読んだ本の中に書いてあったのか、
それとも牧師先生から聞いたことばだったのか、よく覚えていないが、
妙に心に残ったことば。

確か・・・

「他人を見れば失望し、自分を見れは絶望し、イエスを見れば希望がある。」だったかな?

このことばを思い出したのは、最近、他人の言動に振り回されて、
怒りや憤り、義憤の感情をコントロールできなくなっている自分に気がついたからか・・・。

自意識過剰からわきおこる雑念に、自分を見失っていたような気がする。

教会生活をイヤだと感じ始めるとき、原因はいつも聖書以外の別のところにあった。

他人の言動や人が織り成す世界の矛盾に、我を忘れて、怒ってしまう。
そんなときは、いつの間にか、周りへの気配りが疎かになっている。

と、自分では反省するが、娘に言わせると

お母さんは、空気を読みたいと思っているけれど、読めない人。
お父さんは、空気を読めるけれど、読まない人。

なのだそうだ。(笑)

全く読めないのではなく、我を忘れたときに読めなくなってしまうのだと、自分では思うのだが、
この自己評価は甘いかな。(笑)


イエス様だけを見上げていたら、「我を忘れて、カーッ!となること」はないだろうに、
すぐにイエス様が吹っ飛んでしまうのだ。



態度がぎごちなくて変と思われようが、とにかく自分の頭の中にうずまく激しい思いをしゃべらないように必死で抑えて、一晩たったら、あんなに熱くなっていたことがバカらしく思えてきた。

たとえ、義が私にあろうとも、あのとき、しゃべらなくて本当に良かった・・・と、今日は思える。

我を忘れないように、常にイエス様を見上げて歩みたい。
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by dande550213 | 2009-01-25 21:09 | 教会生活 | Comments(2)

礼拝や祈祷会などで、牧師先生の説教や信者さんの証を聞きながら、小さな声で「ああ・・・主よ」とか「ハレルヤ!」と、ごく自然につぶやくような応答の声を出される方がいる。

よく観察すると、そういう方は、牧師先生のような教職者や霊的に豊かな信仰心厚い信者さんが多いような気がする。

私はそのような言葉を発しないので、最初はびっくりして、この人は少しおかしいのではないかと思ったことがあった。

最近、私も「アーメン(そのとおりです)!」と応答することはよくあるようになった。

しかし、「ああ・・・主よ・・・」とか「ハレルヤ(主を褒めたたえよ)!」とかの、主を褒めたたえるような讃美の言葉はまだ出てこない。

「まだ」とこだわってしまうのは、自分の中で、「出てくるほうが良い」と思っているからだろう。

しかし、これは訓練や習慣付けなどで強制的に出てくるようにするものでもないし、人それぞれだから・・・と、あまり深く考えないでいた。

「讃美歌と聖歌」でも書いたように、私は讃美の歌も出てこなかった。出てこないのは、歌詞やメロディが覚えられないからではなく、讃美したい気持ちが沸いてこないからだったと思う。

「神への賛美を捧げる」ために歌うはずなのだが、「神への賛美」がよくわからなかったので、「自分は、ただ儀礼的に歌っているだけだ」と違和感を感じていた。

「自分は(適切な言葉ではないが)どうも本物のクリスチャンではないようだ」という劣等感に苛まれながら、それを押し殺すようにして、せめて奉仕だけは・・・と、がんばってきたように思う。

だから、「喜び」はなかった。
義務感でいっぱいで、教会は私には「学校」にように思えた。

教会という学校の霊的劣等性。

私はそう自己評価し、それでも歩いて10分というお手軽さも手伝ってか、教会からは離れなかった。

私は元来合理的な思考ができるタイプの人間では無かったから、「合理的な人間・理性的な人間」に強い憧れを持っていた。自分もそうなりたいと願い、できるだけ、非科学的なことは排除しようという意識が強かったように思う。

だから、サウルでないけれど、クリスチャンになってからも「霊的なこと」に関心は薄かった。

神の存在は認めているが、それが私とどう関わりがあるのか、その辺のことがよくわからないままに、惰性でクリスチャンを続けていたように思う。

なぜ、こうなったかは、散らばったパズルの断片のように、おぼろげながらわかるのだけれど、それを自分の力では正しい位置にはめ込むことができない、そんなもどかしさを感じていた。

昨年から祈祷会に参加するようになって、より強くこのことを意識させられるようになった。

祈祷会では、頭でっかちの小手先だけの好き勝手なことを話していたが、メンバーの方々は辛抱強く聞いてくださった。

でも、そんな自分に自己嫌悪して、この唇が潔められるまで祈祷会は休みたいなあ・・・と、また自分勝手なことを考えるようになっていたが、年末のH姉の言葉で、木曜日にも祈祷会があることを知り、こちらならたぶんテープで牧師先生のお話をきくだけだろうと思って、昨日出席したら、なんとこちらは(もっと苦手な)祈り会が中心だった。

昨日の祈祷会での学びは「ハレルヤ」で、レジュメを見ながら、牧師先生の説き明かしのテープを聴いていて、ギクッとした。

それは、

「もし、ハレルヤが出てこないとしたら、それは主に頼っていない、信頼していない、それだけのことである。」

という言葉だった。

あまりにも簡単な答えで、唖然としたが、図星だと思った。

私は「人の力を用い、自分の力でがんばり、神さえも利用しようとする本性を巧みに隠して(ベラカ2009.1 P36)」生きてきたのかもしれない。

人の力(主体的に思考・行動して解決を図る)が、どうしても手放せないのだ。

追記
今日の夕刊(09.01.16 朝日新聞PM)で、
難病のため、長年闘病生活を送りながら執筆活動を続けておられる生命科学者の柳澤桂子氏が、ナチスに処刑されたドイツの神学者ディートリッヒ・ボンヘッファーが残した言葉「神の前に、神とともに、神なしに生きる」を引用して、"謙虚に、自分を大事にして、自分の足で生きるという「神なしの境地」が私には理想の生き方です。"と結んでおられるが、揺さぶられる。
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by dande550213 | 2009-01-16 15:49 | 教会生活 | Comments(2)

和歌山教会の和田治牧師


今、聖書日課の学びは「サムエル記上」

教団の「ベラカ」誌上の執筆者は、和歌山教会の和田治牧師。
先生の一言一言が、暖かく厳しく、愛を持って心に突き刺さる。

「ベラカ」の聖書日課の手引きで、こんな経験は初めてでだ。

若手の牧師先生で、
私の記憶に間違いがなければ、今回の執筆が初めてではないだろうか。

悩んでいる者に、
率先して、その者の目線にまで降りて、声をかけてくださる先生ではないかと思う。

私にも声をかけて励ましてくださったことがある。

数年前に教会での学びの後で。

帰宅してすぐに、
HPの奉仕者がいなくて大変だとおっしゃっていた教会のHPを見た。

その後、教団のHPで先生のメッセージ「傷つき疲れたなら・・・」 を聴いた。

今、和歌山教会のHPは無くなっている。
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by dande550213 | 2009-01-14 17:31 | 教会生活 | Comments(0)

今年の元旦のロゴ
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by dande550213 | 2009-01-12 11:03 | PC・IT | Comments(0)

忘れる・・・


祈祷会で、ある姉妹が「最近、物忘れが激しくて・・・」と嘆いておられたが、
私も、最近、物忘れがひどい。

その姉妹は確か75歳だとお聞きしたから、「寄る年波」ということだろうが、
私はまだ50代前半(^-^;)だというのに、いったいどうしたことかと、情けない限り。


今日も先ほどから、階段を昇ったり降りたりして、眼鏡を探し回っていた。

洗面所、食堂、自室のどこにも見当たらない。
家の中に居る限り眼鏡はなくても用を足せるのだが、外出するときに無いと困る。
また、置き場所がわからないと、うっかり上に座って踏み潰す危険性があるので、
必死に探し回った。

他によく探し回るものは、「歩数計」。
着替えるときに外して、どこにおいたか、わからなくなる。

どちらも外した時の置き場所は一応決めてあるのだが、
そこに置くのが面倒くさくなって、ついその辺に置いてしまうのだ。


洗濯の際のお風呂の残り湯を洗濯機に入れるポンプを止めるのもよく忘れる。
この防止のために、タイマーを用意しているのだが、
大丈夫と思って省略すると、やっぱりポンプを使っていることをいつのまにか忘れて、
モーターが空回りしている音でようやく気がつく。


讃美歌、これも新しいのはなかなか覚えられない。

「今週の讃美歌」として、その週の礼拝で讃美した曲の中から、
まだメロディを覚えていない讃美歌を2曲選んで、
聖書を購読する前に讃美することにしているが、
昨日歌った曲ですら、もう次の日には楽譜を見てもメロディが出てこない。
しかたがないので、PCに打ち込んだ曲を演奏させて、ようやく思い出す。

今週は、讃美歌21の4番「世にあるかぎりの」と205番「今日は光が」を選んだ。
4番の方は早くに歌えるようになったが、
205番は、今日もメロディが出てこず、PCのお世話になった。

情けない・・・。
どうして、この1週間、毎日に讃美している曲のメロディが覚えられないのだろうか・・・。


2日前は、PCの生徒さんに宿題ファイルを送信するのを忘れていて、
当日の朝にようやく思い出し、あわてて、送信したので、
生徒さんは提出が授業に間に合わなかった。

昨日は、忘れないようにと、授業が終わってすぐに送信したら、
夜、生徒さんから、宿題ファイルが届いていないと携帯にメールが入る。
あわてて調べてみると、彼女の別のアドレスの方に送っていたことがわかる。


スペイン語・英語の単語もなかなか覚えられないし、すぐに忘れる。
某無料サイトに登録して、昨年末から勉強を始めたのだが、
まるで頭の中に霧がかかったように、ぼんやりとかすんで、思い出せない事が多々ある。

そのサイトへ入るためのログインIDもよく忘れる。
毎日使っていても、細かいところがうろ覚えなのか、エラーで怒られる。

ネットバンクや買い物サイトなどのログインIDとPW。
セキュリティ上、全部違うものにして、PCに記憶させない設定にしているので、
これも覚えられなくて、毎回ノートを見て、入力している。
このノートを無くせばお陀仏になるので、至急複製を作っておかなければと思いつつ、
これまた面倒くさくて、未だほったらかし。


若いころと比較したらダメだということはわかっているが、
覚えるのにこんなに苦労するようになるなんて、少し悲しいなあ・・・。

嘆いてばかりしてもしょうがない。
覚えるまで、何回も繰り返せばいいのだから・・と気を取り直して、
今日も勉強サイトへ出かけるぞ~♪


それにしても、忘れてはいけないことはすぐに忘れてしまい、
忘れなければならないこと、忘れてしまった方がいいことは、なかなか忘れない。

人間とは、なんと厄介な生き物だこと。
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by dande550213 | 2009-01-10 10:47 | 雑感 | Comments(0)

2008年の反省^-^;


5,6日の自宅での漢検特訓勉強会、今日のマリア会とPC初授業も終わり、明日から塾の授業が始まる。

そろそろ今年の抱負を考えて一応のけじめをつけないと、このままズルズルと流されてしまいそうで焦っている。

就職試験に落ちまくって未だパート生活の娘と、2月に転職する息子を抱えて、不安はつきないが、子どもたちのことはひたすら信じて見守ってやるしかないと思っているので、できるだけ口出しはしないようにしている。

しかし、今日も宛名書きが娘の字で、ある会社から封筒が届いた。中身は知る由も無いが、手触りから、履歴書が返送されてきたのではないかと思い、また少し落ち込む。

私に似て、高慢で人を見下したような娘。

あまり落ちまくると、自分を全否定されているようで辛いだろうなあ・・・と、親としても悲しいが、本人が真剣に自分を反省して、再起を図るしかないのだ。

自分の道は、自分で切り開くよう育ててきたつもりだ。

息子はそう育ったが、娘はまだまだ世間知らずの「甘ちゃん」だと思う。


しかし、いつまでも娘のことに気を取られていると、自分のことが疎かになるので、薄情かもしれないけれど、娘の心配はアッチへ置いておいて、先ずは2008年の総括から。

(1)スペイン語の勉強・・・検定を受けるのが目標ではなく、「スペイン語を勉強して、何をしたいのか」を、今一度考え直す時期がきたと思う。興味の持てない題材を使っての勉強、マンネリ化した勉強、自分のレベルには高すぎる勉強など、今までの勉強方法が自分に合った勉強方法がどうか吟味して迷っていたが、結局、今までのお仕着せの勉強方法は全部捨てようと思う。

(2)英語の勉強・・・海外旅行をするには、結局は英語ができないとダメだということは痛いほどわかっているのに、どうにも勉強する気が起こらなかった。なぜかというと、「英語という言語」が私には合わないような気がするからだ。スペイン語と比べると、とにかく「聞き取りにくいし、発音しにくい。」また、英語を勉強しだすと、スペイン語がおかしくなる。つまり、私の頭ではうまく二言語の切り替えができないのだ。だから、英語にはできるだけ触れたくないという気持ちが強かったが、英語も最低限できないと不自由することが、外国へ行くたびに、身にしみてわかる。何とかせねば・・・と、焦っている。

(3)聖書の学び・・・昨年、一番大きく進展したのが「聖書の学び」だが、最近はマンネリ化して、霊的に貧しいと感じている。

(4)健康管理(SLE)・・・昨年は関節の痛みに右往左往した年だったような気がする。左手中指に装具をつけたり、右手親指がバネ指になりテーピングしたり、半月版断裂で手術したほうの膝が痛くなったり、こんなに身体のアチコチが痛み出すのは20数年にわたる闘病生活でも初めて。それとともに、プレドニンの減量が限界に達したのか、とにかく疲れやすく、以前のようには気力が続かなくなったのを感じる。
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by dande550213 | 2009-01-07 17:24 | 雑感 | Comments(2)

2009年年賀状


f0096508_1485279.jpg恭賀新春
本年もどうかよろしくお願いします
 昨年は、シルクロード交易の民ソグド人の故郷ウズベキスタンへ行ってきました。今年は、もし健康が支えられるなら、インドかイランへ行きたいと願っています。
 また「瞬間湯沸かし器」ですので、次の言葉を自戒の銘としたいと思っています。
穏やかな心は、からだのいのち。はげしい思いは骨をむしばむ。(箴言14:30)

創造主の豊かな恵みが皆さまに満ち溢れますよう、お祈りします。
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by dande550213 | 2009-01-02 14:21 | 雑感 | Comments(2)