一歩一歩!振り返れば、人生はらせん階段 ippoippo51.exblog.jp

好きなリンク先を入れてください

ステロイド剤と2人3脚の全身性エリテマトーデス(SLE)患者の " 猪突猛進、横道うろうろ "人生備忘録:落ちこぼれクリスチャンが心を入れ替えて(- -;)学ぶ日々の「御言葉」と、スペイン語の勉強、SLEの病状などの日々のささやかな記録・・・というのが当初の自己紹介でしたが、今は、単に「日々生きて、夢中になった事ごとの記録」(((^^;)


by dande550213
カレンダー
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31

<   2007年 12月 ( 8 )   > この月の画像一覧


マリア三昧の先週土曜日


先週土曜日、午前中はスペイン語授業を受け、
午後は映画「マリア」を見て、↓
f0096508_15324488.jpg

夕方は、阿倍野カトリック教会で、マリアを讃える歌を聴く。↓
f0096508_15353631.jpg


師走とは思えないような、満ち足りた自由な時間の幸せ。
[PR]
by dande550213 | 2007-12-18 15:29 | 雑感 | Comments(5)

今を去ること9/24に
大阪市立図書館にインターネットから予約した本
今日になって
準備できたから12/27までに阿倍野図書館へ借り出しに来るように・・・という
メールが入った。

米原万里さんの「愛の法則」(集英社新書)

最近、米原さんのファンになって、彼女の本を図書館で借りまくって読んでいたのだったが、
もう図書館の本で興味がある米原さんの本は読みつくしたと思っていたが、まだ残っていたのか・・・(^-^;)

予約したことすら、もうすっかり忘れていた。

私が今時分になるということは、たぶん私の後にも予約が入っているだろう。
そうすると、借り出し期間の延長申請はできないから、2週間で返却しなければならない。

師走は主婦は忙しい。
仕事も今年はありがたいことに来週の冬期講習が舞い込んできた。
1月の漢検に受かりそうにない生徒は、呼び出して来週自宅で漢検特訓をやる。

掃除は大嫌いなので、年末大掃除、まだほんの少ししかしていない。
今週からがいよいよ本番の追い込みなのに、今さらのんびり本なんか読んでられないよ。

先週、遊びすぎた。
来週から、忙しい。
今週が、掃除最後の追い込みの予定だった。

もう、予約を取り消そうか・・・と悩んでいる。
[PR]
by dande550213 | 2007-12-18 15:24 | | Comments(0)

2007-12-16 「見よ、あなたがたの神を」イザヤ35章1-10節(マタイ11章2-6節)

 今日は、教会暦では待降節第3主日となっています。待降節が何のために定められているのかと言えば、そこには二つの意味があると思われます。

 一つは、過去における神の御業を記念することであり、二つには、来るべき神の御業を信仰と希望を持って待つと言うことです。

 旧約の歴史は神の約束を待望する歴史でした。歴史とは待望することだと言えます。しかしそれはまた、実に困難なことでした。なぜなら神の約束には、日時が記されていないからです。

 人はさまざまな約束を交わします。しかし、その約束が実現しないこともあります。しかし、神の約束は、わたしたちが交わす約束とは根本的に違います。それは必ず実現するという神の真実です。人がみな不真実だと言うのではありません。しかし、人には力の及ばない事があります。愛はあっても力が無いために実現できないこともあるでしょう。しかし、神は愛と力を持って居られる方です。ですから約束は必ず実現するのです。

 今や、教会は、主が再び来てくださる約束を信じて待ち望むことが期待されています。そればかりか家族の問題、健康の問題、将来のこと、そして教会に与えられたビジョンなど、救い主を送ってくださった神のご真実を喜び記念すると共に、神の約束に対する信仰と希望を新にするのです。

1.捕囚の民に

 イスラエルの民のバビロンにおける70年は、絶望的日々でした。エルサレムへの道は遠く危険でした。荒廃しきった祖国を思うとき、その胸は張り裂けそうです。バビロン捕囚に限らず、イスラエル人の歴史は、広く散らされた離散の民となって苦しみ喘ぐ歴史の連続でした。

 そのときイザヤの預言が思い出され、その約束が語り継がれます。

「見よ、あなたがたの神を。・・・神は来て、あなたがたを救われる。」

 何時かわからない、しかし必ず実現する。そのことを語るのが預言者の使命でした。そして、喜びの帰還の幻の間に、これを待望する者への勧め、励ましが語られるのです。「弱った手を強め、よろめくひざをしっかりさせよ」

2.現在、信じる者に

 イザヤの預言は、イスラエル人がバビロンから祖国に帰ることによって成就しましたが、さらに主イエスの来臨によって、現在信じる者たちの内にも実現したことです。

 かつてバプテスマのヨハネが、イエスのもとに弟子を遣わして尋ねさせました。「おいでになるはずの方は、あなたですか マタイ11章3節」と。この問いに主イエスはイザヤの預言のことばをもって答えられます。「目の見えない者が見、足の萎えた者が歩き・・・貧しい者たちに福音が宣べ伝えられている」と語られ、イザヤの預言が成就していること、そして約束の救い主は自分であることを明らかにされたのです。

 バプテスマのヨハネ同様に、イエスが果たして救い主かと思い惑っている人は、今日もなお多くいます。その中で、わたしたちは信仰によって、霊的な目が開かれ、耳が聞こえるようになり、聖書の中から神のみ声を聞くことができるようになったのです。今は真理の道を歩むこともできるようになりました。

 しかしこの預言は、主の再臨によって、文字通り世界的規模・宇宙的規模で実現することでしょう。

3.待望の群れとして

 教会は待望の群れです。預言者を通して語られた神の約束が、世界的規模で実現することを待ち望みます。そのために待望の群れに期待されることは、「弱った手を強め」ることです。これは堅く握ると言うことです。約束を信じて動かないことです。「よろめく膝をしっかりさせよ」。膝とは祈りを意味します。祈りを怠らないことです。信じて祈り続けることです。「見よ、あなたがたの神を」。これは、あなたがたの神は居られると言う意味です。

 いつも共に居て下さる主を信じ、神の真実を信じて、約束の実現を信じ続けるのが、「待望の群れ」教会のあるべき姿です。

                     (説教者:柏原教会協力牧師 岸本 望)
[PR]
by dande550213 | 2007-12-16 23:57 | ファイリング | Comments(0)

2007-09-16 「宣教の愚かさ」 第一コリント1章18-25節

 キリスト教宣教の第1世紀においても、この21世紀においても、人々が十字架を愚かとすることに変わりはありません。パウロ自身、かつては十字架を愚かとしていました。しかし、今や十字架こそが神の力だと言います。それに対して、「知者はどこにいるか」と問います。

1.知者とは 学者とは

 ここで語られる「知者」とは、知識こそが人を幸福にするとか、救いとなると宣伝する人のことです。

「学者」とは、律法学者のことで、神についての知識を誇る者のことです。神についての知識を誇ってみても、十字架を他にしては、神を知っているなどとは言えないのです。パウロ自身、主イエスの十字架に直面して、はじめて神を知ったと言い得たのです。

 この世の言う知恵や知識は、時にまなこを明らかにしてくれます。しかし、神がご覧になればそれは愚かというほかありません。なぜならそれは魂の救いを与えることができないからです。

2.この世の知恵

 「この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵による」と記されています。人は、神を知ることができたのに、神を知るにいたらなかった、それは罪があるからだ、と聖書は語ります(ローマ1:18-20)。

 人は、自分の力で神に近付こうとして神の怒りにあいました。それがバベルの塔の出来事です(創世記11章)。そして今も人は同じ事を繰り返しているのです。その限りにおいては、人は神を知るには至らないのです。

 人間の知性や理性だけで神を知ることができないと言うことは、「神の知恵による」と記されています。それは、バベルの出来事以来、神が語り続けて居られることであり、まずそのことを知ることが、神を知ることの出発点でなければならないのです。

3.神を知る道

 神を知るには、自分の知恵、すなわち人間の理性だけではなく信仰が必要なのです。知性や理性ではなく信仰によって、すなわち十字架のイエスを救い主として信じることによって罪から救われ、こうして神を知ることとなるのです

 救いという前提なしに、人が神を知ることはありません。なぜなら、人が神を知ろうとしたのは救いを得たいと願ったからなのです。

 そしてその救いは、「宣教のことばの愚かさ」に基づきます。主イエスの十字架の事実を宣言することは、人間が知恵を尽くし探究することに比べればまことに愚かなことに見えます。ですから「宣教の愚かさ」と言うのです。

 「ユダヤ人はしるしを・・・、ギリシア人は知恵を・・・」と記されていますが、これは今も変わらない人間の姿そのものです。しるし、すなわち奇蹟を求める者と、理性を絶対とし、理性に合わないことは信じられないとする者たちです。

 しるしを求める者には十字架は神を冒涜するものとしか見えず、理性を絶対とする者には十字架は理屈に合わないとしてしりぞけられます。

 しかし、教会は、十字架に付けられたイエスこそ救いであると宣言し続けるのです。なぜならそれこそが信じる者に救いを得させる神の力だからです。そしてここに神の知恵があるのです。

 わたしたちはこの時代のただ中にあって「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには神の力です」と、大胆に宣言するのです。神は、この宣教の愚かさをもって人を救うこととされたのです。

                         (説教者:柏原教会協力牧師 岸本 望)
[PR]
by dande550213 | 2007-12-09 22:54 | ファイリング | Comments(2)

問いをもてあそぶ


今日の礼拝説教で一番ギクッ!とした言葉。

それは「問いをもてあそんではいけない」という牧師先生の言葉だった。

私が「知りたい」と願って質問するとき、時として、「問いをもてあそんでいる」場合があるような気がするのだ。純粋に「知りたい」という欲求だけではなく、「議論を楽しみたい」と言う気持ちがあるような気がする。

書くことによって自分の考えや思いが「整理できる」ように、議論することによって、自分の考えの中に「新たな展開が生まれる」

そのことを無意識のうちに求めていたような気がする。

学問や研究の世界では、それは良しとされるだろうが、こと信仰の世界では「百害あって一利なし」なのかもしれない。

それは結局「自分で納得したい」という行為だから、「問いをもてあそんでいる」ことになるのかもしれない。
[PR]
by dande550213 | 2007-12-09 22:44 | 教会生活 | Comments(0)

つい2週間ほど前に、ずいぶん偉そうなこと書いたけど、やっぱりまたSANYOのICレコーダーを買ってしまった。『(^-^;)

今度の機種はコレ↓ DIPLY TALK ICR-B181M
f0096508_22102147.jpg
前より小型スリムになり、内蔵メモリが倍になり、タイマー録音ができるようになり、ステレオタイピンマイクとインナーイヤーステレオヘッドフォンもついて、値段は前の機種の半分。

MP3で録音できるSANYOのICレコーダーの便利さを経験してしまうと、もうコレから離れられないということが、悔しいけれどこの2週間でよくわかった。

ネットで最安値を調べたら、幸い、今日のスペイン語の教室から歩いていける日本橋のお店だったので、WEBページをプリントアウトして持って行き、WEB価格でGETしてきた。

前の機種より改良されてずいぶん使いやすくなっているので、大満足。こういう買い物が一番うれしい。

後、欲しいものは新しい携帯。

今のは6年前に新規契約したときに既に中古品だったムーバ。カメラもないし、今ではバッテリーが消耗しかかっている。機種変更、乗換えなどを毎晩ネットで検索しているが、未だに携帯の料金や割引システムがよくわからない。

私が新しい携帯に求めることは、

1.海外でも使えること、
2.地図と時刻表を出先でも気軽に見れること、
3.メモが取れてそれをPCに取り込めること、
4.そして後はメールとカメラ。

これだけで十分。

果てさて、こういう使い方を一番安くできるのは?

ちなみにうちの家族はみなDocomo.
[PR]
by dande550213 | 2007-12-08 22:38 | PC・IT | Comments(3)

ひょんなことから、「社会実情データ図録 Honkawa Data Tribune」というHPを知った。

そこには興味深いデータがグラフ化されているが、中にこんなデータがあった。

「神の存在・死後の世界に対する見方(世界55カ国比較2000年)」
f0096508_1451945.gif

                        (※↑上記HPより画像をいただきました。)

このデータへの2006年度の年間アクセスランキングが第7位であるところをみると、やはり万人にとっても興味深いテーマなのだろう。

このデータに関する本川氏の解説は、どうか上記HPを見てください。

中から少し、引用させていただきます。

>神の存在と死後の世界を比べると、神の存在の方が一般的に信じられている。神の存在は24カ国で90%以上の人が信じており、50%未満の人しか信じていない国は5カ国に過ぎないのに対して、死後の世界は、90%以上の人が信じている国は4カ国しかなく、50%未満の人しか信じていない国は25カ国もある。

>日本人の特長は、「わからない」の比率が多い点にある。神の存在については、世界各国の中でも、「わからない」の比率は圧倒的であるし、死後の世界についても、「わからない」の比率は世界一高い。日本人は、神の存在や死後の世界に対して、存在するともいえるし、存在しないともいえるという立場をとっているように見える。悪く言えば、どっちつかずの見方で他国から理解不能な民族ととらえられる傾向があるともいえるし、よく言えば、存在を証明できない以上、どっちでも良いではないかと哲学的に考えている民族であるともいえる。


日本にキリスト教が広まらない理由はこの辺にありそうな気がする。

また、クリスチャンであっても死後の世界について確信の持てない人々が、いわゆるクリスチャン国にも多いことが読みとれる。
[PR]
by dande550213 | 2007-12-05 14:52 | 雑感 | Comments(2)

喪中欠礼で訃報を知る


5年前に御夫婦でパソコンを習いに来られていた方。

同じ町会にお住みで、PCを習うのを止められてからも、時々「PCがSOS!」の連絡があって、お住まいに駆けつけたりしていた。

その後、私は近くの別の町会に引越ししたが、ご主人が引越し先にもよくお野菜を届けてくださったりしていた。

昨年11月に、「自分たちも近くの別の町会に引越ししたが、新居にPCを見に来てほしい」と電話を受け、家から歩いて10分ほどの新居のマンションに駆けつけて、びっくりした。

御主人が間質性肺炎になって、酸素吸引されておられたのだ。ボンベがないと、外にも出られないのだといわれる。

以前はふっくらしておられたのに、見る影も無いほどやつれておられた。

インターネットの接続設定をして、同じ御病気の方のブログや闘病記などを御紹介してお別れした。

その後、どうしておられるのだろうか・・・と、時々気にはなっていたが、奥様からの「喪中欠礼」のはがきによると、先月、亡くなられたと言う。まだ67歳だった。

なぜ、突然肺繊維症になられたのかわからない。難病指定を受けておられたところをみると、原因不明だったのだろう。

でも、こんなに早く亡くなられるとは思ってもみなかったので、1年も御無沙汰していたことが悔やまれる。

この歳になると、年末の「喪中欠礼」はがきがポストに入っているのを見ると、胸騒ぎがする。

病気の知り合いが多いからだけれど、今さらながらに、健康だった人でも明日はわからないことを思い知らされる。
[PR]
by dande550213 | 2007-12-03 23:26 | 雑感 | Comments(0)