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ステロイド剤と2人3脚の全身性エリテマトーデス(SLE)患者の " 猪突猛進、横道うろうろ "人生備忘録:落ちこぼれクリスチャンが心を入れ替えて(- -;)学ぶ日々の「御言葉」と、スペイン語の勉強、SLEの病状などの日々のささやかな記録・・・というのが当初の自己紹介でしたが、今は、単に「日々生きて、夢中になった事ごとの記録」(((^^;)


by dande550213
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今年もいよいよあとわずかになってしまった。

息子が帰ってきて、
午後6時から、我が家恒例の「大晦日の河豚コース」が始まる。

鍋は鍋奉行の采配に委ねて、三重県の地ビールを飲みながら、てっさをつまみ、
「てっちり鍋」を皆で食べ、最後の〆の「ふぐ雑炊」もいつもお味で、つつがなく今年も終る。

こうして家族4人がそろい、みな元気で大晦日を迎えられたことは本当に感謝だ。

2006年は、初めて、ともに暮らす家族が3人になった年だった。

親子が分かれて暮らして、改めて、互いの思いを知った年になった。
家に居るときは全然知らなかった「息子の家族と我が家に対する感謝の思い」を
それとなく感じた年だった。

母親として、今までで一番幸せな年になった。

離婚しなくて良かった・・・と心から思った。
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by dande550213 | 2006-12-31 23:18 | 雑感 | Comments(2)

今夜のコンサートで、路得子さんの本、『や・さ・し・さ・の・喝・采』を買って帰った。
f0096508_22173891.jpg読むと、こんな一文があった。

 螺旋(らせん)階段のように、同じ所をぐるぐるまわっているようでも、私は確実に上へとのぼっていく。
 途中でへとへとにバテても、
 ストライキを起こして、
 「もうイヤだー」と叫んだ時も、
 いつも、いつも
 イエスさまは私と一緒だった。
 力尽きて転がり落ちても、
 イエスさまは、
 私の右の手をしっかり握ってはなさなかった。
 その螺旋階段は、今日も天に向かって続いている。
                                 (「秋風に揺れた日」より引用)

そうか、私のらせん階段もそうなんだ!
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by dande550213 | 2006-12-24 22:20 | | Comments(4)

神さまの眼差し・・・


f0096508_21272897.jpgクリスマス・イブの今夜、教会で「ベドウ・路得子さんを迎えてのクリスマウコンサート2006」があった。
路得子さんはアメリカ人宣教師のご主人と3人の娘さんと一緒に来られていた。
路得子さんの歌に合わせて、ご主人がスライドを操作される中に、私の心臓をぐいっと鷲づかみにした一枚の写真があった。

青年の眼差し。カメラを向けられて、あんな眼差しができる人がこの世にいるとは思われないような、透き通った、凛とした清廉な眼差しだった。

何が本物で何が偽物か一目で見抜くような眼差し。それでいて、不思議に暖かい眼差しだった。見えないものを見つめ、見極めようとしているようにも思える。

彼の顔をじっと見つめていると、彼の眼差しの向こう側が透き通って見えるような、そんな錯覚を覚えるほどの透徹した眼差し。

だから、見つめられると恐い。だけど、見つめてほしいような・・・。
その眼差しに、自分ではまだ気がついていない醜い心の奥底を照らし出して教えて欲しい、そんな誘惑にかられそうな眼差しだった。

神さまの眼差しに思えた。彼の眼差しの向こう側に神さまがいらっしゃるような気がした。

そんな眼差しだった。
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by dande550213 | 2006-12-24 21:51 | 教会生活 | Comments(0)

今日、教会から帰って、夕食のゆで卵を作るべくガス台にセットして
「ほんの10分・・・」と自室に上がって年賀状にコメントを書き始めたら、
もうすっかりゆで卵のことを忘れてしまった。

何分たった頃だろうか、突然、下で「パン!パン!」と鉄砲の弾を撃つような音が聞こえて、
はっと気がついた。ゆで卵を作っていたことを・・・!!!

慌てて下に降りていくと、大掃除したばかりのガス台の周りにゆで卵が飛び散っていた。
壁のアチコチにはゆで卵がぶつかった跡がある。

昨日の薬の飲み忘れといい、今日のガスの消し忘れといい、
笑い事では済まされない「物忘れ」だ。

4、5年ほど前に、漢方の薬を煎じているのを忘れてしまったことがあった。
土鍋の中で薬が焦げ付いて、辺り一面に異臭が立ち込めるという騒ぎになった。

その時以来、煎じたりゆでたりしていてガス台を離れるときは、
タイマーをセットして、それを首からぶら下げるように自分なりに工夫はしていた。

おかげで、その後たいした失敗はしないようになったので、
いつの間にか、タイマーを首からぶらさげるのを怠るようになっていたのだ。

常々、「ガスをつけたら、そばから離れないようにしたらどうだ」と夫から言われているのに、
時間を効率よく使おうと思って並行して物事を進めようとする癖がなかなか抜けないのだ。

「歳を取って、若い頃の自分とは違うのだ」ということがわかっていても、
心の奥底で「まだまだ大丈夫!」と思っているのだろう。

これって、飲酒運転する人の心理と全く同じだと気がついた。

今日は大事に至らなかったが、
本当にもう生活態度を改めないと取り返しのつかない失敗を犯す危険があると強く反省。
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by dande550213 | 2006-12-24 17:40 | 雑感 | Comments(0)

今年一番の収穫は・・・


今日、年賀状を書きながら、
「年賀状には書かれへんけど、今年一番の収穫は本当のところはブログやったなあ・・・」
と密かに思った(笑)。

2、3日前に、娘と話している時に偶然ブログの話題になった。

私が「最近、若い子や日本人の国語力が落ちてると文部科学省がゆうてるけど、ネットでいろんな人のブログやHPを読んでたら、文章表現や構成が素晴らしくて、本を読んでるのと同じくらいに面白いと思う。携帯俳句や携帯短歌も盛んやし、普通の人が気軽にネット使って情報発信できる時代になったから、国語力は全体としてみれば向上してるとお母さんは思うけど?」と言うと、娘は「イヤ、確実に低下している。」と答えた。「ただし、ブログなどで毎日書いていると、初めの頃よりは上達するから、一部の人では向上してると言えるかもしれへん。」ということだった。

その説の真偽は別にして、その時、娘がふと「お母さん、ブログ持ってる?」と聞いてきたので、一瞬どう答えようかな?と思ったが、娘にだけは打ち明けておいてもいいかな~と思って、「持ってるよ~。お母さん、今までに日記が続いたことがなかったのに、ブログのおかげで9ヶ月も続いてるわ。そやけど、これ、お父さんには内緒やで!」というと、何と、娘もブログ持って2年になるそうな!!(笑)

「私はお母さんがブログ書いてるからといって、URLを探そうとは思わへんで~。ブログって、身内が読むと思うと、心のままに自由に書かれへんやろ。そやから、身内には教えん方が良いと思うから・・・。」と言う。

アンタがブログの先輩やとは思わへんかったけど、
身内に教えたらアカンというのはお母はんも同感です!

お互いにブログでコテンパンにされてるわけやなあ~♪
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by dande550213 | 2006-12-23 21:24 | 雑感 | Comments(2)

ステロイドの飲み忘れ


今日、夕食後の薬を飲もうとして、
何となくいつもとは違う感じがする・・・のに気がついた。

今日は一度も「薬の缶を開けていない・・・」ような気がするのだ。

もしかして、大事なステロイドを飲み忘れていたのだろうかと、
一生懸命、朝食後の模様を思い出す。

ああ・・・やっぱり飲んでいなかった!!

今朝はいつもより少し遅く起きたので、朝食が終ったら7時55分だった。
それで、後片付けもほっておいて、8時からのラジオスペイン語講座を聴きに自室へ上がった。

ふだんは、
朝食後、薬を飲んで後片付けをして自室へ上がりラジオスペイン語講座という順番だから、
今日もラジオ講座が終った時点で薬は飲み終えていると勘違いしてしまったのだろう。

こんな風に、夜になってステロイドの飲み忘れに気がついた時はどうしたらいいのだろうか。

ごく少量でもいいから、気がついた時点でステロイドを摂取しておいた方がいいのか、
それとも、気にしないで、明日の朝までほっておいてもいいのか・・・。

今後、歳を取るに従って、こういう薬の飲み忘れが増えてきそうで、心配だ。

以前は、薬は食後すぐに飲んでいた。
しかし、20数年選手ともなると、だんだんアチコチいい加減になってきている。

大事な薬の飲み忘れを無くするためには、何はさて置いても
「食後すぐに間をおかないで薬を飲む」という習慣をきちんと守ることが大切だと痛感した。
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by dande550213 | 2006-12-23 20:21 | SLE・健康 | Comments(0)

 自分が死ぬときにお金や物を残すより、命の消滅のときになくなってしまう知識や知恵に貯蓄するのが、我が家のやり方
       (おおつき ちひろ『スペインの食卓から』講談社文庫より)


 人生で何がいちばん幸せかというと、それは自分の時間とお金をどれだけ注ぎ込んでも惜しくない、というモノをもつことではないだろうか。いくら時間とお金があっても、それを目的もなくだらだらと消費するのでは、生きている甲斐がない。趣味や遊びだけでなく、何かの調査や研究でもいい。とにかく、われを忘れて没頭する対象を持てば、それだけで人生に張り合いができるし、幸せな気分になれる。
      (逢坂 剛『スペインの食卓から[おおつき ちひろ著 講談社文庫]』の解説より)


 目標とは達成すべき結果のことです。
       (清水 宏保 [朝日新聞 EYE西村欣也 06.12.19] より)


 研究者や体験者によると、修験道の神髄は、一度死んで山岳という母胎に入り、修行を経て成仏し、新たな生を得てよみがえる「擬死再生」と、山中で得た力を里で生かし、神仏と衆生(大衆)の間に立って衆生の苦しみを受ける「代受苦」だ。古代~中世には、しばしば死に至る荒行も実行され、身投げなどの捨身行も多かったという。
 現代人には理解しにくい、この捨身の起源について五来重・大谷大教授(故人)は、共同体の運命が災害など自然現象に左右された狩猟採集時代の信仰の名残と推測した。罪や汚れが招いた山の神の怒りを鎮め、全滅を免れるため、最も尊いもの=命を犠牲にしたというわけだ。
       (佐伯 善照 [朝日新聞 左見右見 06.12.19]より)
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by dande550213 | 2006-12-22 14:47 | 雑感 | Comments(0)

◆善いサマリア人

10:25 すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試そうとして言った。「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」

10:26 イエスが、「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」と言われると、

10:27 彼は答えた。「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」

10:28 イエスは言われた。「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」

10:29 しかし、彼は自分を正当化しようとして、「では、わたしの隣人とはだれですか」と言った。

10:30 イエスはお答えになった。「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。

10:31 ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。

10:32 同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。

10:33 ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、

10:34 近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。

10:35 そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』

10:36 さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」

10:37 律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」

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 クリスマス。それはわたしたちのことを同情して下さるイエス様が隣り人になってくださった日です。
 わたしたちも隣り人になれるのです。「あなたも行って同じようにしなさい」とイエス様はおっしゃいます。しかし、言われたからと言ってできるものではありません。わたしたちは徹底して自己中心です。自分が偉そうに神様の上に立って、自分の経験、知識を基準にして生きています。自分の利益、自分のプライド。何もかも自分のことしか考えていません。
 こんなわたしたちが良い隣り人となるためには、神様による革命がわたしたちの内にどうしても起こらなければなりません。それはイエス様を救い主として心の中に迎え入れるときに起こります。イエス様を信じるとき、自分のことしか考えられないわたしたちが、他人のことも思いやることのできる人に変えられるのです。
                          (薮野潤一牧師 『ベラカ12』より引用)
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by dande550213 | 2006-12-20 21:24 | 御言葉 | Comments(0)

昨日、18日はNHKラジオスペイン語講座テキストの発売日だった。

この日が近づくと、ちゃんと今月も店頭で購入できるか、ヤキモキする。

以前は近くの書店で、テキストは定期購読していた。しかし、3年目にもなると、入門編か応用編のどちらかが半年毎に再放送になるので、去年から定期購読は止めて、店頭で中味をチェックしながら買うか買わないかを決めようと思った。高々350円をケチれるものならケチりたいと思ったのだ(笑)。

ところが、夏過ぎぐらいから、行きつけの書店ではラジオスペイン語講座テキストが品薄状態で、購入できないことに気がついた。発売日当日に書店に駆けつけるが、不思議にもう売り切れで、ラジオスペイン語講座のテキストだけ無いのだ。どうして発売日に買いに来ているのに無いのかと店員さんに尋ねると、定期購読者の分だけしか入荷しないからだという。

そこで、せめて店頭に一冊ぐらいは置いてほしいと要望を出しておいたが、秋以降、発売日に駆けつけても店頭にはない。あわてて、少し遠くのもう一軒の本屋さんに駆けつけると、1冊だけあったので、ほっとする。しかし、うっかりするとその本屋さんにも無いことがある。そこで、後日、天王寺へ出たとき大書店で買おうと思って月末頃に行くと、ラジオスペイン語講座のテキストはもう無いことがよくある。他のフランス語やロシア語、中国語などはまだ売れ残っているのに、スペイン語だけ無いのだ。しかたがないので、夫にメールして、帰宅途中の本屋にあれば買ってきてほしいと連絡したこともある。

昨日、行きつけの本屋へ駆けつける前にまた無駄足にならないように、あるかどうか電話で聞いた。そうしたら、やっぱりもう無いという。そこで、どうして店頭分も仕入れてくれないのか尋ねると、店長に代わってくれた。

店長の話を聞いてびっくりした。

店長は、私が何度も要望を出しているので、もう何ヶ月もNHK出版の方へ定期購読分+1冊で注文を出しているという。しかし、それが認められないのだという。他の英語やフランス語、中国語などは余分に卸してくれるのに、スペイン語は定期購読分しか卸してくれないのだそうだ。

店長の想像では、スペイン語の学習者がフランス語などに比べて少ないから、スペイン語関係の出版物の部数も少なくしているのではないかということだった。

これを聞いてまたびっくりした。

スペイン語の使用者数は世界で3番目。中国語のように近年の人口爆発でほとんど1国だけで世界で2番目に躍り出た言語とは違って、数多くの国で使用されていて、尚且つ使用人口の多い言語だよ。右のように訂正。[スペイン語の話者人口は、中国語、英語、ヒンディー語に次いで世界第4位で、使用されている国・地域の数の多さから言って、英語に次ぐ国際語。 ]なのに、そのテキストの印刷数をギリギリにまでケチって店頭にも置かせないなんて、いったい、どういうことなの~!(と、短気な私は怒り心頭!!苦笑)

店長の話の信憑性はわからない。しかし、現実に私自身も複数の書店を廻って、NKHラジオスペイン語講座のテキスト購入で苦労しているのも事実だから、あながち嘘だとも思えないのだが・・・。

翌月にも売れ残っている他の言語のテキストを見るたびに、発行部数の調節などできないものなのかと首を捻る。あまりにも融通が利かないような気がする。
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by dande550213 | 2006-12-19 16:06 | スペイン語学習 | Comments(2)

f0096508_15564139.jpg昨日行ったコンサートを聴きながら、ふと思った素朴な感想。

最初、ポスターを見たときは「ヴォーカル・アンサンブル ラルテ・フィオレンテ」って、どこかの音大の声楽科関係の人のグループかしらと思っていた。時間が来て、舞台の上に並ばれたのは、一人を除いて、ごく普通の(そう思えた)の人々が普通の服を着て現れたのでビックリした。年齢も色々、服装もまちまち。ごく普通のお姉さん、おばちゃん、おっちゃんに見えた。畏まらなくてもいいような雰囲気で、ぐっと気が楽になった。

リーダーと思しき男性(彼だけは雰囲気が違ってみえたが、彼も普通のセーターを着ていた)がポケットから音叉を取り出して耳のそばでコーンと叩いて歌が始まった。

歌詞は、ラテン語なので意味は全然わからない。プログラムには対訳が載せられているから、それを目で追えば、だいたいの歌の意味はわかるようになっている。もちろん元曲もアレンジしたミサ曲も神を讃える歌だから、歌の意味に大きな違いはないともいえる。そういう意味では、ミサ曲などは歌の細かい意味などはたいして重要でないのかもしれないが、歌の意味がわからないから、聴いていても、私にはグループの素晴らしいハーモニーがただただ楽器(例えばバイオリン)旋律のように聴こえた。

専門家ではない一般大衆としてはそれで充分なのだろうか?という疑問が沸いてきた。

当時、この歌たちは、聴く人たちに歌詞がわかることを前提として演奏されたのだろうか、それともわからなくてもいいことを前提として演奏されたのだろうかと思った。つまりどういう人々を聴衆として想定した歌なのかと思った。「わからなくてもよい」という想定の下なら、私は当時の聴衆と同じ立場に立つから、歌の意味などに気を取られないで旋律を楽しんだらいいのだと思う。でも、わかることを想定して演奏されていたのなら、やっぱり私も「聴きながら歌の意味がわかる」という状況で聴きたいと思う。つまり当時の聴衆とできるだけ同じ状況で聴いて楽しみたいと思うのだ。勝手かもしれないが、言葉のハンディはできるだけ取り除いてほしいと願うのだ。

今回のミサ曲に限らず、日本で上演される外国の歌曲は原語で歌われるのが常だ。当然ながら、専門家でない一般大衆には歌われる歌詞の意味は全然わかならいことが多い。私は正直、歌詞の意味がわからない歌を長時間にわたって聴き続けるのは楽しくない。歌の楽しさが半減すると思っている。

人間が歌う歌は「楽器が奏でるメロディやリズムなど、歌詞の無い音楽」とは異なって、「歌の意味」が大きな要素になると思う。もちろん、楽器だけでも言葉と同じくらいの表現力があるが、やはり言葉の持つ力は別ものだと思う。

だから、外国の歌を原語で歌われると、歌詞の意味がわからないのが辛い。「畏まって拝聴しなければならない」ような気がしてくるのは私だけだろうか。

私は、基本的には「日本人が日本人聴衆を対象に外国の歌を歌う場合」には日本語に訳して歌ってほしいと願っている。歌の意味がわかれば、もっと深くその歌を理解し、味わい、楽しむことができると思うからだ。歌詞を日本語に訳して歌おうとすると、音楽に合わなくなってダメになるのだろうか?

今回のラテン語で書かれたミサ曲は、日本人が歌う外国のオペラや外国の曲とは別次元の問題があるかもしれないが、聴きながらふとそんなことを思った。

「ヴォーカル・アンサンブル ラルテ・フィオレンテ」の次の演奏会は、3/17(土)。
時間のゆるす限り、また聴きに行こうと思っている。
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by dande550213 | 2006-12-17 17:34 | 雑感 | Comments(2)