一歩一歩!振り返れば、人生はらせん階段 ippoippo51.exblog.jp

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ステロイド剤と2人3脚の全身性エリテマトーデス(SLE)患者の " 猪突猛進、横道うろうろ "人生備忘録:落ちこぼれクリスチャンが心を入れ替えて(- -;)学ぶ日々の「御言葉」と、スペイン語の勉強、SLEの病状などの日々のささやかな記録・・・というのが当初の自己紹介でしたが、今は、単に「日々生きて、夢中になった事ごとの記録」(((^^;)


by dande550213

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首がつながった!


新年度も引き続き、今の職場で働けることになって良かった~!

ほんの小遣い稼ぎ程度の仕事だが、病気をかかえて働くにはちょうどいい量で、家から5分~10分程度の通勤時間ですむのが一番の魅力。

教える仕事だから、家で下準備にけっこう時間がかかるけど、この歳でいただく時給を考えたら、本当に感謝、感謝。

これでスペイン語の授業料も払える。好きな本も買える。必要な周辺機器やサプライズも夫に遠慮せずに買える。経済的に家計には負担をかけないので、家事一般をキチンとこなしていれば、自己責任で勉強が続けられるのが一番うれしい。

この歳で勉強したって、もう忘れるほうが早いのだけれど、それでも楽しいのだから、それが一番!

若い頃は勉強なんてイヤでイヤでたまらなかった。何とかして遊びたい、遊びたいと思っていたけど、やりたいことが見つかった今は全然苦痛じゃない。もっと勉強する時間が欲しい、時間が欲しいと思うようになった。だから、今が私の第2の青春だと思っている。

自分のための勉強だから、自分の楽しみのための勉強だから、出来なくても、たとえ夢に終ろうとも後悔はない。誰に遠慮も無い。ただひたすら見果てぬ夢を追いかけてるだけで幸せなのだから・・・。(笑)
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by dande550213 | 2006-03-31 22:51 | 雑感 | Comments(0)

112:7 彼は悪評を立てられても恐れない。その心は、固く主に信頼している。
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112篇も (アルファベットによる詩)=いろは歌。

昨日は、いろは歌から連想して、初等教育の文字学習の場に置いて使われる目的でできたのかなどと考えていたが、「歌の趣向」として、各行の頭にアルファベットを読み込んだだけかもしれないと思い始めた。

印象に残る趣向が凝らしてあれば覚えやすい、忘れにくい。これをねらった表現技法かな。

今日の印象に残った御言葉は、
112:6 主に従う人はとこしえに揺らぐことがない。(以下略)

この御言葉に触れると、いつも「岩の上に家を建てる人」「良い土地に蒔かれた種」のたとえを思い出す。

私の10年は、川の水に押し流される家を建て、根が無いのですぐにつまずき枯れてしまう蒔かれた種だった。

自分に理解できることだけを信じたいと思ったからだ。「自分に理解できなくても信じきる」ことが主に従うこと。幼子のように素直に単純に信じ切れない私がいた。

ルカ6:46 「わたしを『主よ、主よ』と呼びながら、なぜわたしの言うことを行わないのか。
6:47 わたしのもとに来て、わたしの言葉を聞き、それを行う人が皆、どんな人に似ている かを示そう。
6:48 それは、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を置いて家を建てた人に似ている。 洪水になって川の水がその家に押し寄せたが、しっかり建ててあったので、揺り動かすことができなかった。
6:49 しかし、聞いても行わない者は、土台なしで地面に家を建てた人に似ている。 川の水が押し寄せると、家はたちまち倒れ、その壊れ方がひどかった。」

マルコ4:3 「よく聞きなさい。種を蒔く人が種蒔きに出て行った。
4:4 蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。
4:5 ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。
4:6 しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。
4:7 ほかの種は茨の中に落ちた。すると茨が伸びて覆いふさいだので、 実を結ばなかった。
4:8 また、ほかの種は良い土地に落ち、芽生え、育って実を結び、あるものは三十倍、 あるものは六十倍、あるものは百倍にもなった。」
4:14 種を蒔く人は、神の言葉を蒔くのである。
4:15 道端のものとは、こういう人たちである。そこに御言葉が蒔かれ、それを聞いても、 すぐにサタンが来て、彼らに蒔かれた御言葉を奪い去る。
4:16 石だらけの所に蒔かれるものとは、こういう人たちである。 御言葉を聞くとすぐ喜んで受け入れるが、
4:17 自分には根がないので、しばらくは続いても、後で御言葉のために艱難や 迫害が起こると、すぐにつまずいてしまう。
4:18 また、ほかの人たちは茨の中に蒔かれるものである。 この人たちは御言葉を聞くが、
4:19 この世の思い煩いや富の誘惑、その他いろいろな欲望が心に入り込み、御言葉を覆いふさいで実らない。
4:20 良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて受け入れる人たちであり、ある者は三十倍、ある者は六十倍、ある者は百倍の実を結ぶのである。」
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by dande550213 | 2006-03-31 09:47 | 御言葉 | Comments(0)

田舎が売りに出ている!


今朝、朝刊を読んでいた夫が、「綾部の茅葺の家が売りに出てるで~」と言ったのでびっくりした。

私の田舎は綾部市の上林地区。JR綾部駅からバスで30分ほどの、舞鶴や福井県小浜市に抜ける山間部にある。冬は雪に埋もれるので、小学校や中学校の横には寄宿舎があって、通えない子どもたちは冬の間、この寄宿舎に泊まり込んで、そこから学校に通っていた。高校では家を離れて下宿する子もいた。私のいとこもそうだった。

一帯は、上林川沿いに、奥上林、中上林、口上林の3つの地区がある。私の田舎は中上林地区にあるが、母は奥上林地区から嫁いできている。字のとおり、奥上林が一番「奥」で、バスも運行していない所が多い。いわゆる「ドン奥」になる。

母は子どもの頃、中上林の子どもに、「奥上林の蛙の子、雨が降ったら流れて来い~♪」とよくからかわれたものだと言っていた。

一番奥だから、この奥上林地区から最初に人口流出が始まったのか、有名人が空き家を買って、隠遁生活や別荘にする、というようなことがあった。

茅葺の空き家を買って、フォークの岡林信康さんが隠遁生活を送ったり、西川ヘレン(西川清の奥さん)さんの別荘があったり、名前はよく知らないが、陶芸家が住んでいたりした。反原発運動で有名な阪大の大学教授が居を移して、今も母の実家のそばに住んでおられたりする。

こんな風に、「奥」は売りに出ることがけっこうあったようだが、私は「中」は無いと思っていた。「売りに出る」ということは、「もう帰って来ない」ということ、「もう跡を継がない」と言うことだから・・・。

今朝の新聞の不動産情報を見て、父に電話したら、今は「中」でもチラホラ「売り家」の話を聞くようになったという。

現に、私の田舎の家の近所も数件が空き家になっている。盆正月だけ、帰省されるが、少しずつ、荒れてきている。

私の家も父母だけが暮らしていて、3人の子どもはそれぞれ、大阪、岐阜、神奈川に出てしまっている。父母がいなくなったら、今のままだと同じ運命をたどることになるかもしれないのだ・・・。

休耕田も多くなって、今では山から猿や鹿や猪が人家にまでやってきて、農作物を食い荒らすそうだ。

数百年の歴史のある地区なのに、いずれは山に呑み込まれて、また自然に帰っていくのだろうか・・・。

そんなことを考え出すと、時々、気が狂いそうになる。

今、日本の田舎のあちこちで起こっていること。
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by dande550213 | 2006-03-30 17:25 | 雑感 | Comments(0)

111:2 主の御業は大きく/それを愛する人は皆、それを尋ね求める。
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詩篇111篇と次の112編は、新共同訳では、(アルファベットによる詩)と書かれている。

最初の「ハレルヤ」の後からの各行は、ヘブル語のアルファベットのつづり字の順に始まるのだそうだ。

日本でも古来より、初等教育の文字学習の場に置いて、暗記しやすいように「あめつちの歌」とか「いろは歌」などが作られ用いられてきたが、それと同じことが旧約の頃のイスラエルでもおこなわれてきたのかと思うと、何だかとても親近感を覚える。

ヘブル語の聖書で、本当に各行の最初が、ヘブル語のアルファベットの順に始まっているのか、確かめてみたいものだ。(笑)

私の一番心に残ったのは、次の御言葉。
111:10 主を畏れることは知恵の初め。これを行う人はすぐれた思慮を得る。(以下略)

箴言にも同様の御言葉がある。
1:7 主を畏れることは知恵の初め。無知な者は知恵をも諭しをも侮る。
9:10 主を畏れることは知恵の初め/聖なる方を知ることは分別の初め。

私たちがこの世に生を受けて一番最初に学ぶべきことは、「主を知り、主を畏れること」だったのだ。「主を知り、主を畏れること」を知らないと、真に賢い人にはなれないのだ。だからこそ、知識を学び始める一番最初に「主を知り、主を畏れること」を知ることが大切だという。

そういう意味で、クリスチャン家庭に育つのと言うのは大きな恵みだ。

お母さんのお腹にいるときから御言葉を聞き、教会学校で育ち、ごく自然に「主を知り、主を畏れること」ことを受け入れ、永年にわたって学び続ける環境に育つのだから。

先日、クリスチャン家庭に育ち、幼いときから教会学校で学んだお2人が結婚されたご家庭を訪問する機会があったが、お2人の言動の端々に、ごく自然にイエス様の似姿をみるようで驚いた。何と表現したらいいのかわからないけれど、全く、自然なのだ。

いろいろなクリスチャンの方々に接するが、やはり、教会学校から育った方は何ともいえないいい雰囲気(?)をもっておられると、私は思っている。それが、うらやましい。
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by dande550213 | 2006-03-30 11:33 | 御言葉 | Comments(0)

エアガンで撃たれる!


日曜日の夜、カーンという音でたたき起こされた。夜中の12時半ごろだった。
何か堅い物が家の金属部分に当たって、跳ね返り、コロコロと転がっていく音のようだった。

布団の中で耳をすませていると、今度は少し遠くで、しばらくするとまた近くで、というように、
途切れ途切れに、3時間ほど続いた。

最初、誰かが家の前の道から、小石でも投げているのかな?と思っていた。
でも、よく耳をすませると、どうも家の裏の方から投げているような音だった。

いずれにせよ、音がするようにわざと金属部分に当てているような気がした。
ウトウトと眠りかけると、またカーンという音でたたき起こされるのだ。
たぶん、春休みに入った子どもが夜更かしして遊んでいるのだろう、
迷惑なことと、半分諦めていた。

朝になって、家の前の道を弾らしいものが落ちていないかと探すが
見つからなかったので、あれ?変だなあ・・いったいあれは何だったのだろうと
思っていたら、夕方お隣と向かいの奥さんが話しているのを聞いてびっくりした。

裏のマンションの窓から、若い男がエアガンで撃っていたのだそうだ!!

お向かいの家は白いので夜目にもはっきりと見えるので、
標的にされたそうで、いっぱい弾が飛んできたそうだ。

勇敢にも奥さんはベランダで撃っている様をビデオに撮影して、
警察に通報されたそうだ。

幸い、あれからはおとなしくしているようだが、人に向って撃つようになったら怖いことだ。

今まで他人事のように思っていたけれど、こんな田舎のほんの隣に
わけのわからない人がいるとは、怖い世の中になったものだと思う。
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by dande550213 | 2006-03-29 17:18 | 雑感 | Comments(0)

110:1 わが主に賜った主の御言葉。「わたしの右の座に就くがよい。わたしはあなたの敵をあなたの足台としよう。」
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詩篇110篇は、詩篇2篇とともにキリストを預言した最も大切な詩と言われ、新約聖書に最も多く引用される詩の一つだという。(知らなかった・・・)

マタイ22:44 『主は、わたしの主にお告げになった。「わたしの右の座に着きなさい、/わたしがあなたの敵を/あなたの足もとに屈服させるときまで」と。』

使徒 2:34 ダビデは天に昇りませんでしたが、彼自身こう言っています。『主は、わたしの主にお告げになった。「わたしの右の座に着け。 2:35 わたしがあなたの敵を/あなたの足台とするときまで。」』

冒頭、「主」が「わが主」に語る、とあって、これがよくわかりにくい。

最初の「主」は神を指す。次の「わが主」を「ダビデ」を指していると理解するか、「イエス・キリスト」だと解釈するか。

新約聖書は、この詩篇を14回も引用して、共通して「イエス・キリスト」と解釈していると言う。(鎌野善三先生『3分間のグッドニュース 詩歌』) この詩篇をメシアの預言と理解するのだそうだ。

今まで「詩篇」の性格について、あまり考えたことがなかった。

作者の名前が明記されているうちでは、ダビデが一番多いこと、しかし、このすべてをダビデが作ったのではなく、ダビデを讃えるために後代に別の人が作ったと思われるものも「ダビデの賛歌」とされていること、詩歌なので象徴的表現が多いこと、またその解釈が難しいことなどは朧気ながら知っていた。

そして、ただ単純に、当時の賛美の歌や嘆きの歌が所収されていると思っていたのだが、今日の学びを通じて、新約聖書に直接引用が104回、間接引用を含めると400回以上もあることを知り、詩篇と預言の関係について、もっと知りたくなった。
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by dande550213 | 2006-03-29 10:58 | 御言葉 | Comments(0)

109:31 主は乏しい人の右に立ち/死に定める裁きから救ってくださいます。
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驚いた。こんなドロドロとした心のうちを吐露した詩が詩篇に入っていたなんて・・・。

109:8 彼の生涯は短くされ/地位は他人に取り上げられ
109:9 子らはみなしごとなり/妻はやもめとなるがよい。
109:10 子らは放浪して物乞いをするがよい。廃虚となったその家を離れ/助けを求め歩くがよい。
109:11 彼のものは一切、債権者に奪われ/働きの実りは他国人に略奪されるように。
109:12 慈しみを示し続ける者もいなくなり/みなしごとなった彼の子らを/憐れむ者もなくなるように。
109:13 子孫は断たれ/次の代には彼らの名も消されるように。
109:14 主が彼の父祖の悪をお忘れにならぬように。母の罪も消されることのないように。
109:15 その悪と罪は常に主の御前にとどめられ/その名は地上から断たれるように。

このように、自分の敵を激しく呪う一方で、
109:26 わたしの神、主よ、わたしを助けてください。慈しみによってお救いください。
109:27 それが御手によることを、御計らいであることを/主よ、人々は知るでしょう。

と、人々の目の前で私に救いの手を差し伸べてくださるなら、きっと誰もが私は主に助けられた故、私の方が正しいことを知るだろうと、自己を正当化しているように思える。

まるで私の心の奥底をあぶりだしているようで、読むのがつらい。

109:17 彼は呪うことを好んだのだから/呪いは彼自身に返るように。祝福することを望まなかったのだから/祝福は彼を遠ざかるように。

という言葉は、詩の作者自身にも跳ね返ってくることを暗に示して、私たちに「敵を呪わないで愛すること」を教えているのだろうか?
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by dande550213 | 2006-03-28 11:33 | 御言葉 | Comments(0)

108:4 主よ、諸国の民の中でわたしはあなたに感謝し/国々の中でほめ歌をうたいます。
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詩篇108篇は、57編の後半部(1節~5節)と60篇の後半部(6節~14節)を一つにまとめた詩篇だと言われている。

どちらもダビデの作で、サウル王に命をねらわれて洞窟に潜んでいたとき、敵軍に北と南から攻撃されたときに、主の御手によって救われたことを感謝して作ったものだと言う。

1節で「私の心は確かです」と言いながら、12節で「神よ、あなたは我らを突き放されたのか」と、心が揺れているように思える。

このように、今までの確信が揺らぎ、不安が心を埋め尽くすときが多々ある。私はいつもこの繰り返しだ。

すぐに結果が出ないと焦りだすのだ。「後知るべし」で、後になって、ああこういう意味だったのかとわからせてもらえるときがくると、疑った自分が恥ずかしくなる。

いつでも、どんなときでも、神へのゆるぎない信頼と確信と感謝をもって歩んで行けるように、一歩一歩学んで行きたい。
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by dande550213 | 2006-03-27 18:37 | 御言葉 | Comments(0)

107:30 彼らは波が静まったので喜び祝い/望みの港に導かれて行った。
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今週から御言葉は詩篇。今日は、第5巻の最初の詩。

107:6 苦難の中から主に助けを求めて叫ぶと/主は彼らを苦しみから救ってくださった。
107:8 主に感謝せよ。主は慈しみ深く/人の子らに驚くべき御業を成し遂げられる。

この2節のフレーズが4回繰り返される。
詩篇の交読では、このフレーズを司会者と会衆が一緒に朗読することになっていることに気がついた。

このフレーズの繰り返しに注目すると、この詩は大きく6つに分けられるという。

1. 107:1 「恵み深い主に感謝せよ/慈しみはとこしえに」と
2. 107:7 主はまっすぐな道に彼らを導き/人の住む町に向かわせてくださった。
3. 107:14 闇と死の陰から彼らを導き出し/束縛するものを断ってくださった。
4. 107:20 主は御言葉を遣わして彼らを癒し/破滅から彼らを救い出された。
5. 107:29 主は嵐に働きかけて沈黙させられたので/波はおさまった。
   107:30 彼らは波が静まったので喜び祝い/望みの港に導かれて行った。
6. 107:43 知恵ある人は皆、これらのことを心に納め/主の慈しみに目を注ぐがよい。

2.道に迷った旅人、3.罪人、4.病人、5.嵐にあった船乗りを例に、恵み深く、とこしえに絶えることのない主のいつくしみを感謝し、主の摂理を悟るように勧めている。


今日で、26日続いた。

邪道かもしれないが、この試みによって、三日坊主の私が曲がりなりにも教団の聖書日課に従って、毎日聖書を紐解くことができたことを感謝します。

もし、主がこの試みを「良しとされないなら」、どうか聖霊をとおして、私に教えてください。
「良しとされるなら」、どうか、このことを通して、私を導いてください。
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by dande550213 | 2006-03-26 17:41 | 御言葉 | Comments(0)

PC仲間の食事会に出席して、久しぶりに楽しいひとときを過ごした夜のこと。

大阪駅前第3ビルの地下街にあるお店を出て、びっくりした!

向かいの店は雑貨屋さんのように見えたのだが、その店の中に机と椅子が数組並べてあって、
そこで異様な格好をした若い男の子たちが飲み物を飲みながら、おしゃべりしていたのだ。

彼らは、頭に黄色い毛糸か何かでできた、女の子の三つ編みのかつらをチョコンと乗せて、
ヒラヒラの女の子のような服を無造作に、着ると言うより羽織って、談笑しているのだ。
背中が大きく開いた服を着ている男もいて、ちょっと気持ち悪かった。

そこへ、ピンクの医療助手か看護士さんのユニフォームを着て、ナースキャップを頭に乗せ、
首から聴診器をぶら下げた綺麗な女の子が2人飲み物を持ってやってきて、話に加わっていた。
彼女たちは、どうも本物の医療従事者ではなくて、その衣装を着ているという感じだった。

今でもよくわかならい。彼らがなぜあんな格好をしているのか。
あんなのをコスプレというのだろうか?
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by dande550213 | 2006-03-25 22:31 | 雑感 | Comments(0)