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ステロイド剤と2人3脚の全身性エリテマトーデス(SLE)患者の " 猪突猛進、横道うろうろ "人生備忘録:落ちこぼれクリスチャンが心を入れ替えて(- -;)学ぶ日々の「御言葉」と、スペイン語の勉強、SLEの病状などの日々のささやかな記録・・・というのが当初の自己紹介でしたが、今は、単に「日々生きて、夢中になった事ごとの記録」(((^^;)


by dande550213

カテゴリ:雑感( 504 )



宗教学者岸本英夫氏は、先述『死を見つめる心―ガンとたたかった十年間』の中で、
現代人を「死に脅えて生きている人間」と「死を忘れて生活する人間」の
二種類の人間類型にわけられた。(2006/09/08記)

これを別の箇所で、
ウィリアム・ジェイムズは「二度生まれ型」と「一度生まれ型」とも呼んでいる、
と紹介しておられて興味深かった。


以下、要約しながら引用してみる。
=====================================================
ウィリアムズ・ジェイムズ(何をする人か、私は知らない)は、人間を個人的性格の面から、
「病める魂」のもち主と「すこやかな心」のもち主にわけている。

「病める魂」のもち主は、現在の与えられた人生には、どうしても満足をみいだすことはできない。
この人生に対して、深い疑問を持ち、人間はなんのために生まれてきたかを、つねに心の問題とする。かれの目には、この人生だけが人間の生命の全部だとは考えられない。この世の生活をどういとなむかは、それほど、重要な問題とは思われない。この生をこえたかなたに、理想の世界をみいだそうとする。未来には、もっとかがやかしいものが約束されていると信じる。その意味で、「二度生まれ型」(twice born)ともよんでいる。つぎの世にもう一度生まれなければ承知しないという意味である。

これに反して、「すこやかな心」にとっては、現在の、時々刻々の生活が、生きがいにみちている。その日その日がたのしい。生きているということ自身が、直接的な価値をもっている。人生に対する、心をえぐるような深刻な疑問は出てこない。生きていられるということだけで、感謝に価する。この人生に、じゅうぶん満足しているので、死後の世界のことなどには興味がなく、「一度生まれ型」(once born)ともいえる。
=====================================================

この「病める魂」という言い方はキライだが、
やはり私はここでもこの定義にかなりよく該当するような気がする。

もちろん、全部そうだというのではない。
異なる部分もあるが、もしかしたら、それは私が気がついていないだけで、
心の奥底ではそう思っているのかもしれないと思った。

私の場合は、この人生だけが人間の生命の全部なのかどうかが一番の重要問題になっている。
だから、この生をこえたかなたに、理想の世界があるならばうれしいと思っている。
が、あるかどうか確信が持てずに悩んでいる。
(当たり前のことだが、クリスチャンとしては、これでは失格!)

しかし、生まれ変われるものなら、何度でも生まれ変わりたいと願っているので、そういう意味では
「つぎの世にもう一度生まれなければ承知しない」=「二度生まれ型」ともいえるだろうと
妙にこの定義に納得した。(笑)
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by dande550213 | 2006-09-11 12:12 | 雑感 | Comments(0)

宗教学者岸本英夫氏の『死を見つめる心―ガンとたたかった十年間』を読んだのはつい最近。

大町公『私の「死への準備教育」』(2006/09/07記)に紹介されていたからだが、
「ある著名人が黒色メラノーマ(悪性皮膚癌)に十年近く悩まされて、
最後は亡くなった」という話は、実は20年近く前から知っていた。

それが、宗教学者の岸本英夫という人だということと、
彼が闘病記を残していて、
それが第18回毎日出版文化賞を受賞していたことは知らなかった。


私がSLEを発病して、大阪市立大学付属病院に入院していたときのこと。
隣の病室のSLEの患者さんがふと足の裏を見たらホクロがあったので、
回診時に担当医に見せたら、「足の裏のような日光に当たらない箇所にできるホクロは
性質が良くない場合がある。黒色メラノーマに変わる危険性があるから、
取っておいた方が良い」と言われたというのだ。

結局、彼女は入院中に皮膚科でその足の裏のホクロを取ってもらったのだが、
そのとき、私の頭に「日光の当たらない部分のホクロは危険」がインプットされた(苦笑)。

退院して、数年後、幼い息子の足のかかとに真っ黒のホクロができているのに気がついた。
おまけに爪にもホクロがあった。

すぐ、黒色メラノーマの話を思い出して、「家庭の医学」で調べてみると、
「黒色メラノーマは癌の中で一番危険な癌で、非常に早く進行する。
しかし、稀に、10年近くもこの癌と戦った人もいる。」というような内容が書いてあった。

これが、岸本氏だったのだとは、氏の本を読み出してすぐにわかった。

息子を皮膚科で定期的経過観察してもらっているときに、
今度は娘の足のかかとにもホクロが見つかり、
2人とも年に2回ぐらい皮膚科で診てもらっていた。

その後、先生が退職されて、少し遠くで開業されたので行き辛くなり、
ずいぶんいい加減な話だが、皮膚科通いをパスした。

あれから20年近くたち、息子の足のホクロはいつの間にか無くなっていた。
しかし、爪のホクロは前より大きくなったように思えるし、
前は無かった頬にも小さなホクロができているので、
彼が自立して家を出るときに、以前の先生のところで診察してもらっておく様に言った。

先生も息子を覚えておられたそうで、診察して、もう来なくても大丈夫とおっしゃったそうだ。
娘はまだホクロがあるが、これもきっと大丈夫だろうと、ほっている。

そんなご縁で、岸本氏とは運命のような深い繋がりがあったことを知ったのだった(笑)。
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by dande550213 | 2006-09-09 21:19 | 雑感 | Comments(0)

曽野綾子氏は、『旅立ちの朝に―愛と死を語る往復書簡―』の中で、
「人間には死に向かう性格と生に向かう性格がある」と書かれている。

生に向かう文学者の代表が谷崎潤一郎で、
死に向かう作家の典型が川端康成
と言った評論家がいたと述べられている。

そして、自分の中にあるのは昔から徹底して死に向かう意識だったと。

どうして、自分は死ぬことばかり思って暮らして来たのか、
第一の理由は持って生まれた性格だろう。
第二の理由は、5歳からカトリックの教育を受けたからだと分析されている。

私自身は幼少時にそのような教育は受けなかったので、
カトリック、ひいてはキリスト教の影響云々はよくわからない。

しかし、持って生まれた性格と言われれば、そうかなあ・・・という気がしないでもない。

実は、私が一番興味を惹かれたのは、「2つのタイプに分かれる」という点だ。


宗教学者岸本英夫氏も『死を見つめる心―ガンとたたかった十年間―』の中で、
同じようなことを言われている。以下、少し引用してみる。
====================================================
 さて、死の問題という視覚から、現代人を眺めてみると、死に対する態度が、人によって異なる。その態度が、大きくは、二つの類型にわけて考えられる。現代人を、二種類の人間類型にわけてみることができるように思うのである。その一つは、死を忘れて生活する人間類型に属する人々である。現代社会では、大多数は、この類型に属する。他の一つは、死に脅えて生きている人々の人間類型である。これは、前者にくらべると、はるかに少数ではある。しかし、それは前者に対立する、現代人の生死観を考える場合には、見おとしてはならない重要なものである。
=====================================================

私はここでいう「死に脅えて生きている」人々に属するとわかったのだが、
何よりも「死を忘れて生活する」人々がいて、それが大多数だという指摘に驚いた。

しかし、氏のこの言葉に妙に納得するところもあった。

それは、義父が死に、その後、数年して義母が亡くなった夜だった。
独身の義妹が、「こんなん(母が死ぬ)やったら、あの時結婚しておいたら良かった!」と
叫んだので、私は思わず義妹に聞いたのだった。

「00ちゃん、あんた、お母さんの方が先に死ぬのが人間の理やから、
お母さんが死んだら、自分は一人ぼっちになるって、今まで考えたこと、無かったん?」と聞いた。
すると、義妹は「そんなこと、考えたこと無かった!」と答えたから、
私はビックリ仰天したのだった。

人間は誰でも皆死を意識して暮らしているが、
ただそれを口に出さないだけだと、それまでずぅ~と思っていたからだ。

死を考えないで暮らしている人間がいるとは、私はそれまで想像もしたことがなかった。

でも、確かに、死を深刻に考えないで暮らしている人がいるということは次第にわかってきた。

それは私が「人間は死んだらどうなると思う」と家族や知人に尋ねたときの答えや反応から、
死を深刻に考えない人が意外に多いことを実感したからだった。

どちらのタイプが得かといえば、
それはもう曽野氏が言われているように「生に向かう性格」だろう。

ただ、はっきりとわかったことは、私は「死に向かう性格」だったのだということ。

そして、パスカルも。
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by dande550213 | 2006-09-08 23:35 | 雑感 | Comments(0)

2年前に今の住居に引越したとき、義妹が引越祝いに10万円をくれて、
「これにお金を足して、新しいテレビジョンを買ってね~」と言った。

彼女がそう言うのには理由がある。

わが家のテレビジョンは20年近く前の製品で、最近とみに映りが悪くなり、
時々、映像が流れたり、隅が緑がかった色に変わったりするからだ。

ビデオデッキも20年近く前の製品だったが、これは昨年壊れ、そのままになっている。
娘が知人から安く譲り受けたDVDデッキもあるが、これは再生専用だから、
わが家は今は録画も全くできない状態。

もともと私たち夫婦は、ほとんどテレビを見ないから、
そんな壊れかかったテレビジョンでも、録画ができなくても
別段不自由さを感じることなく過ごしている。

息子はとっくの昔に、そんな親に愛想をつかして、
自分でテレビデオとやらを買って、自分の部屋で見ていたが、
最近HDに録画できるテレビ機能つきPCを買って引越していった。

娘は「今どき、こんな家、無いで~」とうるさかったが、
私たちは、「その代わり、うちは皆がそれぞれ自分のPC持って、
1Fから3Fのどの部屋ででも、光ファイバーインターネットができる環境やで~。
今どき、こんな進んだPC環境の家、マダマダ無いんとチャウか~?」と言い返していた(大笑)。

しかし、義妹から祝に頂いたお金を他に流用するわけにもいかず、
いずれは地上デジタル放送に変わるのだから、この際新しいテレビジョンを買おうかと
カタログ取り寄せたり、電気店へ見に行ったりしたが、まだ買わずじまいでいる。

アテネオリンピックの時は、「オリンピック需要で、今買ったら高い。終ってから買おう」と言い、
サッカーW杯の時も夫は同じことを言っていた。

で、先日、新聞に「W杯を当て込んだテレビジョンが売れ残り、値下がりしている」と
書いてあったので、今が買いどきかも・・・と思ったが、
今日「日経PC」№511を読んでいたら、
「地上デジタル放送の欺瞞を突く」(松浦晋也=ノンフィクションライター)という記事があって、
「テレビや新聞が何を言おうとも、あわてて自宅のテレビを今すぐに買い換える必要など、
どこにもないのである」と書いてあったので、また取り止めになった。

まあ、別段不自由を感じているわけではないから、ギリギリまで様子見しようと思っているが、
この「地上デジタル放送の欺瞞」とは何か、興味をそそられる。
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by dande550213 | 2006-09-02 21:50 | 雑感 | Comments(0)

奥が深いーッ!!


先日、ご近所のカモミールさんからプレゼントをもらった。

カモミールさんのHP「カモミールの咲く庭で」で、めでたく私がキリ番を踏んだので、
証拠の画像をつけて連絡したら、何とわが家に直接プレゼントを持ってきてくれたのだった。

それがコレ ↓
f0096508_23142828.jpg
彼女はミニチュアやドールハウスを作っていて、頂いたこのお弁当包みは一辺が3,5cmぐらいの手のひらに乗るぐらいの小さな作品。食い意地が張っている私にピッタリの作品だなあ・・と思って、そのままで今日まで飾っていた。






ところが、今日、HPがようやく12日ぶりに更新されていて(笑)、「ひとりごと」を読んで、ビックリした。何と、まだ中味があったのだ!

あわてて、紙包みを開けてみたら ↓
f0096508_2324134.jpg
お刺身やレンコン、きゅうり、かぼちゃ、えび、黒ゴマと梅干しのかかったご飯などの美味しそうなご馳走が出てきた!おまけにお弁当箱はヒノキつくりだという。また、他にも何回か試作して、これをくれたのだということがわかって、本当に嬉しかった!ありがとう!!





彼女のHPは上記のリンク、またはブログ横のお気に入りリンクから飛べます。
興味のある方はどうか訪れてみてください。
現在製作中の作品の途中経過も見れて、
私は更新を楽しみに、毎日まだかまだかと押しかけています。
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by dande550213 | 2006-08-31 23:37 | 雑感 | Comments(0)

足湯


朝夕が涼しくなったので、最近クーラーを切って網戸で寝ていたら、
始発列車の音、早起きお隣さんのうがいや朝シャンの音、駐車場から出て行く車の音などで
何度も目が覚めて、睡眠不足気味の日が続いていた。

おまけに、好き好んで(苦笑)の家にお篭りの単調な日々の連続で、
何となくぼ~んやりすることが多くなった。(苦笑)

一日、家事以外はずぅ~と机に座っていることが多いからか、
この暑さの中で、クーラーかけないでも、足だけが冷たくて、ビリビリしていることが多い。
そんな足に手を当ててやると、しばらくして、ようやく手の体温で足が温かくなる。
自分でも変な足だなあ・・と思うが、たいていは気にしないで、素足でいた。

で、今日は気分転換に、
朝見たテレビの「お酢で足湯」を真似して、お酢はもったいないから、
「ただのお湯で足湯」をしてみた。

机の下に大きなタライを置いて、その中に熱いお湯を入れたバケツを入れて、
足をつけてみたら、ホント気持ちがいい!
足がほ~んわかと温まってきて、足にチャント血が流れているような感じがする。
お尻や腰のあたりも心なしか温まってきて、下半身が軽くなっていくような気がする。

こんなときに、「ピンポーン」が鳴ったら困るなあ・・・と思ったそのとき、
玄関のインターフォンが鳴った。

バケツから足を出して拭くのに時間がかかり、ドアフォンに出たときは応答がない。
ヤレヤレ間に合わなかったか・・・と、また足をお湯につけた途端に、
「ooさーん!ooさーん!」と、今度は大声でうちを呼ぶ声がする。

あわてて飛び出して、足を拭きながら、
「はーい!はーい!」と返事して階段を駆け下りるが、聞こえないのか、
相変わらず「ooさーん!ooさーん!」と、隣近所に恥ずかしいほどやかましい。

最近、こんなに何度も呼ぶ声、聞いたことがない。
たいていは、ドアフォン鳴らして応答がなかったら、あきらめて帰るのに・・・。

と、ようやく出たら、郵便屋さんで、郵便物が大きくてポストに入らないから
ドアフォンで呼んだとのことだった。お仕事熱心で、本当にご苦労さまでした。

それから、またしばらく足湯をしていたが、お湯が冷めてきたから30分ぐらいで終った。

でも、今日は一日中足がポカポカしていて、今もいつもと違う感じ。
これで、今晩ぐっすりと寝られたら、もう最高!
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by dande550213 | 2006-08-30 22:01 | 雑感 | Comments(4)

表紙と製本テープの色


教会婦人部の文集の表紙と製本テープの色で悩んでいる。

昨日、役員が集まって、表紙の色を「藤色」に決めた。
これに何色の製本テープで閉じたらいいか、わからないのだ。

製本テープの色は、一応、
「赤・黄・緑・白・黒・銀・空・茶・紺・パステルレモン・パステルグリーン・パステルブルー・
パステルピンク」があるようだが、こちらの希望通りの色が店にあるかどうかはわからない。

おまけに、製本テープの製造元のHPには色見本がないので、
例えば、「紺」といってもどの程度青みがかっているのか、
具体的な色イメージがよくわからない。

近所の文具店には「赤・黄・緑・黒・茶」ぐらいしかなかった。
表紙にする厚さの紙は、B4かB5サイズは「うぐいす色」しかなかった。

この中で、組み合わせるとなると、製本テープの色は「緑」になるだろう。

でも、表紙の色が「藤色」に決まり、阿倍野の文具店にもないからネットで注文する予定に
しているが、よく考えてみたら、この色に合う製本テープの色が難しい。

製本テープの色に合わせて、表紙の色を決める方が楽だ。

夏休みの宿題を早く仕上げないと、スペイン語どころではない。
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by dande550213 | 2006-08-28 23:04 | 雑感 | Comments(0)

男の耳飾りから


今では男の人が耳飾りをつけていても、あまり違和感を感じなくなったが、
ほんの20年ぐらい前までは、想像もできなかったことだ。

生まれてこの方30歳ぐらいまでは、
私は、耳飾りをしている日本人の男の人の姿を見たことがなかった。

アクセサリー、特に耳飾りや首飾り、腕飾りなどの装身具は、
美しく装うための道具としての美的機能しかないと、何となく思い込んでいた。

だから、昨今の男の人が耳飾りをつけるようになった背景には、
「男も美しくありたい、美しくあることに価値がある」とする
現代の「ユニセックス化」が根底にあるからなのだろう・・・と思っていた。

「男がアクセサリー」は、日本では新しい風習だと思い込んでいた。

先日(8/16)の日記で、「チンギス・ハーンの時代の男性頭髪」について書いたが、
あのDVDを観て驚いたのは、
“男が頭頂部を剃って、辮髪にする”様々なバリエーションだけでなく、
あの時代の支配者階級の男が耳飾りをしている姿。

アクセサリーといえば、
西洋の史劇では、支配者階級の男が耳飾りをしている姿を、
私は今まで見たことがないような気がするのだ。

「モリエール」とか「王は踊る」とか「ジャンヌ・ダルク」とか「エリザベス」とか「ハムレット」とか、
「恋に落ちたシェークスピア」とか「仮面の男」とか「真珠の耳飾りの少女」とか、
「ブレイブ・ハート」とか「グラディエーター」とか「トロイ」とか「ベン・ハー」とか「十戒」とか・・・などなど、注意して観ていたわけではないから、不確かだが、どうも男は耳飾りをしていなかったような気がする。

西洋史劇で特徴的だと私が思うのは、「男の指輪」、時代が下がると「かつら」で、
絵画を観ても、どうも西洋の昔の男は耳飾りをしていないように思うのだが、どうだろう。

もし、男の耳飾りに地域差があったとしたら、おもしろいと思う。
“男が頭頂部を剃って、辮髪にする”のも、地域差がありそうな気がする。

中近東はよく知らないが、
チンギス・ハーンのDVDでは当時のイスラム世界も登場するので楽しみにしている。

ところで、聖書に次のような言葉がある。

1:9 先にあったことは、また後にもある、先になされた事は、また後にもなされる。日の下には新しいものはない。
1:10 「見よ、これは新しいものだ」と/言われるものがあるか、それはわれわれの前にあった世々に、すでにあったものである。
                                          (伝道の書 口語訳)

私が新しい風習ではないかと思っていた最近の「日本の男の耳飾り」、
実は、縄文時代から古墳時代の終末、7世紀の終わりぐらいまでは、
男も耳飾りをしていたそうだ。
耳飾りだけでなく、首飾りや腕輪などの装身具を、女と同じくらいか、それ以上に。

もちろん、最初は一部の支配者階級だけだったそうだが、
最後には、農民の男たちでさえ、金の耳飾りや首飾りなどをするようになっていたと言う。

それが日本では、突如として、アクセサリーを身につける風習がなくなったという。

603年に聖徳太子が冠位十二階を定めて、冠や衣服の質と色が、
王侯貴族や役人の位を示すことになったので、
アクセサリーで身分や地位を表す時代が過去のものになり、
世界でも珍しいアクセサリーの無い時代がその後、1100年間続くのだと言う。

これは世界のアクセサリーの歴史でも例がないことだそうだ。

そういえば、テレビの山ノ内千代さんも、
ガラシャ婦人もねねさまもアクセサリーを身に付けていない。

こういう長い時代があったから、
私は「男の耳飾り」にギョッとしたのだということがわかって、興味深かった。

※アイヌ人はアクセサリーをする風習が続いていたようで、
  江戸後期には、チンギス・ハーンのDVDに出てくるような耳飾りをしている
 18世紀のアイヌの指導者の肖像画がある。

※以上のお話は、春成秀彌氏の『古代の装い 歴史発掘④』(講談社)を参考にしました。
  とても斬新な研究で面白いです。
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by dande550213 | 2006-08-25 23:38 | 雑感 | Comments(0)

50歳を過ぎると・・・


神奈川に住む妹から、
「夫がソニーを退社して、9月からOOOに入社することになったから、
お義兄さんに身元引受人になってくれないか?」
というメールが入った。

ソニーの業績が悪化しだした頃から、「もしかしたら・・・」と言っていたけれど、
最近、業績が持ち直したと報じていてうれしく思っていたら、
今また、デルに搭載したソニー製のリチウム電池のリコール問題で大揺れ。

妹の夫は、趣味が仕事というクリエイティブな人だから、
新しい天地を求めて、さっそく移動を決めたのだろう。

義妹の話によると、彼女の職場(某大銀行)では
男も余程の上級職でもない限り、50歳を過ぎると出向だそうだ。

スペイン語の先生のご主人も某大商社にお勤めだったが、
50歳を過ぎた数年前から、出向しておられると聞く。

民間企業では、50歳までが働き盛りの花形ということか・・・。
もう君は整理ポスト入りだよと言われているようで、何だか、淋しいね。。。

実はわが夫も50歳を過ぎて、給料が減り始めた。
ただでさえ給料の安い公務員なのに、こんなことってあるの~!!と驚いたが、
定年まで勤めていられるだけ、マシなのだそうだ。

そんな話を聞くと、もう、私たちの輝いていた時代は終ったのではないだろうか・・・と思ってしまう。

そんな人生の一区切りを迎えているようで、時々、たまらなく淋しくなることがある。
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by dande550213 | 2006-08-18 15:08 | 雑感 | Comments(0)

空を飛ぶ夢


最近、夢(寝ているときに見る夢)を見る頻度が減ったことに気がついた。

川端康成だったか、よく覚えていないが、ある小説に
「年を取ると、夢を見なくなったが、先日久しぶりに夢を見た・・・」
というようなくだりがあったのを思い出した。

私が最近夢を見なくなったのも、やはり年を取った証拠なのだろうか?(苦笑)


私は、毎晩のように夢を見る子だった。
子どもの頃は、夢を見るのが楽しみだった。

夜、お布団の中に入ると、すぐに空想の世界に飛び込んだものだった。
今日読んだ物語や自作の物語の主人公になるのだ。
絶世の美女になったり、万能の勇者になったり、
現実の私とは正反対の存在になり、空想の世界で遊ぶひととき。

そうしているうちに、いつのまにか、眠りに落ち、
今度は、夢の世界で羽ばたき、もがき、苦しみ・・・。

朝、目覚めても、夢の内容はよく覚えていた。
途中で目覚めてしまって、続きを見たいと思うときは
すぐ目をつぶると、夢の続きをみることができた。

現実からの逃避を求めて、空想と夜の夢の世界で遊んでいたと、今なら思うが、
学生の頃、私の夢にはどういう深層心理が隠されているのかと興味を持ったことがあった。

当時、フロイトの『夢判断』や『精神分析入門』を紐解いてみたが、
あまりの難解さに、すぐに退散した。


子ども時代に見た夢は今となってはよく覚えていないが、
大人になってからの夢には、類型的な特徴があった。

今も変わらずよく見る夢は、
乗り物の時間に遅れたり、提出物の期限に遅れたり、課せられた勉強をしていなかったりして、
追い詰められている夢(苦笑)。

20代後半まで、私はよく遅刻して、人に迷惑をかけていた。
時間厳守ができない人間だったのだ。

勉強もキライで、切羽詰ってからイヤイヤやり始めるから、たいてい間に合わなかった。
夏休みの宿題、レポート、卒論など、良い思い出はない。

卒論は午後4時が締め切りだったが、
4時直前に、半分しか書けていない代物を提出したという恥ずかしいありさま。
今振り返ってみても、あれでよく卒業させてくれたものだと不思議に思う。


和式トイレですべってひっくり返って、肥溜めに落ちそうになる夢もよく見る。
これは、子ども時代になんども田舎の便所でそういう思いをした経験が
トラウマになっているのではないかと思う。


以前よく見たのに、ここ10年近く全然見なくなったのが「空を飛ぶ夢」だ。

鳥のように両手で羽ばたき、風に乗って自由に気持ちよく空を飛ぶ夢をよく見ていた。
悪者から追いかけられたときも、空を飛んで逃げていた。
そんな夢を全然見なくなった。なぜだろう?

代わりに、以前にはなくて、最近ポツポツと見るようになったのが「肉親の死に遭遇する夢」。
父か息子かがそんな目に合って、私が悲嘆にくれる夢で、夫の場合は一度もない。

そもそも、夫や今の私の家庭が夢に出てくることはあまりない。
夢に出てくるのは、たいていが、結婚前の私で、
弟と息子が夢の中で時々入れ代わっていることがある。

夫に、夢をみるかどうか聞いてみたことがあった。
夫は昔からほとんど夢をみることはないと言う。

しかし、夢を見るときはこういう夢をよく見るという。

頭の上から紐のようなものが降り落ちてきて、自分に絡みつきそうになるので、
それを振り払おうと手を上に差し伸べるところで、ハッと目が覚めて「ああ・・・夢だったのか」(笑)

それは本当。
私も時々、寝ている夫が手を差し伸べて何かを取ろうとしている姿を見ているから(笑)。

みなさんは、どんな夢をよく見ますか?
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by dande550213 | 2006-08-07 11:56 | 雑感 | Comments(0)