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ステロイド剤と2人3脚の全身性エリテマトーデス(SLE)患者の " 猪突猛進、横道うろうろ "人生備忘録:落ちこぼれクリスチャンが心を入れ替えて(- -;)学ぶ日々の「御言葉」と、スペイン語の勉強、SLEの病状などの日々のささやかな記録・・・というのが当初の自己紹介でしたが、今は、単に「日々生きて、夢中になった事ごとの記録」(((^^;)


by dande550213

2012年 11月 27日 ( 2 )



 さあ、これから、死ぬことについて君に語りましょう。とても美しい話です。聞いて悲しがってはいけません。

 今にも秋が来ようというとき、わたしは山へ行く道を歩いていました。太陽は明るく輝いて、木の葉を豪華な色に染めていました。川の流れは、岩の上でゆるやかな踊りを踊り、「別れの歌」を歌っていました。鳥たちもまた、季節の終わりが近づいたことをわたしに告げていました。
 けれどもどちらを向いても、悲しみというものはありません。というのは、すべてはそのとき、そうあるべき姿、そしてそうあるべきだった姿、また永久にそうあるべきだろう姿を、とっていたからです。ねえ、そうでしょう。自然は何ものとも戦おうとはしません。死がやって来ると、喜びがあるのです。年老いた者の死とともに、生の新しい円環が始まります。だからすべてのレベルでの祝祭があるわけです。
 わたしは道を進んでゆきながら、準備がどっさり行われているのを目にしました。「最後の踊り」の準備の方も、相当なものでした。
 キンイロ・アスペンの木の幹に、死ぬために来ていた二匹の蝶がとまっていました。羽根をゆっくり、開いたり閉じたりしていました。息をするのがやっとだったのです。太陽が彼らを暖めると、蝶は互いに踊りはじめました。「最後の踊り」でした。流れのゆっくりした音楽、そして風の優しい声は、それにつれて死ぬべき美しい調べを、彼らに与えてくれたのです。蝶々は怖がってなんかいませんでした。夜が来て、太陽が地平に沈むまで、彼らは踊っていました。それから地上に落ちて、地の肥やしとなりました。
 春が巡ってくると、新しい緑のアスペンの幹に、二匹の新しい蝶がとまっているのに、わたしは気がつきました。彼らは一緒に踊っていました。それは「求愛の踊り」だったのです。流れは、速く、汚れなく、再び新鮮でした。流れが蝶々のために作った歌は、「新生の歌」という歌でした。
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by dande550213 | 2012-11-27 18:43 | | Comments(0)

 わたしたちにはいつも何らかの宗教があった。常に神を信じて、わたしたちのやり方で、神を崇めた。神様というのはどこか天上の雲の上にいる人間だよ、と教えられたのは、スペイン人がやって来た1598年以後だった。そしてこういう話も聞かされた。なんでもこの神には息子がいて、実際にこの地上で生きようとやって来た。そしてわたしたちを救うために、酷い殺され方をしたのだと。だからわたしたちは、彼を崇めなければならないというのだ。
 その当時こういった考えは、奇妙だった。わたしたちにとっては、神は岩の中、木の中、空の中、至るところに遍在した。太陽はわたしたちの父だったし、大地はわたしたちの母、月や星はわたしたちの兄弟だった。だからスペイン人が来るまでは、神を人間として見たことはなかったのだ。それから、長い茶色の衣を着た神父が、十字架形の杖、祈祷書、水や何かを持ってそこいらをうろつき、やたらその水をわたしたちの頭に注ぎかけるのだった。そして言うことには、もうわたしたちは彼らの宗教の信徒だ、なぜなら、今まさに洗礼式を済ませたところだからと。わたしの仲間には、神父たちを神様だと思い込んでいる者もあった。逆に、彼らの宗教に最後まで抵抗する者もいた。わたしたちはその宗教が怖かったからだ。ある者は鞭打たれ、ある者は殺された。
 結局わたしたちが決めたのは、こういうことだった。すなわち、外見にはどんな教会へ行こうと大差はない。わたしたちの教会は、常にわたしたち自身の内にあった。大事なのはこっちの教会だ。外の教会がみな崩れ落ちても、こっちはずっと長い間残るだろうからだ。
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by dande550213 | 2012-11-27 18:21 | | Comments(0)