イスラエル民族が、いかに、生きて働く神を信じていたとはいえ、決して、神がいつまでも、のべつまくなしに人に語り続けられるとは、彼らも信じていなかったのです。イエスが教えと奇蹟によって評判になったとき、民衆の反応は「バプテスマのヨハネが死人の中からよみがえったのだ」、「彼はエリヤだ」「昔の預言者の中のひとりのような預言者だ」(マルコ6 14-15)、(中略)という判断でした。ここには、新しい預言者が登場する可能性も認められていますが、何と言っても以前の大預言者の再来を考えるほうが早い、という空気がみなぎっています。つまり、紀元1世紀初頭のユダヤでは、預言者はもう見慣れぬ存在だったわけです。イエスのもたらした民間の驚きや不安は、このような長い預言者不在感を前提としています。それでは、いったい、いつごろから、預言者的な霊感や奇蹟はイスラエルを去ったのでしょうか。
バビロン捕囚後は、預言者がだんだんいなくなりつつあることが、感じられてきていました。
(榊原康夫著『旧約聖書の生い立ちと成立』いのちのことば社1994 より P90-91)