これは、私が子どもの頃によく聞かされた父の口癖だ。
「できない」と簡単にあきらめないで、「できるのだ」と自分を信じ、一生懸命努力しなさい。何事にもベストを尽くしなさい。そうすれば、いつの日か必ず報われる。「なせばなる」の成果が待っている。
今から振り返れば、「努力信仰」の生き方のような気がする。
私は育った家庭がものすごく抑圧的な家庭だった。教育者の父に絶対服従を求められた家庭で、笑い声のない暗い家庭だった。近所や親戚からは、「あんな風に怒ったら、子供が萎縮してしまって可愛そうだ」とよく言われていた。テレビ放送が始まったばかりだったが、教育上良くないという理由で、NHKニュースと父が見る番組以外は見られなかった。民間放送は受信できないようにしてあった。父の教育方針に適うものだけが与えられた。その父がよく口にして私たちを諭した言葉が、上記の「なせばなる・・・」だったような記憶がある。
暗い家庭だったけれど、私は父を恨んでいない。それは、父は、中学生になると、口うるさく言わなくなったから。「私たちの意志を尊重して、見守る」という態度に徹するように変わったから。小学時代と中学生以後をしっかり区別していたように思う。中学生以後は、たぶん大人への自立の過程として自主性を尊重してくれたのではないかと思う。そこに教育者としての父の姿を見るような気がする。無骨な父の子供に対する愛情を、言葉ではなく、まなざしに私は感じていたから、今でも父を心から尊敬している。
一番の被害者は母だった。母は今でも父には人間扱いされなかったと言う。本当によく母が耐えたものだと思う。しかし、根底では、母も、「父の家庭・家族に対する愛情」が言葉ではなく、まなざしに感じられたからこそ、最終的には今日まで我慢できたのではないかと、私は思っている。
いずれにせよ、私は3人兄弟だったが、大人になって、萎縮して対人関係がうまく取り結びない悩みを抱えることになった。(後で聞けば、妹もそうだったと言っていた。弟のことはよくわからないが、最近、父によく似てきた。)
無意識だったが、心に傷を負ったままの私は、30歳近くまで、対人関係では萎縮してしまって、うまく会話できなかった。だから良く言えば、「情熱を内に秘めた無口で静かな人間」に見えたと思う。悪く言えば、「内気でモジモジした暗い性格」
そんな私が大きく変わったのは、1994年以降ではないかと思う。SLEを発病して9年目。病の床から、叩き起こされたのだ。
1985年に発病したときに、私は病室で聞いたラジオ放送を手がかりに便りを書き、少しずつキリスト教に導かれていた。退院して、出歩けるようになると、娘を連れて、ある教会へ通いだした。今の教会ではない、リバイバル系やペンテゴステ系の教会。
昨日、当時のブックレットを残していることを思い出して、取り出してみた。読み返すうち、もしかして、自分は「努力信仰」のとりこになっていたのではないかと思った。
『輝き・可能性への変身 №1』という生駒聖書学院教会(エリム・チャペル)のブックレットの末尾の「私はイエス様を私の救い主として受け入れます・・・」のところに、1994年10月20日の日付で、私はサインをしていた。
そして、学び、「レッスンA 自信を持つ」に、私は当時、こう記入していた。
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1.あなたが自分自身について持っている自信を3つあげてください。
A.物事に対して真面目である。
B.途中であきらめて投げ出さない(責任感がある)
C.学びとり、自分の糧にしたいと願っている(向上心がある)
2.私は・・・できるという宣言文を書いてください。
A.私は幸せな家庭を築くことができる(良き母・良き妻)
B.私は生きがいをみつけ、持つことができる(仕事)
C.私は自分に自信をもって、堂々と明るく生きていくことができる
D.私は病気に打ち勝つだけの強い精神力をもつことができる
E.私は悔やんでもしかたのないことは忘れることができる。正直になることができる
F.私は謙虚になることができる
3.あなたにはどんな価値がありますか、あなたの価値を高める長所を列挙してください。
①わが子を愛し、わが子が幸せに成長することを願っている
②社会のために役立つことをしたいと願っている
4.あなたが自信を持って行動していること、できること、そして行動したいことを書き出してください。
①PTAやボランティア・環境問題など、地域社会と関わりながら、少しでも役に立ちたいと思い、行動している。
②自立するために資格取得をめざし、行動し、チャレンジし、失敗してもくじけず、明るく、最後までチャレンジし続けたい。
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1994年当時、こんな書き込みをしていたなんて、全然記憶になかった。
学びはこの後、「B.ハンディキャップに打ち勝つ」「C.エンスージアム(熱意)」「D.期待(ピグマリオン)の効果」「E.願望達成の秘訣・求めること」「F.幸福の秘訣・与えること」と続くのに、それそれの項目のレッスンでは何も書き込んでいないことを見ると、飽きっぽくて根気がなかったのか、それともよほど自信消失していて、自信回復を一番に求めたのか、どちらかだろう。
しかし、振り返ってみると、私はここに書き込んだように、「目標達成に向かって、一生懸命努力すること」に励んで、病の床から立ち上がったのだった・・・と思い当たった。
もしかしたら、父の口癖の「なせばなる・・・・」が私の中に刷り込まれていたのかもしれないと思う。
私の中には、常に「人間の力・知恵や努力」に対する信奉があったような気がする。
難病(医学や患者の努力ではどうにも改善できない病気)になった時、一番に思い知らされたことは「人間の力では解決できない領域がある」ということだったはずなのに・・・。
神様は、難病を通して、私にそのことを教えてくださったのに、私は以後も「人間の知恵と力」に頼り続けたのだったと、思い至る。