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ステロイド剤と2人3脚の全身性エリテマトーデス(SLE)患者の " 猪突猛進、横道うろうろ "人生備忘録:落ちこぼれクリスチャンが心を入れ替えて(- -;)学ぶ日々の「御言葉」と、スペイン語の勉強、SLEの病状などの日々のささやかな記録・・・というのが当初の自己紹介でしたが、今は、単に「日々生きて、夢中になった事ごとの記録」(((^^;)


by dande550213
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「二度生まれ型」と「一度生まれ型」


宗教学者岸本英夫氏は、先述『死を見つめる心―ガンとたたかった十年間』の中で、
現代人を「死に脅えて生きている人間」と「死を忘れて生活する人間」の
二種類の人間類型にわけられた。(2006/09/08記)

これを別の箇所で、
ウィリアム・ジェイムズは「二度生まれ型」と「一度生まれ型」とも呼んでいる、
と紹介しておられて興味深かった。


以下、要約しながら引用してみる。
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ウィリアムズ・ジェイムズ(何をする人か、私は知らない)は、人間を個人的性格の面から、
「病める魂」のもち主と「すこやかな心」のもち主にわけている。

「病める魂」のもち主は、現在の与えられた人生には、どうしても満足をみいだすことはできない。
この人生に対して、深い疑問を持ち、人間はなんのために生まれてきたかを、つねに心の問題とする。かれの目には、この人生だけが人間の生命の全部だとは考えられない。この世の生活をどういとなむかは、それほど、重要な問題とは思われない。この生をこえたかなたに、理想の世界をみいだそうとする。未来には、もっとかがやかしいものが約束されていると信じる。その意味で、「二度生まれ型」(twice born)ともよんでいる。つぎの世にもう一度生まれなければ承知しないという意味である。

これに反して、「すこやかな心」にとっては、現在の、時々刻々の生活が、生きがいにみちている。その日その日がたのしい。生きているということ自身が、直接的な価値をもっている。人生に対する、心をえぐるような深刻な疑問は出てこない。生きていられるということだけで、感謝に価する。この人生に、じゅうぶん満足しているので、死後の世界のことなどには興味がなく、「一度生まれ型」(once born)ともいえる。
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この「病める魂」という言い方はキライだが、
やはり私はここでもこの定義にかなりよく該当するような気がする。

もちろん、全部そうだというのではない。
異なる部分もあるが、もしかしたら、それは私が気がついていないだけで、
心の奥底ではそう思っているのかもしれないと思った。

私の場合は、この人生だけが人間の生命の全部なのかどうかが一番の重要問題になっている。
だから、この生をこえたかなたに、理想の世界があるならばうれしいと思っている。
が、あるかどうか確信が持てずに悩んでいる。
(当たり前のことだが、クリスチャンとしては、これでは失格!)

しかし、生まれ変われるものなら、何度でも生まれ変わりたいと願っているので、そういう意味では
「つぎの世にもう一度生まれなければ承知しない」=「二度生まれ型」ともいえるだろうと
妙にこの定義に納得した。(笑)
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by dande550213 | 2006-09-11 12:12 | 雑感 | Comments(0)