8:3 彼は水の門の前にある広場に居並ぶ男女、理解することのできる年齢に達した者に向かって、夜明けから正午までそれを読み上げた。民は皆、その律法の書に耳を傾けた。
8:8 彼らは神の律法の書を翻訳し、意味を明らかにしながら読み上げたので、人々はその朗読を理解した。
8:10 彼らは更に言った。「行って良い肉を食べ、甘い飲み物を飲みなさい。その備えのない者には、それを分け与えてやりなさい。今日は、我らの主にささげられた聖なる日だ。悲しんではならない。主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である。」
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カナンの地に入る前に語られて「モーセ第2の説教」といわれ、
イスラエルの人々がカナンの地でどのように生活すべきかを考察した「第2の律法」とも
言われる『申命記』は、長年所在がわからずに、人々の記憶化からは消えうせていた。
それが再発見され、約400年ぶりに過越しのいけにえが捧げられたのがBC624年頃で、
ほどなくバビロン捕囚に遭い、ようやくエルサレムに帰還して
エズラが民の前で律法の書(創世記~申命記)を朗読したのがBC445年頃で、
これまた約200年ぶり。
そのときに、仮庵の祭りも復活されたが、
何とこれはヌンの子ヨシュアの時代以来のことというから、
約700年ぶりということになろうか。
(※チェーン式バイブル注p755には、祭りを守ってこなかったということではなく、
すべての民がこのような大きな喜びを持って仮庵の祭りを行ったことはなかった、
の意、と解説されている。8/18)
モーセが民を代表して神と契約を結んでから約800年後にして、
主の3大例祭(過越しの祭り、贖罪の日、仮庵の祭り)でさえ、このありさまだったのだ。
レビ記には、次のように記されている。
23:4 以下は主の祝日であり、その日あなたたちはイスラエルの人々を聖なる集会に召集しなければならない。
23:5 第一の月の十四日の夕暮れが主の過越である。
23:27 第七の月の十日は贖罪日である。聖なる集会を開きなさい。あなたたちは苦行をし、燃やして主にささげる献げ物を携えなさい。
23:34 イスラエルの人々に告げなさい。第七の月の十五日から主のために七日間の仮庵祭が始まる。
しかし、当時のイスラエルの人々の時代には、聖典が整えられていたわけではないので、
今の私たちのように、神の言葉を体系だって学ぶ機会など、無かったのではないだろうか。
バビロン捕囚を契機として、捕らわれて帰還した人々の中から、
エズラやネヘミヤを中心として、律法の教えに従った新しい共同体つくりが始まる。
イスラエルの宗教(ユダヤ教)の大きな転換点がここから始まる。