ディアスポラ(離散)のユダヤ人と放浪のジプシーは、迫害を受けた歴史的境遇がよく似ているが、ユダヤ人は「記憶」という記念碑を作り出すことで迫害と分散に対抗してきたのに対し、ジプシーはその日を生き延びるために、彼らの運命論とスピリット、あるいはウィットを混ぜ合わせた独特なものによって「忘れる」技術を作りあげてきた、と『立ったまま埋めてくれ』の著者イザベル・フォンセーカは書いている。(*フォンセーカ自身はユダヤ系アメリカ人ジャーナリスト)
ユダヤ人が、第二次世界大戦中にナチス・ドイツから組織的な大量虐殺を受けた歴史的事実を「ホロコースト」という言葉で私たちは知っているが、なぜそういう言葉で表現しているのかについてはあまり知らない。実際、私自身もよく知らなかった。
Wikiによると、「ホロコースト」とは元々はユダヤ教の宗教用語にあたる「燔祭」(獣を丸焼きにして神前に供える犠牲)を意味するギリシア語で、それがのちに転じて火災による大虐殺、大破壊、全滅を意味するようになったと言われる。英語では、
ユダヤ人虐殺に対しては定冠詞をつけて固有名詞 (The Holocaust) とし、その他の用法を普通名詞 (holocaust) として区別しているそうだ。
つまり、「ホロコースト」という言葉はユダヤ教由来の言葉で、ナチス・ドイツからの組織的な大量虐殺を「ホロコースト」と呼ぶ場合には、元々は「ナチスの悪の神の赦しために、ユダヤ人が犠牲として捧げられた」ことを意味する言葉だったのではないだろうか。
アメリカには「全米ホロコースト記念協議会(1979年創立)」というのがあるが、「アメリカホロコースト記念博物館」がジプシーの犠牲者を追悼する初の行事を行ったのは、ようやく1994年になってからだという。
協議会の65人のメンバーにはポーランド人、ロシア人、ウクライナ人、30人以上のユダヤ人が含まれていたが、ジプシーは1人もメンバーとして招かれておらず、それは協議会議長でホロコーストを生き伸びたノーベル平和賞受賞者のエリ・ヴィーゼルがジプシーの代表者を迎え入れることに反対していたからだと言う。
何とも不思議な話だ。
犠牲になったのはユダヤ人・ポーランド人・ロシア人・ウクライナ人だけでなく、ジプシーの犠牲者数も推計で22万人から150万人にも上ると言われているのに、ジプシーの代表者は入れないなんて。(-_-;)
そこで、過去の事を忘れることで生き延びようとしてきたジプシーの多くが、ようやく自分たちは不当に扱われてきたと認識し始め、イギリスのジプシーで、今はアメリカに住むイアン・ハンモックが
「ポライモス(第二次世界大戦中にナチス・ドイツやクロアチア独立国、ハンガリー王国など枢軸国が実行した、
ロマ絶滅政策)」という新語を作り、自分たちの迫害の歴史を記憶しようとする試みが生まれたと言われる。
「ポライモス」とは、ロマ語の複数の方言で「絶滅」ないしは「破壊」の意だという。