昨日は大枚はたいて、第7回國際景教研究学術大阪大会を覗きに行ってきた。ずいぶん大層な名前が笑えるほど、アットホームなオタク(?)の方々の集まりだった。(((^^;)
会場は、藤井寺キリスト教会。
朝8時過ぎに家を出て、帰宅したのが夜の9時過ぎ。
午前中2講義、午後3講義、夕食後1講義。ほとほと疲れ果てたが、日本語・韓国語・中国語・英語の4か国語が飛び交う不思議な空間に良き刺激を受けた。
景教なんて名前は、高校の世界史以来。
6世紀以降に、ペルシアからシルクロード経由で入って栄えた古代キリスト教の一派を、中国の唐の時代に「景教」と言った。ネストリウス派とも言い、コンスタンティノープルの総主教ネストリオスによって説かれ、431年のエフェソスの公会議で異端認定され、排斥されたキリスト教の一派。
ここまでが、高校世界史の知識。(((^^;)
知りたかったのは、教義のどんな点が異端視されたのか、ソグド商人が中国へ景教を運んだと言われていることは知っていたが、経由地である中央アジアではどんな状況だったのか、など。
知りたかったことは全部教えてもらったが、予期せぬ情報に接して、不思議なご縁を感じた。
それは湯沢英房牧師が「使徒パウロの伝道地の訪問」という発表で、「マルタとパウロの関係、遺跡」を紹介されたこと。
聖書の「使徒の働き」に、「パウロの3回の伝道旅行とローマへの移送の旅」の模様が書いてあることは知っていたが、「パウロが乗った船が難破してマルタに流れ着き、そこで3か月過ごした」なんて、恥ずかしながら全然記憶になかった。(((^^;)
パウロが難破してマルタに流れ着いたのを記念して、1570年に建立された教会がパウロの難破教会だと言われる。ガイド本には記載されていなかったような気がするので、「その教会はバレッタにありますか?」と師に尋ねると、「バレッタにありますよ。」と言われた。
家に帰ってネットで調べてみると、何と私たちが予約した宿(赤丸)のすぐ横にあるではないか!
この教会には、聖パウロの手首の骨のかけらと、パウロが斬首されたときの台座だったと信じられている柱の一部が聖遺物として保管されているそうだ。
カトリックの教会では、1月6日の公現祭には固定祭日でなくても張り紙1枚で休館になることが多いので、訪れる日には注意、注意。(((^^;)