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ステロイド剤と2人3脚の全身性エリテマトーデス(SLE)患者の " 猪突猛進、横道うろうろ "人生備忘録:落ちこぼれクリスチャンが心を入れ替えて(- -;)学ぶ日々の「御言葉」と、スペイン語の勉強、SLEの病状などの日々のささやかな記録・・・というのが当初の自己紹介でしたが、今は、単に「日々生きて、夢中になった事ごとの記録」(((^^;)


by dande550213
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「自由であれ」平尾誠二 ラストメッセージ


昨夜夕飯を食べていたら、テレビで平尾誠二さんの追悼番組(NHK 関西熱視線)が始まったので、あわててスマホを取りに上がって、懐かしい彼の面影をキャプチャした。
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将棋の羽生善治名人、サッカー元全日本監督の岡田武史監督、ノーベル医学賞の山中伸也教授など、異分野のプロフェッショナルとも交流が深かったようで、番組で平尾さんの思い出を語っていた。

岡田監督は
「日本の文化が変わらない限り、日本のスポーツ界のあり方は変わらないと思う」と言ったら、平尾は「イヤ、僕は日本のスポーツ界のあり方を変えることで、日本の文化を変えたいんだ」と言ったから、こいつはすごいヤツだと驚いた。
というような話をされた。

平尾さんは大学を卒業した後、ラグビーはもう十分やったから辞めようと思って、イギリスに留学したことがあるそうだ。

そこで、イギリスでは、スポーツが日本のような部活の延長ではなく、暮らしや人生の一部として、人々の生活の中に深く根ざし、息づき、溶け込んでいるさまを目の当たりにして、ラグビーを通して真のスポーツ文化を日本に定着させたいと思うようになったのではないかという言葉が印象的だった。

彼は今までの練習方法を改めることから始めた。
1.積極的な外国選手の起用
2.テクニカル部門の創設
3.他競技アスリートオーディションなど

また、ラグビーボールは楕円形で、ボールがどちらに転がるか予測がつかないような競技だ。だから、戦略もベンチの監督の言うがままではなく、フィールドに立っている選手個人個人が現場の状況に応じて、臨機応変に自由に判断して立てることが必要だと、常々、選手に指導していたと言われる。

平尾さんは若くして、全日本の監督に抜擢されたが、短期間では成果が上がらずに、辞任に追い込まれたとも・・・。

しかし、彼の撒いた種が実を結んだのが、W杯の対南アフリカ戦の大逆転勝利だという。

監督は同点を目指して、フィールドゴールを選択するようにベンチから指示したが、選手達の判断は逆転勝利のためにトライを目指す戦略で、それを自分たちの意志で選択して、あの世紀の大勝利を勝ち取ったのだ、と。

癌になって闘病生活を支えたのが山中教授だった。彼が亡くなるまで見守り続けられたそうだ。

その山中教授が最後にこう述べられたのが印象的だった。

平尾さんが53歳という若さで、世を去らなければならなくなったことに関して、「彼は多くの物に恵まれた人だった。身体・才能・あの容姿、すばらしい師など。さらに生涯を全速力で走ってきた。だから
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「彼は生き方がダンディな人だった」とも言っていた。

その言葉を聞いて、「白洲次郎」を思い浮かべた。

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by dande550213 | 2016-11-05 14:52 | 雑感 | Comments(0)