2003/11/16号の「夢送り込み装置」から2006/05/21号の「国際化時代に最も不向きな対立回避症克服法」までの119の発明が収録されている。彼女が亡くなったのは2006年5月25日だから、まさに死の間際まで書き続けた遺作ともいうべき作品。
作品の最初に、井上ひさし(ユリ夫人は米原万里の妹)の次の言葉が収録されている。
「日々の暮らしが少しでもよくなるために、一人ひとりがどのように生きたらよいか」
米原万里が両親から引き継いだ人生の課題は、これであった。
病の床について動けなくなった彼女は、「うんとセコイ発明でこの世の大問題を解決できないだろうか」と夢想する。彼女が自分で描いた挿絵を添えてここに提出した119の発明は、いずれも愉快かつ珍妙だが、しかしやがてその奥から、読者の耳に、「愚かなくせに他人を踏みつけにして恥じない連中を、どうしたら正道に引き戻せるか」と、必死に叫ぶ彼女の悲痛な声が届くはずである。
米原万里展「ロシア語通訳から作家へ」図録より
死期の近いことを悟った彼女が日本の政治(当時は小泉内閣だったようだ)を憂いた解決法の発明だけではなく、10年後の今では十分に現実生活に活用できる発明も多々収録されているのでその中の一つを紹介。
それは、2004/10/17号の「遺失物発見法」
歳を取るとともに、多くの人で切実な問題になる「物の在り処を忘れる」に対処する方法。(((^^;)
財布、メガネ、名刺入れ、時計、リモコン、果てはチェックイン直前の航空券など、なぜか突然自分の目の前から姿を消す身の回りの品々。
盗まれたり、間違って捨てたり、外出中にどうしても思い出せない場所に置き忘れたりしたのでない限り、見失ったものは、いつか出てくる。1週間後だったり、一、二年後だったり。問題は必要不可欠なときに出てきてくれるとは限らないということだ。(中略)
どうらや、私が必要とするものは必要とされる時点で神隠しにあったように見えなくなり、捜し求めているあいだは決して現れず、捜すのをあきらめたり、忘れたりしたとたんに出てくるという、ひねくれものなのだ。
と書いているが、私も本当にそうだと思う。
この捜し物に費やす時間が勿体ないし、うっかり再購入してしまった後で見つかった時は、悔しくて夜も眠れないほど。(((^^;)
そこで、米原さんんはカーナビを遺失物探査に応用できないかと考える。
(小型化した)ナビゲーション用の発信器を日頃わたしの目の前から姿を消す癖がついているものに片っ端から取り付けたらどうだろう。財布、現行カード、クレジットカード、メガネ、ハサミ、爪切り、辞書、書籍、フラッシュメモリー、携帯用パソコン、携帯電話、手帳、アドレス帳、万年筆、消しゴム、スイカカード、身分証明書、パスポート、各種会員証、薬瓶、読みかけの『サンデー毎日』、耳かき・・・・・・。
ディスプレー画面には、家の中の間取り&配置図があって、捜しているものの名称をクリックすると、画面上の所在場所に相当する個所がピカピカ点滅するという仕組みだ。
これは良いアイデアだから、ぜひとも実用化してほしいと思う。*\(^o^)/*
米原さんのアイデアは在宅時のものだが、外出時にはスマホのディスプレーに地図アプリを表示させて、どの辺りにその失せ物があるかをピカピカ点滅するという仕組みで表示するようにしたら、外出時も安心だと思う。
電池の寿命とか、小型軽量化など、クリアすべき問題があるかもしれないけれど、できるだけ早く実用化すれば高齢化社会に対応するヒット商品になるのではないかと思っている。
ただし、それでも米原さんがおっしゃる次の問題には対応できないかもしれないが・・・。(((^^;)
なお、もう一つ気になる点がある。それは、わたしの老化が進むとともに、何をなくしたのかを覚えていられないかもしれないという心配だ。