開場10分前に行ったら、今日は入場整理券が発行されていて、何と347番だった。
10番ごとに番号を呼ばれて講堂に入っていったら、前2列ぐらいしか空きがなくて、今回もヒヤヒヤもん。(((^^;)
現代カザフスタンの田舎の結婚話で、人物関係は見ているうちにわかってくるという筋立て。
一番最初、太った男が目覚める場面で始まるが、この男が何なのか、わからない。朝、出かけるときに家の外で運転手が車を用意して待っていたから、うう・・・ん?お金持ち?ちょっと地位のある人?
2回目の同じようなシーンは、今度は彼がお迎えの車で出勤して、建物内に入り、やがて市長だとわかる。
同じように、求婚する男が最初、手に持っていた2袋、それが2回目の同じ場面で、くるみの実が入っていたのだとようやくわかる。(((^^;)
たぶん、カザフスタンの人々だったら、見ればすぐわかるのだろうと思うが、日本人には家族関係や親せき関係、友達関係など、登場人物のいろんな関係がすぐには呑み込めなくて、最初、登場人物がバラバラのパズルを眺めているようだった。
求婚・結婚にも独特の過程(形式)があり、一種の型を踏んでいるんだということが異邦人には後でわかる。花嫁側の両親が若い衆を引き連れてライフルをもって花婿の家に押しかけ、ライフルをぶっ放して花嫁を連れ戻す険悪な場面があったが、これも求婚・結婚の一種の型なのだと後でわかる。
そういう文化風習の違いも新鮮だが、何よりも驚いたのはさまざまな民族が入り混じっているということ。
顔つきが全然違うのだ。チュルク系やモンゴル系、スラブ系、中国系など・・・いろんな民族が入り混じって暮している。
このさまざまな顔つきをみていると、この地域が文明の十字路だったんだということがよくわかる。
帰り道、50年近く変わらず立ち続けているお方を仰ぎ見て、過ぎ去ったわが青春を懐かしむ。(((^^;)