が、それと同じように、もしかしたらユダヤ人のコミュニティ(ゲットー)も世界のどの町に行ってもあるのではないだろうか・・・と思ったのは、ウルグアイの映画「ウィスキー」を見た時だった。
8年ほど前に見て、このブログにも2回にわたって書き留めている。
2007年 01月 16日「WHISKY」
2007年 01月 18日「ユダヤ・ジョーク」
当時は、セファルディもアシュケナージも知らなかったが、今なら何となくわかる。
ウルグアイのユダヤ人は、きっとブラジルから移ってきたのではないだろうか。
そして、ブラジルのユダヤ人の多くはオランダのアムステルダムやドイツのハンブルクなどから逃げてきたスペインやポルトガル系のセファルディの子孫だったのではないだろうか。
ディアスポラで世界各地に散らされたユダヤ人は、1897年のシオニズム運動始動に触発されてイスラエルへの帰還を初め、イギリスのパレスチナ委任統治が終了した1948年にはパレスチナの地のユダヤ人口は65万人になっていたと言う。
イスラエル帰還によって、世界各地のユダヤ人コミュニティは次第に衰退していったのではないかと思うのだが、どうなのだろう。