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ステロイド剤と2人3脚の全身性エリテマトーデス(SLE)患者の " 猪突猛進、横道うろうろ "人生備忘録:落ちこぼれクリスチャンが心を入れ替えて(- -;)学ぶ日々の「御言葉」と、スペイン語の勉強、SLEの病状などの日々のささやかな記録・・・というのが当初の自己紹介でしたが、今は、単に「日々生きて、夢中になった事ごとの記録」(((^^;)


by dande550213
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Sefardíの音楽2 「MARINERO SOY DE AMOR」


セファルディ(Sefardí)とは、セファラデに住むユダヤ人のことをさす。

「セファラデ」という語は、旧約聖書の「オバデヤ書20節」に記されている。
セファラデにいるエルサレムの捕囚の民は南の町々を占領する。

古代ユダヤ人はイベリア半島をヘブライ語で「セファラデ」と呼んだ。

セファルディの最も古い先祖は、新バビロニアのネブカドネザル王によるエルサレムの神殿破壊とユダヤ王国滅亡の後、すでにBC586年ごろ、祖国エルサレムから地中海南岸沿いに移動して、エジプト、チュニジア、モロッコといったアラブ圏の国々に住んでから、セファラデの地に逃れてきたといわれる。

このセファラデの名にちなむスペイン系ユダヤ人は「セファルディ(Sefardí)」と呼ばれ、ライン川流域のキリスト教圏に向かったユダヤ人は「アシュケナージ(Ashkenazi)」と呼ばれる。

セファルディは1492年の追放令までは、紆余曲折はあったものの、イベリア半島のアンダルシア地方を中心にして、約2000年ほどキリスト教徒ともイスラム教徒とも、それなりに仲睦まじく暮らしていたと言われる。

それほどまでに長くスペインで暮らしていたから、彼らの言語は「スペイン語」だった。

だから、彼らは1492年にスペインを追放された後も、この「スペイン語」を次の移住先に携えて行き、それぞれの新しい故国において400年以上もスペイン語を純粋に保持して、「スペイン語」を内なる祖国として、言語の島を築いて暮らしたといわれる。

You Tube でセファルディの音楽を探すと、すでに中世の時代から、スペイン語の曲が多く見つかる。

その中に次の曲があった。

作者不明で、題名は「私は愛の海を漂う水夫」かな?

この曲の「MARINERO SOY DE AMOR」のメロディラインを聞いた時、映画「屋根の上のバイオリン弾き」の「Sunrise Sunset」を思い出した。

「屋根の上のバイオリン弾き」はウクライナに逃れた「アシュケナージ」を描いている。

MARINERO SOY DE AMOR - Anónimo (Sefardí) / Cervantes





John Williams「屋根の上のバイオリン弾き」 Sunrise Sunset



John Williamsは、きっと「MARINERO SOY DE AMOR」を聴いて、「 Sunrise Sunset」を作ったような気がする。
by dande550213 | 2015-10-07 18:30 | 音楽・美術 | Comments(0)