ただ、ソジンと育ってきた環境が少し似ていて、ソジンの病気と気持ちに共感するところが多いから、前回も今回もどうしてもソジンの視点で、物語を見てしまう。
私はDIDではないから、DIDの詳細は知らないが、Wikiの解離性同一性障害の解説記述を読み、幼児期から児童期に強い精神的ストレスを受けて、空想へ没入逃避し、性格的にも委縮して対人恐怖症でほとんどしゃべれなかった青春を過ごしたので、ああ、もしかしたら、ソジンのようになっていた可能性もあったかもしれないなあ・・・と思い、その辺の事情を少し書き留めておきたい。
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Wikiより
解離を生むストレス要因
解離性障害となる人のほとんどは幼児期から児童期に強い精神的ストレスを受けているとされる。 ストレス要因としては、(1)学校や兄弟間のいじめ、(2)親などが精神的に子供を支配していて自由な自己表現が出来ないなどの人間関係、(3)ネグレクト、(4)家族や周囲からの児童虐待(心理的虐待、身体的虐待、性的虐待)、(5)殺傷事件や交通事故などを間近に見たショックや家族の死などとされる。 この内、(4)(5)がイメージしやすい心的外傷(トラウマ)である。
心的外傷 (trauma) はPTSDなど様々な現れ方をするが、柴山雅俊は解離性障害が重症化しやすい特徴を「安心していられる場所の喪失」ととらえている。 柴山は自らが関わった解離性障害者42人を、自傷傾向や自殺企画が反復して見られる患者群23名とそうでない19名に分けて、患者の生育環境との相関を見た結果、DIDを含む解離性障害の症状を重くする要因は、日本の場合、家庭内の心的外傷 (trauma) では両親の不仲であり、家庭外の心的外傷 (trauma) では学校でのいじめであるとする。 「安心していられる場所の喪失」とは、本来そこにしかいられない場所で「ひとりで抱えることができないような体験を、ひとりで抱え込まざるをえない状況」に追い込まれ、逃げることも出来ずに不安で不快な気持ちを反復して体験させられるという状況である。
自分を肉体的、あるいは精神的に傷つけた相手が、本来なら自分を癒すはずの相手であるために心の傷を他者との関係で癒すことが出来ない。 こうして居場所の喪失、逃避不能、愛着の裏切り、孤独、現実への絶望から、空想への没入と逃避、そして解離へと至るのではないかとする。 ジェフリー・スミス (Smith. J.) は2005年の「DID(解離性同一性障害)治療の理解」の中でこう述べている。
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私は「幼児期から児童期に強い精神的ストレスを受けた」
ストレス要因は、「(2)親などが精神的に子供を支配していて自由な自己表現が出来ないなどの人間関係」だったと思う。
私は3人兄弟の第1子で、教育者の父が初めて経験する子育てだった。父は中学の教師で謹厳実直・厳格な融通の効かないガチガチの教師だった。
私が生まれた頃の父の教え子はみな父を敬愛して、私の名前を冠したクラス会を父の死の年まで約70年間ほど毎年続け、父もそれに毎年招待されて、慕われ頼りにされていた。
しかし、時代が変わって、父のような教師は次第に煙たがられるようになったのだと思う。父がかつての教え子たちにそんなに慕われていたとは信じがたいほど、父は家族のすべてを絶対的に支配した。
テレビはあったが、教育上良くないということで見せてもらえなかったし、勉強ばかりさせられ、服も贅沢は必要ないということであまり買ってもらえず、学校から家に帰るとたいていパジャマを着て過ごした。(((^^;)
第1子の私には特に教育熱心で、毎晩毎晩父に叱られて泣く私の泣き声が村に響きわたっていた。だから、今でも夜に子どもの泣き叫ぶ声を聞くと、ドキッとして落ち着かなくなる。村の人や親せきはみな「あんなに子どもを怒ったら、子どもが委縮してしまう」と心配して、父に意見したそうだが、父は自分が教育者だから聴く耳を持たなかった。
とにかく家庭は暗くて、笑い声はなく、みな父の顔いろをうかがって暮らした。私はそんな家庭と父の叱責の痛みから逃避するために、空想の世界に逃れることを覚えた。
空想では、「現実の自分とは正反対の自分を想像」して、お話を作り上げ、その中では私は幸せに微笑むのだった。空想中の私は現実のビクビク怯えた私ではなく、美人で明るく闊達で人気があり、素敵な誰もがうらやむ白馬の王子さまが現れて私に恋をするのだった(大笑)。毎晩、毎晩布団の中で、何時間も空想した。頭の中で空想するだけでなく、それを漫画に書いてみたこともあった。(笑)
私は空想に逃避したが、妹や弟はどうしたのかは知らない。
テレビと漫画が見れないというのが子ども心に一番つらかった。紀子さまのご結婚の時、ああ・・・私と同じようにテレビ無しの生活の人がこの時代にもいたのかと、妙にほっとしたような気持ちになったものだった。
ただし、父は教育者なので、子どもたちにはいろんな本を買い、夏休みには2週間ほどかけて毎年毎年全国アチコチの旅行に連れていってくれた。私は本が友だちだった。今でも本が読むのが大好きだ。心の機微は苦手だから、小説よりもノンフィクションや歴史。(笑)
つまり父は、子ども心など解さずに、ただ自分の価値観に従った教育がしたかったのだろう。
自分の価値基準に忠実な家族運営がしたかったのだろう。
父の教育方針は、中学から高校生になる頃には、絶対的支配的はやめて、アドバイスと見守りに徹するように変わったが、絶対的な家族支配は以後、父が死ぬまで続いたから、一番の被害者は母だった。
そんな家庭だったから、私だけでなく妹・弟・母も心に傷を抱えたが、私は、最終的には父は家族に対する愛情表現が下手なだけで、家族を深く愛しているのだということがわかったから、父を怨まなかったし、むしろ逆で、フロイトのエディプスコンプレックスではないが、父と同じようなタイプの男性を夫に選んでしまった。(((^^;)
夫も、どうもトラウマを抱えているようで、少し変わったお方。「失感情」について(1)*この時代は夫に悩んでいたが、今や軽くクリアしてしまった私。(((^^;)
結婚後もテレビは無かった。携帯ラジオを聞きながらご飯を食べ、レコードで音楽かけて暮らす生活が続いた。テレビは、私がSLEを発病して入院している間に、子どもの気を紛らわすために仕方なく夫の実家から古いテレビをもらってきて設置したようだ。ちょうどタイガースが優勝した年だったと思う。
今も夫はテレビはやかましいと見ないし、つけさせたくないようだから、私も自然にテレビはニュース以外に見なくなった。どうも私の一生は、テレビとは縁がないようだ。(((^^;)
話は戻って、8歳年下の弟の場合は、父との関係は「動物でいうとオス同士の相克」になり、家を出るだの父を殺すだの、かなり際どい状況に陥りそうだったという話を後で母から聞いた。
母の死後、私たち3人の子どもが母の精神状態を案じて出した手紙が母のタンスからいっぱい見つかって、私だけでなく、妹や弟も母を心配して手紙を書いていたのかと驚いた。
弟は若い頃を振り返って「母さんがいたから家を出なかったし、生きていけた。」と言ったことがあった。
田舎なので、大学に行くために18歳で家を出て以来、盆暮れ夏休み以外はだいたい家に帰っていないので、8歳年下の弟と父との間に何があったのかは知らないが、父の葬儀と母の葬儀では、家を継いだ弟の扱いが大きく違って驚いたものだった。
私は学生時代、人とどう話をしたらいいのか分からず、無口だった。対人関係が苦手で、相手の感情がよくわからなかったが、内気で引っ込み思案で居れば、感情がわからないことを相手に気付かれないので、自然にそう演じるようになった。
今でも娘には「お母さんはKYだ」と言われることがあるが、今の私は「KYだったら、なんで悪いの?どうして、人の顔色ばかり気にして、周りに自分を合わせるように気を使わなアカンのん?」と反撃するほど、難病を経験して、性格が変わった。(((^^;)
たぶん、父に押さえつけられて自分が知らなかった「元々の性格」にようやく戻ったのだろうと思う。
元々の性格とは、父に似た性格だった。(((^^;)
たぶん3人兄弟の中で、私が父に一番似ていると思う。
そんな私の経験から言えることは、
やはり、幼児期から児童期に強い精神的ストレスを受けることが一番の問題だと思うことだ。
この時期の心の傷は、なかなか修復できないと思う。それは、その人の根本を形成する時期だからだと思う。
私も妹も弟も、何がしかの傷を今も引きずっている。
私たち兄弟はかなりいびつに成長したせいか、今でもほとんどやり取りはない。(((^^;)
ソジンの場合は、幼児期から30代の今に至るまで、父の高圧的・絶対的な支配がずっと続いているのだ。
さらに彼の父は、私の父のように愛情表現が下手というのではなく、長男がワンダーランドで、唯一の子どものソジンは次男というほど、徹底した冷酷な経営者で、子どもの命よりもグループの発展と金儲けが一番大切という信じられないような理解不能なお方。
たぶんソジンは、心優しい繊細な子どもだったのだろうと思う。だから、あの父は余計にソジンの心優しさを叱責したと思う。心優しさなど捨てて、非情に徹しなければ、事業を拡大することはできないからだ。
あの父の絶対支配の中で、日々心を痛め、父に見くびられ、侮られ、見捨てられないために、父の前では精一杯尊大な態度を演じていたであろう子ども時代のソジンが、誘拐事件で我が子の命を救うための身代金を払うのを拒んだ自分の父を知らされて、どんな大きなショックを受けただろうと思う。どんなひどい親でも、子どもは本能的に親を愛しているから。
誘拐事件後も父の高圧的態度は続き、天使の橋事件の頃には、空想の世界の、現実の自分とは正反対の自分を分離させることで苦痛を和らげる一歩手前の状態にまで追い詰められていたのではないかと想像する。
現実の世界から逃避するために、現実の自分とは正反対の空想上の人物を作り上げ、それが人格分離にまで追い詰められて誕生したのがロビンだと思う。
本当にそこまでソジンを追い詰めた馬鹿な父を怒鳴りつけてやりたいが、怒鳴りつけてもあの父は分からないだろうと思う。
そういう人は世の中にいっぱいいる。たぶん、その人自身も心に何がしかの傷を負っているからだろうと思う。
だから、ゆがんだ親子関係は次の世代に連鎖する恐れがあるのが怖いと思う。
私の父の場合は、祖父が父の弟を偏愛したから、祖父と父の仲が悪かったと母から聞いたことがある。
私もまあ変な人間に育ってしまったが、少なくとも子どもを高圧的支配はしなかったし、信じて見守るに徹したが、弟は父に似た高圧的絶対支配父親で過干渉になってしまって、家庭が少しもめている。だから、やはり連鎖する危険性があるのではないかと思う。
ソジンの父は高圧的であるだけでなく過干渉でもある。子どもを心配して先回りしたいのは、結局は自分以外には信じられないということだと思う。
父の前に立つために最高の努力をしてきたソジンを知っているのに、一回ロビンが現れただけで、ソジンへの信頼が揺らぎ、心配して自分勝手に決めてしまう父に「アボジの不安が僕を危険にさせるのをご存じないのですか」と言ったら、それは「脅迫か」と反撃する父に「警告です」と応酬するソジン。
大人になった息子への父親の過干渉とそれに抵抗する息子の相克が相変わらず続く。
ソジンも非情に徹して、経営者としてあと一歩と言うところまで成長したのに、ロビンが突然現れて、今までの苦労が水の泡になるだけでなく、父がまた息子を捨てようとしている現実を思い知らされる。
ソジンの場合はたぶん子どもを守る母親の助けも支えもなくて、徹底的に追い詰められ、なりたい自分を想像して空想の世界で羽ばたかせるだけでは逃避できなくなって、人格分離にまで進んだのではないかと思うのだ。
別人格に移行?している間はその間の記憶がないので、苦しみからは一時的に逃避できるから。
ただ一人で苦しみを背負い、声を殺して、涙するソジンが哀れでたまらない。