朝5時過ぎに母、息を引き取る。生前、「私は朝に死ぬと思う」と母は言っていたが、その通りになった。前日夕方、私は一旦家に帰るつもりだったが、病院発最終バスが出る直前になって、虫が知らせたというか、急きょ予定を変更して病院に泊まり込んだその翌日の朝に母は静かに息を引き取った。
9時半頃、母の遺体を載せた車に同乗して、母と一緒に田舎の家に帰る。
04/23(水)
朝、畑から母の最後の人参を収穫する。田舎に生まれたのに、この歳になって初めての人参堀りとは恥ずかしい限り。母が言っていたヤマブキはまだ少し茎が細いので、GWに収穫しようと思う。
15:30に家を出て、通夜会場に向かう。母の希望通り、家族、親戚と株内の人たちだけ。私は前夜に夜伽をしたので、夜は夫と息子家族とともに家に帰り、初孫を交えて過ごす。
04/24(木)
朝6時半から村中を鐘をついて回る音とともに、株の本家ご夫婦がいらっしゃって、家で香典受付の帳場をたてられる。告別式場へ向われる株内と親せき筋の方々のバスのお見送りを済ませて、私たちも会場へ向かう。
10時半に告別式が始まる。家の宗旨は真言宗高野山派。
式が終わり、斎場へ向かう前に、突然、私は旧姓で名前を読み上げられて、母の遺影写真を持つ役目を仰せつかってビックリした。本来ならば、この役は喪主である弟のお嫁さんのはずなのに、どうして私が...と訳がわからず、戸惑うばかり。
後で弟に間違いではないかと尋ねたが、弟は「間違いではない。それで良いのだ」と言うので、詳しくは尋ねないようにした。
骨上げを済ませ、初七日も一緒に済ませて、夜帰阪した。
私が旧姓で呼ばれたのは、たぶん実家の葬儀で、嫁いだ娘である私を遺影写真を持つ役に加えるためではないかと思う。それが弟の意志なのか、あるいは母の遺言だったのかはわからないが、母の遺影写真を持つことができて、嬉しかった。
お言葉をありがとうございます。
3ヶ月、あまりにもあっけなくて、今でも夢をみているようですが、この世の習いなのでしかたありません。
自分の時は母のように潔く死を迎えることができるだろうか...。色々考えさせられる日々でした。