母のリンパ腫のタイプは「びまん性大細胞型リンパ腫」で、中悪性度リンパ腫だということ。
ステージはⅣ期で、リンパ腫がリンパ外臓器にも広範囲に広がっている状態。
母は、2/6の綾部の病院でのPET検査の段階ではⅢ期(リンパ腫がリンパ節領域に2ヶ所以上、横隔膜を境にして上半身と下半身の両側にある状態)だったが、2/24に私が救急車でホテルから母を緊急入院させた夜の血液検査で、Ⅳ期でも最悪のステージ(血液中をガン細胞が流れている)に至っているとわかった。これがまさに「週単位の進行」なのだそうだ。母は白血病とよく似た状態のよう。
現在の余命は、当初のお話(何も治療しなければ、3月前半まで、どんなに治療しても5月・6月は無理だろう)よりほんの少しだけ良い状態だそう。
つまり、「抗がん剤治療を続ければ、もしかしたら、1ヶ月毎の命の更新ができるかもしれない」というぐらい。だから、2回目をクリアできれば5月の声も聞けるかもしれないし、3回目をクリアできれば6月の声も聞けるかもしれない、と…。
そして、仮に、これを規定通りなんとか8か月続けて全部クリアしても、再発があるのだという。そしたら またこの治療を繰り返すのだ、と言う。
さらに、1回目の抗がん剤治療は、母の年齢を考慮した減量抗がん剤治療だったそうで、2回目は、標準治療でリツキサンも使うそうだ。母は、2回目にチャレンジする資格はあるが、2回目を耐えきれる保証があるわけではないのだ。
この話を聞いて、もう私はこれ以上、母の希望に逆らってまで、母の命の更新は望まないことにした。
主治医との面談が終わって、母にその内容を伝えているときに母の姉が3回目の見舞いに来てくれた。
「ちょうどついでだから、叔母にも説明してやって欲しい」と母が言うので、母がホスピスを希望した経緯を叔母に話した。ホスピス希望の母にも、もう隠し事なく、全部知らせてあげなければならないと思い、先生の話は全部告げた。叔母にも真実を告げた。
母はとてもスッキリしたよう、終始明るくて、叔母が不思議がっていた。
母は今までで一番元気で、バナナを半分食べたいと言うので、コンビニで買った。
この元気が続く間に、私は母をホスピスへ行かせてあげたいと願っている。
叔母は母の決断に、「あまりにも性急や、せめて2回目を終えたあとで決めたらどうや…」と、言い残して帰った。
「おばさん、母が2回目を終えることができる絶対の保証なんて、ないんやで」