Londen&Paris旅行に出かけてちょうど10日目が4月7日だった。その時、私はParis に滞在していた。
その日は、朝一番にソルボンヌ大学近くにある中世美術館へ行きたいと思って、9時前にホテルを出て、セバストポル大通りをシテ島に向かって歩いていた。リヴォリ通りとの交差点まで来た時、前方の道路をランナーが走っているのに気がついた。
私が渡るはずの横断歩道はランナーの群れで渡ることができなくなっている。
周りをを見回すと、警備の警官や係員もいないし、ロープも張っていないから、町内の小さなマラソン大会が催されているのだろうと思った。近くに地下鉄の入り口も無いし、歩道橋も無いし、迂回できるルートが無いようだったので、ひたすらランナーの群れが途切れるのを待って、道路を渡るより他に方法は無いように思われた。
しかし、町内の小さなマラソン大会にしてはランナーが多くて、道路を走るランナーの群れは一向に途切れない。行き合わせた観光客の多くは「ラッキーだ」と言って、マラソンを観戦しているが、私は先を急ぎたかった。
見ていると、先を急ぎたい人は、道路のランナーの洪水の中に飛び込んで、ランナーとぶつかりながら少しずつ歩みを進め、道路を横断している。
しかたがないので、私もそのようにしてこのランナーの洪水を横切ろうと思ったが、怖くてなかなか飛び込めない。日本のように道路の片側だけをコースに使うのではなく、両側を使っていて、狭い道路だが、道路の全域がランナーでうめつくされているのだ。
そこで、いったん中央分離帯まで走りこみ、そこから間合いを見て、再度対岸へ走りこむことに決めた。
ランナーと接触しながら、決死の覚悟で何とか渡りきったが、この時のマラソンが有名なパリ・マラソンだったとは、帰国後初めて知った。
このルートマップの赤い丸印のところを私は横断したのだった。スタートして間もない時間で間近い地点だったから、何千人ものランナーの列が途切れなかったのも当然だ。
セーヌ川沿いのコースはまだ選手が走っていなかったから、こちらはスムーズに渡れたが、日本のマラソン大会と比較すれば、コースであることすらわからないほど簡略であっけない。(^-^)
偶然にもパリ・マラソンを見てきたことは、パリでの良き思い出。