弟は金曜日に帰省して母とお経を上げ、土曜日の午後から急に出勤しなければならなくなって、朝の9時頃に帰っていった。妹は音沙汰なし。私が着いたのが11時半で、弟とは会えなかったが、コレ幸いとばかりに勝手に父のお骨を少し取り出して、力を加えると灰になったので、それを家の築山の外側の福寿草が咲いている土のそばに一部を埋め、残りは橋から上林川に撒いておいた。今頃、父の遺灰はどこを旅しているだろうか・・・。
生前、父には死んだらそうしてあげると話していた。
築山の外側の父のお骨を灰にして埋めたところには、今度帰った時にでも、「父の木」を植えたいと思っている。
祖父は、旅行に行って買ってきた「霧島ツツジ」を生前築山に植えていて、それを見る度に祖父を思い出す。
だから、父にも、父を記念する木を植えてあげようと思っているが、何の木が良いだろうか?
翌日曜日は、阿部王子神社で初孫のお宮参りだった。
みんな、この児は息子にそっくりだと言うが、実はこの顔は私の赤ちゃんの時の顔にそっくりだと密かに思っている。 口が裂けても皆には言えないが・・・。(^-^;)
死と生が隣り合わせの不思議な二日間だった。
お父様の木。素敵ですね。(o^^o)
生きていくということは、こういうことだったんだ・・・と、
生きていく中で改めて思わされるお年頃?になりました。
平凡だけど、この平凡さにこそ、
神さまの大切な宝物が隠されていたんだと気づきました。
帰天の日まで、家族の救いを祈りつつ、
私なりに精一杯生ききることで、良いんですね。