-----------------------------------------------------------------------------------------------
この章は、死海の東北部で国境を接していた暮らしていたアンモン人の国との戦いを描いている。
アンモン人は、イスラエルの祖アブラハムのおいロトの子孫だという。だから、親戚に近いような国ということになるのかな?
ダビデは、サウル王に追われて逃げていた時に一時世話になったことを感謝して、アンモンの王が死んだ時に弔問の使節を送ったが、それが誤解の種になって、両国の間に戦いが起こった。
だから、今日の聖書日課は「疑う者と信じる者」と表題されている。
私の今までの人生を振り返ってみると、私は「疑う者」であったことが明白。
むしろ、積極的に「疑う者」であろうとした。
「邪念から疑う」というのではなく、「先ず、理性で考える」者であろうとしたという意味で、「疑う者」であったと思う。そういう意味では、「天真爛漫、純真無垢」とは正反対の性格だった。
しかし、この私が「理性」と標榜したものほど頼りないものはないことが、その時はよくわかっていなかった。理性と思ったって、結局は「知り得、理解できる範囲で」という程度の「自分の知識=自我」に過ぎないのだから・・・。
日常の生活では、その程度の「自分の知識=自我」を錦の御旗のように振りかざしても大きな問題は起こらなかったが、求道するようになって大きな壁にぶち当たった。
「聖書の信憑性」が、素直に信じられないのである。
人類の始祖アダムの堕罪と救世主イエス・キリストの十字架の贖いによる原罪からの解放が真実であるか・・・と先ず疑って、自分の頭で一生懸命考え出したのだった。考古学・進化論・動物行動学の成果などなど、あちこちで仕入れた知識の切れ切れをつなぎ合わせて、ますます疑いを深めていったのだった。(苦笑)