月末の最終日にもかかわらず、夫が仕事を休んで、車での送り迎えをしてくれたから、当日の朝6時に大阪の家を出発して、福知山市の新大江病院に9時過ぎに到着した。
病院の玄関先には、ちょうどタクシーで到着したばかりの母がいた。
父の荷物をまとめ、病院の精算をして、予約していたベッド付きのタクシーに父を乗せて、私も一緒に乗り込んだ。母は、夫の車に乗せてもらい、4人で転院先病院へ向かう。
新大江病院から車で15分ぐらいのところにある渡辺病院が転院先病院。療養専門の病院で、ここも6カ月しか居られない。
受付を済ませ、父の諸検査をし、主治医の診察結果をお聞きし、父を病室に入れて、荷物を収め、今度は母を家に送り届ける。
母は、「前の病院より15分ほど遠くなるので、週2回もはよお通わん・・・」と言い出す。
「自宅からボランティアタクシーに乗って往復してるだけやから、何もしんどいことあらへんやん。大丈夫!」と励ますが、乗ってるだけでもしんどいのだそうだ。
私は、前の病院より、通うのが不便になる。
駅から徒歩15分から20分ほどかかり、特急が止まらないので普通しか利用できないため、大阪からの列車接続が悪くなった。しかたがないので、行きは福知山駅からタクシーで病院へ行き、帰りは牧駅まで歩いて、北近畿タンゴ鉄道に乗り、福知山から大阪の柏原に帰ってくる予定。
弟が調べて送ってくれた牧駅から渡辺病院への道筋。赤線が徒歩安全ルート、青線が徒歩最短ルートという。
4時半頃に大阪に戻って、仕事に行こうとしたら、早速転院先病院から電話が入り、父が間仕切りの戸を叩いたり、ミトンを勝手に外したりするので、看護師の目の届きやすい部屋に「転ベッド」したとのこと。
父には何度も何度も病院が変わったことを伝えていたが、環境が変わったことがよくわからないのだろう。私たちが帰って、病室に一人になったとき、知らないところに置き去りにされたような不安を覚えたのだろう。
せっかく慣れた病院を6ヶ月毎に転院しなければならないなんて、人生の最後を迎えようとしている父には本当に酷だ。家にも帰れず、施設にも帰れず、死ぬまで病院を転々と彷徨わなければならない今の介護制度は全くもって非人間的。悲しくてやりきれない。