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ステロイド剤と2人3脚の全身性エリテマトーデス(SLE)患者の " 猪突猛進、横道うろうろ "人生備忘録:落ちこぼれクリスチャンが心を入れ替えて(- -;)学ぶ日々の「御言葉」と、スペイン語の勉強、SLEの病状などの日々のささやかな記録・・・というのが当初の自己紹介でしたが、今は、単に「日々生きて、夢中になった事ごとの記録」(((^^;)


by dande550213
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40年ぶりの再会~福知山のわかば荘~


「私のおばあちゃん」といえば、「草壁のおばあちゃん」「福知山のおばあちゃん」。

同一人物だが、住んでいた場所によって、呼び方が「草壁の~」になったり「福知山の~」になったりした。実の祖母ではなく、母の継母になる人。


父方の祖母は、記憶にない。

3歳ぐらいの頃に、家の庭で母と祖母と一緒に写っている写真はあるが、元々、祖父母と父母は父の仕事の関係で綾部市と京都市に別居だったし、祖母は50代の若さで心臓麻痺の突然死だったので、父方の祖母は思い出すことすらできない。


早く亡くなった父方の祖母に代わり、私をかわいがってくれたのが母方の祖母だった。

父は厳格な教育者で、自分の理想教育を子どもに強いて、叱りつけ、叱りつけ、あまりにも厳しくて、叱られて泣く私の泣き声が夜になると近所に響き渡り、近所の人が「あんなに子どもに厳しくしたら、子どもが萎縮してしまう」と、眉を潜めたぐらい厳しかった。

今なら、虐待の泣き声と間違えられるかもしれない。


そんな私がただ一つ、心からやすらぎ、自由にのびのびと子どもらしく過ごせたのが、母方の祖母のところへ遊びに行った時だった。

小学生の時の夏休みに、バスと徒歩で1時間ほどかかるおばあちゃんの家へ子ども用の自転車を漕いで行き、2週間ほどおばあちゃんの家で遊び倒した思い出がある。

近所の子どもたちと川で泳ぐ水着も買ってくれて、その水着の模様まで今でもはっきりと覚えている。

実の祖父が入院していたときは、このおばあちゃんの家から1ヶ月ほど中学に通ったこともあった。

このころまでは「草壁のおばあちゃん」と呼んでいた。



草壁のおばあちゃんとおじいちゃんはお嫁さんと折り合いが悪く、別居して暮らすために福知山にアパートを建て、福知山市に移り住んだ。そこの管理人として福知山で暮らしていたときは「福知山のおばあちゃん」と呼んでいた。

おばあちゃんが福知山に移った後も、私はよく遊びに行っていた。

福知山駅を出て、まっすぐ大通りを歩き、消防署の前まで来たら、その角を左に曲がり、昭和小学校まで歩いたら、すぐ近くに福知山のおばあちゃんの家があった。

この福知山のおばあちゃんの家に一番最後に行ったのが、高校3年の卒業式の後。
おばちゃんに、春から大阪の大学に行くからお別れの挨拶に行ったときだったから、18歳の時だった。

その後、おばあちゃんはまた草壁の家に戻って、交代に福知山の家には伯父さん夫婦が住むことになったから、私は18歳以後、福知山の家を訪れたことがなかった。



おばあちゃんは高級呉服のお針子をしていたので、おばあちゃんの家に遊びに行くと、色とりどりの綺麗な反物の端切れがいっぱいあって、それをもらって帰るのが楽しみだった。

本来なら私の着物を縫ってくれるのは畏れ多いことなのに、おばあちゃんは私の嫁入りの着物の上等な反物の何着かを縫ってくれた。

この祖母が母の実母ではなく、継母だったことを知ったのは、私が大人になってから。



この秋、父が福知山市大江町の病院へ転院してから、私はたびたび福知山市を訪れるようになった。一人で行くときは電車なので、福知山駅から宮福線に乗り換えて大江まで行く。福知山駅に降り立つたびに、福知山のおばあちゃんの家を探しに行ってみたいと思うようになった。

福知山駅の宮福線のホームから、駅前の大通りを眺めて思いを馳せる。
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先日、父の見舞いがてら車で田舎に帰った時、母に「福知山のおばあちゃんの家はまだあるのか?」と尋ねると、「アパートの入居人が2人居るので、まだ取り壊さないで残っている」と言う。

そこで、父の見舞いの帰り道、夫に頼んで車を昭和小学校の近くに止めてもらって、探した。

私の記憶では、福知山のおばあちゃんの家は昭和小学校と同じ通りですぐ横にあったと思っていたが、同じ通りではなくて、角を曲ってすぐそばだった。

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正面の1階と2階が、管理人のおばあちゃん達の住まいだった。

玄関には、今は亡き伯父さんの名前の表札がかかり、鍵がかかっていた。

この家の玄関から出て、昭和小学校の校庭や今の福知山市民病院の敷地(当時は、国立福知山病院と言ったと思う)へ、よく遊びにいったものだ。

国立福知山病院へ行く曲がりくねった小道は、たぶんこの道だったと思う。
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当時は付近は草茫々だったのに、40年の歳月で、辺りの様子は一変している。
おじいちゃんもおばあちゃんも伯父さんも、今はもういない。

最後にここを訪れてから40年近くが過ぎ去っていたなんて・・・・。

本当に「人生は夢まぼろしを見ているようなもの」だと思った。
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by dande550213 | 2011-11-18 12:49 | 雑感 | Comments(0)