118:23 これは主の御業/わたしたちの目には驚くべきこと。
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主聖句は22~23節。
118篇は、111篇から続く「ハレルヤ詩篇」シリーズの最後の歌と言われる。
くり返しや重複が多いので、祭司と民が交互に神を賛美するときの歌であろうと言われている。
私たちの礼拝でも、式次第の中に、司会者と会衆が「交読 詩篇」を交互に読む時がある。
私は今まで、なぜ「詩篇」なのか?なぜ交互に読むのか?と思っていたが、それは詩篇の性質(?)―時代が変わっても常に変わることのない「主と共に歩む者が直面する様々の問題=神の助けを仰ぐ祈りの詩・賛美の詩・メシヤ預言の詩・悔い改めの詩など」を謳いあげているからなのだと思った。(当たり前のことかもしれないが、今まで私には不思議だったから・・・)
詩篇は、時を越えて、私たちの心を代弁してくれているから礼拝で交読するのだ!
ああ・・・!そんなことはいちいちご大層に考えなくても、自明のことだった(笑)。
だって、交読しながら涙することがよくあるから・・・。